第十二話 消えない衝撃の記憶
【何も起きなかった世界線】
【拓也視点】
気がつけば、あれから二十年。
俺たち二人は、今ではこの墓所で年に数回会う程度だった。
盆と命日。たまに思い出したように連絡が来る。
それだけだ。
冬が近い墓所は静かだった。
霜柱を踏むたび、ザク、ザク、と乾いた音が響く。
俺は黙って墓石を磨いていた。
唯は隣で枯葉を集めている。
「拓也、そこ水流しすぎ」
「うるさいな」
昔と変わらないやり取り。
誰もがそうするように、お互いちゃんと歳を取った。
墓掃除を終え、線香に火をつける。
白い煙が細く伸びる。
ふっと白檀の香りが立った。
その瞬間。
首元に突然、熱いものが押し当てられた。
「うわぁ!あっつ!びっくりした!」
思わず変な声が出る。
振り向くと、唯が缶を持って笑っていた。
「あの時の、お返し♡」
おしるこだった。
湯気が小さく立っている。
「お前さ、お返し♡って、おしるこそのまま返すやついる?」
「ここにいるじゃん♡」
唯が楽しそうに笑う。
……二十年前。
冬の四畳半。
自動販売機。
ぬるくなったおしるこ。
一瞬だけ、そんな記憶が頭をよぎった。
「俺、ブラックしか飲まないの!」
「へぇー、味覚だけは大人なんだ!」
「いや、色々あるだろ、血圧とか脂質とか色々」
「へぇー、しっかりおじさんじゃん!」
「うるさいな」
缶を受け取る。
熱い。
正式な大人の体温より少し高いだけの缶は、外気ですぐ冷えていく。
冬だな、と思った。
唯は俺の顔を見ながら、まだ少し笑っている。
「じゃ、おしるこ以外、何が良かったの?」
「は?」
「お返し♡」
「いや、知らんわ……じゃ、昔見せてくれたアレが良い」
俺は少し考えて、呆れながら答えた。
「パンツ。薄い青のパンツ」
「まだ覚えてたの?やばいよ?」
唯が吹き出す。
「あの時の俺には衝撃的だった!」
「幼馴染のパンツ見て欲情するんだー?怖いー!」
「するわけないだろ!」
即答すると、唯はケラケラ笑った。
冬の空気に白い息が混ざる。
「見る?パンツ?」
「おばさんのパンツに興味ありません。それにここ、お墓な!」
「ひどっ!」
二人で笑った。
線香の煙が、ゆっくり空へ昇っていく。
風は冷たい。
傷ひとつない、ただの普通の幼馴染。
でも、缶のおしるこはまだ少し温かかった。
ふっと見ると、唯の鼻先が少し赤い。
昔と変わらないな、と思った。
変わってしまったものも、もう数え切れないほど沢山あるけれど。
家庭。歳月。距離。
会わない時間。
もう、あの四畳半に帰ることはない。
それでも、こうして笑えるなら、悪くないのかもしれない。
「おい!味覚だけは大人なんだ!って失礼だろ!」
「やばっ、反応おそっ!ハハッ!」
「じゃ、また命日にね」
「おう。またな」
唯は軽く手を振って歩いていく。
白い息が、冬空にゆっくり溶けていった。




