最終話 温かい胸の奥
【何も起きなかった世界線】
【唯視点】
気がつけば、あれから二十年。
私は今でも、年に数回この墓所に来る。
盆と命日。それと、なんとなく思い出した日。
それくらいの距離感が、ちょうどいい。
冬の墓所は静かで、少しだけ冷たい。
霜柱を踏むたびに、ザク、と音がする。
拓也は黙って墓石を磨いている。
昔から、こういう時は妙に真面目だ。
「拓也、そこ水流しすぎ」
思わず口が出る。
「うるさいな」
この感じも、昔のままだ。
でも違うのは、お互いちゃんと歳を取ったこと。
線香に火をつける。
白い煙がゆっくり上がっていく。
その匂いに混ざるように、白檀の香りがふっと広がった。
その瞬間だった。
私は缶を、拓也の首元に当てた。
「うわぁ!あっつ!びっくりした!」
思った通りの反応で、ちょっと笑ってしまう。
「あの時の、お返し♡」
ちゃんと覚えてる。
あの四畳半の部屋。冬。自販機。ぬるいおしるこ。
全部。
拓也が言う。
「お前さ、お返し♡っておしるこそのまま返すやついる?」
「ここにいるじゃん♡」
少し意地悪を混ぜて笑う。
この人は昔からこうだ。
真面目なのか、ふざけてるのか、よく分からない。
でも、嫌いじゃない。
「俺、ブラックしか飲まないの!」
「へぇー、味覚だけは大人なんだ!」
「いや、色々あるだろ、血圧とか脂質とか色々」
「へぇー、しっかりおじさんじゃん!」
思わず笑ってしまう。
本当に歳を取ったな、と思う。
正式な大人になったんだなって。
でも、こういうところは何も変わっていない。
だから少し安心する。
缶のおしるこは、すぐに冷えていく。
冬の空気は容赦ない。
「じゃ、おしるこ以外何が良かったの?」
ふっと聞いてみた。
ちょっとだけ、気になった。
拓也は少し考えてから、
「パンツ。薄い青のパンツ」
と言った。
「まだ覚えてたの?やばいよ?」
思わず笑ってしまう。
本当に覚えてるんだ、この人。
「あの時の俺には衝撃的だった!」
「幼馴染のパンツ見て欲情するんだー?怖いー!」
「するわけないだろ!」
その即答がまたおかしい。
「見る?パンツ?」
わざとふざけて言ってみる。
「おばさんのパンツに興味ありません。それにここ、お墓な!」
「ひどっ!」
笑いが漏れる。
息が白くなる。
線香の煙が、静かに空へ溶けていく。
この人といると、どうしてこんなに昔に戻るんだろう。
でも、戻っているわけじゃない。
ただ、消えずに残っているだけなんだと思う。
ふっと見ると、拓也の鼻が少し赤い。
昔と同じだ。
変わったことも、たくさんある。
家庭もあるし、それぞれの生活もある。
会うのは、年に数回だけ。
それでも、こうして笑えるなら。
傷ひとつない、ただの普通の幼馴染のまま。
それでいいのかもしれない。
「おい!味覚だけは大人なんだ!って失礼だろ?」
「やばっ、反応おそっ!ハハッ!」
「じゃ、また命日にね」
「おう。またな」
私は軽く手を振って歩き出す。
冬の空気は冷たい。
私たちはそれぞれの生活へ歩いていく。
でも、胸の奥は少しだけあたたかかった。




