主と召使と 3
「主様!ひっさしぶりの食事ですねー。何にしましょう?」
執務室の扉を後ろ手に締めながらそう言うミカエラはなんだか浮ついているようだ。
「ん?お前も腹が減ってるのかい?僕を置いてアトリエを抜けている時に何か食べていたんだとばかり思っていたんだけどね…」
ミカエラは一瞬硬直し、「ま、まさかー」とおどけたような声を出す。
「ま、まさかですよ。そもそもあそこに置いてある食料なんて保存食ばかりで全然美味しくないですし…」
「ふーん…」
僕が怪訝な表情でミカエラを見つめると、僕の表情をかき消すかのように両手をぶんぶん振り回した。
「ち、違いますよ…!本当ですって!って、もういいじゃないですか!あーおなかすいたー…」
ミカエラは両手で腹を抱き、体をくの字に曲げてみせた。
「ふーん…」
「あ、そうだ!あそこ行きましょう?あそこ。えーっと、あのグリフォンを唐揚げにしてくれるところ、一度行ってみたかったんですよ!」
「グリフォンの唐揚げか、いいね。…でも、そのままじゃダメだぞ。お前はその体だと恐ろしいほど食べるからね」
そう言って僕はミカエラを指差す。
「あー、そうですね」
ミカエラが胸の前で手を組み、息を吐き出すと、彼女の体から光の糸が吹き出した。
光の糸は彼女の体の周りを螺旋状に廻り、彼女の頭上で一点に収束していったかと思うと、それは長さ五十センチ程のねじれた杖へと変化した。
「よしっと」
そう呟いて床に落ちた杖を拾う彼女の姿は先程までの巨大な拳闘士の姿ではなく、僕よりも少し大きい位の女の子の姿に変わっていた。が、髪の長さだけは大きい時のままで、毛先が床に接するギリギリまで伸びていて、それが彼女の全身を覆っている。
ミカエラは、自分を覆う金色の髪を体全体を回転させ振り回し、頭の上で一つにまとめてそこへねじれた杖を突っ込んだ。
「いつみても見事なものだね。お前のヘアセットは」
「まあ、物心ついた時には体中髪の毛に覆われてましたからね。だから、わたしたち一族では髪の操り方を一番最初に習うんです」
ミカエラの種族であるジャイアントエルフ族は固定世界内でも極めて珍しい種族だ。
簡単には巨人族とエルフ族の混血ということなのだが、父が巨人である場合と母が巨人である場合では生まれてくる子供の性質が異なる。
父が巨人なら、全身が緑色の凶暴な怪物オークとなり、
母が巨人なら、ミカエラ同様にジャイアントエルフとなる。
そもそも巨人族とエルフ族は犬猿の仲として知られていて、巨人は異界に多く存在するのに対し、エルフは天界の一つの星をその住処としている。
そんなこんなで、聡明なエルフからすれば異界に住む巨人は、『馬鹿で大きいだけのモンスター』、巨人からすればエルフは、『肉付きの悪い肉』、という解釈で通っているようだ。
それ故、巨人を見つけて話しかけようなんてエルフはほとんどいないし、巨人もまたエルフのような生物に理解を求めようなどとはしないのだ。
それに最も大きな要因として、巨人族は個体の持つ知能の差が激しく、冒険者としてその地を離れる者自体が非常に少ないということがある。
そんな故郷を離れられるほどの知能を持った巨人族の冒険者が、健全なエルフと出会い、互いに理解し合いパートナーとなる、となるとジャイアントエルフが生まれる確立はもっともっと下がるのだ。
言わずもがな、オークが生まれる理由は察してもらうとして…。
そんな希少種族であるミカエラは、普段はこちらのサイズでいることが多い。
なにより動きやすいし、僕を見る時に目を凝らす必要がないということが理由らしい。
彼女がなぜ大きくなったり、小さくなったりできるのかというと、それは父親がエルフであるという要因が大きいとされている。
詳しくはモンスター研究家も研究中のため結論が出ていないが、モンスターは基本的に肉体の情報を父から、容姿の情報を母から得ると考えられている。
そこでジャイアントエルフの場合、初めの種族である霊族と真人族の混血として生まれたエルフ族が持つ霊的な肉体の特性(エーテリアボディ)、つまり肉体そのものが魔力帯で構成されているという特徴と、巨人の持つ巨大な体の情報が奇跡的に融合し、ジャイアントエルフが魔力を溜めれば魔力帯が巨人の体の情報を再現するため巨大化し、それを放てば元に戻るということになっているらしい。
その魔力を時間を掛けずに溜め、巨人化するのに必要不可欠なのが彼女の頭に刺さっている杖だ。
あれはエルフ族が傷を縫うのに使うための特殊な繊維を集めて作られていて、魔力を保持しやすいものになっている。
ミカエラは、ジャイアントエルフは皆髪留めのためにそれを頭に突き刺しているというが、僕はミカエラ以外にあんな長いものを頭に刺している者を見たことがない。
「あっ!あそこですよ!行きましょう主様!」
僕らは天界管理局魔道具研究所である屋敷を出てから、様々な店が立ち並ぶ大市場アマ・グランドマーケットへと一直線に向かった。
まあ、それはミカエラが僕の手を引き、僕の足が地に着くことを許さないほどの速度で走ったからなのだが…。
ミカエラが指差す方向には、古朴な様相とは不似合いな色とりどりに煌めく『グリフォン・イーター』と書かれた看板を掲げたなんだか怪しげな建物がある。
よく見れば、入り口に「ソーマブランデー入荷しました」と書かれた張り紙がされている。
「おお、ソーマブランd…っ」
僕はその張り紙を読む時間すら与えず、ミカエラに抱えられたまま店内へと入る。
店内は様々な種族の者らで溢れかえっていた。
誰がどうと、区別は付かないが冒険者も一般民も混在しているだろう。
店の中心に置かれたロの字型のカウンター周りはもちろん、隅々に設置されているテーブル席もいっぱいだ。
あまりにも数が多すぎて、どれが店員なのか見分けるのも一苦労なくらいだ。
「おーい、店員さーん!」
ミカエラが僕を抱えたまま、大声で店員を呼ぶと、大量のジョッキを載せたトレーを危なげに運んでいる獣人が一人こちらを向いた。
「い、いらしゃいませ!」
「どっか席空いてません?わたしたちもうお腹ぺこぺこでー」
「しょしょ、少々お待ちください!」
店員はジョッキをぐらぐらさせたまま、一つのテーブルへ向かっていった。
「なんか、危なっかしい子ですね」
ミカエラがにやつきながらふらふらしている店員を目で追って言う。
「ミカエラ、そろそろ降ろしてくれ…」
あっと呟いてミカエラが僕から手を離す。
「すみません、えへへー」
そう言って笑うジャイアントエルフには主を抱えていたことにに対する悪びれは一切感じられない。
「はあ、いらっしゃいませ」
どこか疲れた様子の獣人がテーブルにジョッキを置いて戻ってきた。
「お席はー…。店内はいっぱいでして、外のお席なら空いていますね」
獣人は、ぴょんぴょん跳ねながら大勢いる客越しに店の奥にある中庭を覗き見ながら言う。
「当店は、中庭から見上げる空も魅力的ですよ!そろそろ日没の花火も見れますし、それにスペシャルイベントもありますよ!」
「へー、じゃあお願いしまーす」
ミカエラが了解を示すと、獣人が「こちらへどうぞ」と店の奥へと僕らを促した。
「これで、中庭…?」
獣人に案内されて来た場所は、古びた木製の柵に囲われ、ところどころに背の低い雑草が生え散らかっている牧場の一端のようなところだった。柵の向こう側は、牧場としてはそれほど広くはないが通常の庭付き一戸建てが十棟は建てられるであろう程の広さがあり、その中心には三つの大きな鉄格子の檻がそれぞれ東西南の方を向いて置かれている。辺りをよく見てみると、中庭を囲む他の店々もグリフォン・イーター同様、こちら側に席が設けられているようだ。
檻の中には当然グリフォンが閉じ込められていて、その巨体には狭い檻の中を窮屈そうにうろついているのが見える。
「まさか、スペシャルイベントっていうのは…」
「もちろん!決闘でっす!今からあそこにいるグリフォンをやっつけて、そしてそいつを皆でおいしく頂くのです」
店員は納得したように頷きながらそう話す。
「決闘って、誰が?」
「それは、くじ引きですね。お客様の中で腕に自信のある方にお願いしています。まあ、誰もいないか、それとも難しそうならウチの者がやらせて頂きますがね」
そう言いながら店員は腕を捲り、ぐるぐる振り回してみせた。
「…なるほど、決闘」
「お客さんもどうですか」という店員の話に、挑戦的な笑みを浮かべながらミカエラが呟いた。
「ミカエラ…、お前初めから…」
目が合ったミカエラは、いつもの悪びれない笑顔だった。




