御令嬢と騎士と 6
階段を上るレイスが感じていたのは、抱えているルルディの軽さだった。
瀕死のレイスを回復するために失った筋力の分だけ彼女の体重は軽くなっていた。
「ルルディ様…」
「なによレイスってば、まだ気にしているの?」
そう言ったルルディは笑って「私はもう大丈夫だから下ろして」と続けた。
「いえ、このまま私にお任せください」
レイスはルルディを抱えたまま階段を上って行く。
地上から差し込む明かりはもう薄くなってきていた。
神殿内に入り、荷物のあった場所にレイスはルルディを寝かせる。
神殿の空気に含まれる魔力が豊富なため、ルルディの体調は地下から上がってくる間にも随分良くなってきていた。
天上の灯が止み、日没の花火が輝く。
白で統一された神殿はその内側までも日没の輝きを反射し、部屋中を色とりどりに煌めかせている。
「綺麗ね…」
「ええ、綺麗です…」
ついさっきまで死にかけていたレイスにはこの明かりが尚更夢のように感じられていた。
レイスは完治した右腕を撫でる。
「ルルディ様、先程は本当に…」
「レイス、もういいのよ。あなたがいたから私はここにいる。私は本当に感謝しているの…。生きている限り、失くしたものを取り戻すチャンスは必ずあるわ、例え形が違ってもね。だから私はあなたを助けられて良かった…。あなたがいればきっとまた新しい何かを手に入れるいことができるもの」
ルルディはそう言うと、晴れやかな笑顔を見せた。
日没の花火が止むと、辺りは一瞬暗闇に染まる。
すると、神殿内の昼の光を溜め込んだ白色の石々が内側から輝き、室内には陽だまりのような暖かさが満ち始めた。
「ところでレイス、中庭にあった本を読んだ?」
「あの古びた本でしょうか?私は読んでおりませんが…」
「そう、あの本にはね、エルフの回復術について書いてあったの。あなた、エルフ文字を読める?」
「いえ、それがエルフ文字だとわかる程度で、読むことはできませんな」
「そっか、残念ね。レイスもエルフ文字が読めれば回復術が使えるようになるかもしれないと思ったんだけど…」
「本を読んだら回復術を覚えたとおっしゃるのですか?」
「ええ、そうよ」
柱に背をもたれる形で体を起こしたルルディが頷いた。
ルルディの傍に腰を下ろしていたレイスは立ち上がり、中庭へと歩いて行く。
神殿の輝きと庭を囲む白い壁の輝きに囲まれたこの場所は昼と代わり映えしないほど明るくなっている。
レイスは暗くなった空を見上げた。
天界の星々が瞬く中を赤黒く輝くミラーマが通り過ぎて行く。
中庭の中央にあるテーブルへと近づくレイス。
最初に見た時はぼろぼろに傷んでいた本が今は新品同様に艶を持ってテーブルの上に置かれている。
昼には手に取ることもなかったその本をレイスは改めて手に取る。
「これは…」
美しく様変わりした本を片手にレイスは机の下や椅子の上、それに日除けの周囲を見回した。
レイスは本のページを捲りながらルルディの元へと戻る。
数ページ捲り、中に書かれた文字列を眺めるが、レイスには何が書いてあるのか全く理解できない。
「ルルディ様、この本でしょうか?私が見た時にはもっと古びて傷んでいたのですが…」
「そう、これよ。栞のページを開いたら突然目に痛みを感じて、それから体の様子がおかしくなって…。その後落としたこの本を拾い上げた瞬間光り輝いて、そして今の形になったの。それで初めて表紙に書いてある言葉が読めるようになったわけ。…ほら、これが修復の意味を表す文字、そしてこれが回復、治療よ」
ルルディは常識的な文字とはかけ離れた不思議な形状の線を一つずつ指差してレイスに説明する。
エルフ文字は、通常の言語と文字の関係とは違っている。
一般的に言語と文字は相互にその音感を共通させているが、エルフ文字の場合は幾つもの線の数と向きと線の流れで行動や現象、名称を示すため、その文字に音を充てられない。
例えば、治療という文字は『治療』を意味する文字であって、『ち』『り』『ょ』『う』という一つひとつの文字としての区切りではない。
そのため、エルフ文字を解読するためには単語や熟語など出来上がった意味を持つ言葉をエルフの文化や思想など様々な分野で聞き、文字と照らしあわせなければ読むことができないのである。
これはエルフが種族として三賢人や神族に近い知力を持ち、万物を感覚的に理解しているためで、エルフにとって文字とは共通認識の手段ではなく、感覚的に理解したものを図化したという解釈が一番適当だと言える。
それ故、エルフ文字を理解するために必要なのは文字に対する情報とそこに異議を覚えない、つまりそれをそうだと感覚的に理解できる知力が必要なのだ。
「ル、ルルディ様…。な、何と申し上げたら良いのかわかりませんが…、私には理解できませんぞ。その、何が書いてあるのかではなく。…非常に説明しづらいのですが、こう、頭に入ってこないというかなんというか…」
レイスは眉間に皺を寄せ、首を傾げたまま身振り手振りでルルディに理解不能であることを伝える。
「大丈夫よ!私だってエルフの先生に教えてもらってわかるようになったんだもの。だから、ほら、これが治療よ?そしてこれが…」
ルルディは再び文字を指でなぞりながらレイスに説明をするが、レイスの眉間の皺が濃くなるばかりだ。
「…駄目なの?」
「え、ええ…、何度説明されても全く理解できませんな?」
ルルディは本を膝の上に起き、諦めたように深いため息をついた。
「…じゃあ、これは?」
ルルディは魔法陣の書かれたページを開いてレイスに向ける。
中心にある大きな円を囲むように並ぶ三つの小さな円、そして三つの円それぞれの中心を繋ぐようにエルフ文字の帯が円状に描かれており、それぞれの円の中にはシンボルが一つずつ記された魔法陣の図。
レイスの目にはそれがしっかりと映り込んだが、レイスには何も変化が起きない。
「…ほう、これが回復の魔法陣なのですかな?私それほど魔法陣に詳しくはないのですが、これは珍しいものなので?」
レイスは顎を指で撫でながら本に顔を寄せてそれを観察している。
ルルディの目が点になる。
「あれ?レイス、何ともないの?」
「…?別に、何ともありませんな」
「おかしいなあ…」
ルルディは再び魔法陣のページを目に映した。
体に変化こそ起きないものの、そこに描かれている魔法陣の示すものがルルディにはわかっていた。
「レイス、手を貸して…」
ルルディは右手で差し出されたレイスの手を握り、左掌を上に向け、魔力を練り始めた。
すると、左手の上に光る粒子が集まりだし、やがてそれは光る靄の塊となる。
ルルディはその靄を保持したままレイスの手を握っている右手に添えた。
靄はレイスの手を伝い徐々に体を覆っていくと、溶け、レイスの体へ染みこんでいく。
「どう?何か変化は感じる?」
「ぬくもり…、体が内側から温かくなるような感覚がありますな…。し、しかしルルディ様!またこのようなことをしたらお体に触りますぞ!!」
「ふふっ、大丈夫よ。今回は空気中の魔力を利用したの、だから私の体はなんともないわ。今あなたに施したのは身体強化の術、ちょっと体を動かしてみなさいよ」
レイスは立ち上がり、両手を握ったり開いたりして体の感覚を確認すると、剣を握らないまま素振りをした。
「よ、よくわかりませんが、なんとなくいつもより力が入っているような感覚がありますな」
「そう…。つまんないわね」
ルルディはそう呟いて再び横になった。
「ぬ、ぬぬぬっ!!いやいや、ちょっとやそっとではありませんぞ!見てくだされルルディ様!」
レイスは大袈裟に騒ぐとものすごい勢いで飛んだり跳ねたり、走ったりしてみせる。
ルルディは横になったまま走り回るレイスを見ると、体を縮こませて笑った。
仰向けになって足をばたつかせながら笑うルルディを見てレイスも笑う。
「あはははは!変なものです、変な人間のものです!!」
ふいに聞こえた謎の笑い声にレイスもルルディも同時に声の方に目を向けた。
白い毛玉のような姿に短い手足、それに不似合いな長い指。
大人の腰程の高さの身長のそれは素足のままぴたぴたという足音を立てながら飛び跳ねていた。
「な、何かしらアレ…。ちょっと気持ち悪いわね」
ルルディは顔を引きつらせ、まるで汚物でも見るかのような目でそれを睨む。
「何をおっしゃいますかルルディ様!あれはカーバンクル、とても友好的で賢い種族ですぞ?柔らかく白い毛並み…とても可愛らしいではないですか」
レイスはルルディとは対照的に花を愛でるような優しい眼差しでカーバンクルを見つめていた。
「女の人間のもの!お前は失礼です!朕は気持ちの悪いものではありません!朕は素晴らしい毛並みを持つ素晴らしいものなのです!女の人間のもの!お前は失礼です!」
カーバンクルは興奮して床を踏みつけるように飛び跳ね、ルルディを指差す。
「まあまあ、カーバンクル殿。ルルディ様は少しおてんばで言葉を選ばないところはありますが、そのお姿同様、心も美しいお人ですぞ。今は少しお疲れ気味なのである、許されよ」
「疲れです?疲れているのです?ほうほう、それなら朕が癒してあげてもいいですが…。人間のものはちょっと…、あまり興味が湧かないので断ります。癒してはあげないですが、商売はしてもいいです。細長の男の人間のもの、朕の持ち物の中から欲しいものを買ったらいいです」
カーバンクルはそう言うと、その背景と化していた大きなリュックサックから変わった品々を続々と取り出し、その場に並べた。
「これは白金の塊、拾ったやつです。…これはソーマブランデーの原液、とある店から失敬したです。それからこれは血を吸って開花する花の蕾、それからそれから、これはでこぼこしてて持ちづらいグラス、実験に失敗したやつです。でも、ラッキーハプニングが起きたのです、グラスに液体を入れると不思議なことにグラスの成分が溶け出して中身に変化を起こすです!ちなみに効果は中身で変わるです。後は、後は…」
次々と並べられるカーバンクルの商品は、レイスもルルディにとっても見たことのない物ばかりで二人共何がなんだかよくわかっていない。
レイスは白金の塊を手に取る。
「カーバンクル殿、この塊は金属ですかな?」
「もちろんです、もちろんです。馬鹿でも見ればわかるでしょう?ただの金属塊です。つまらないものです、あげます。ただではあげませんが」
レイスは塊を少しの間眺めると、鞄からペイズを取り出してカーバンクルに渡した。
「今は手持ちがあまりなくてすまないのだが、これでなんとか譲ってはもらえぬものかな?」
「…まあいいです。いらないものですから」
カーバンクルはその長い指の掌を上に向けてレイスからペイズを受け取ると、深い毛並みの中にしまい込んだ。
「ふーん…。なんだか私にはよくわからない物ばかりね。あなた、随分変わったものばかり集めているようだけど、こんな使い方もよくわからないもの誰が欲しがるのよ?」
いびつなグラスを眺めていたルルディはそう言ってグラスを元に戻して息を漏らした。
ルルディの発言を聞いた瞬間、カーバンクルの楽しげに鞄からアイテムを取り出す手が止まる。
「…女の人間のもの。お前のような失礼なものはなかなかいないです。それなら、それなら世間知らずの馬鹿な女の人間のものにとっておきを見せてやるです!!」
カーバンクルは憤慨してそう言うと、鞄の中に飛び込み、中でもぞもぞ動き回りだした。
鞄の中から金属の当る音や、ガサガサという枯れ葉を踏みつけるような音、それから何か柔らかい物を踏みつけたような想像を掻き立てる不思議な音々が響いている。
少しの間騒がしく鞄を鳴らしていたカーバンクルが頭を半分だけ出してルルディを厭らしい目つきで見つめる。
「ふふ、女の人間のもの…。これはとっておきです、その腐った眼にしかと焼き付けるといいです!!」
そう言って鞄から飛び出したカーバンクルが手に持っていたのは鋭く光を反射させる不思議な色合いのいびつな塊だった。
「そ、それがどうしたって言うのよ。ちょっと、眩しいからこっちに向けないでよ!」
ルルディは顔の前に手をかざしてカーバンクルを文句を言う。
「ははーん、女の人間のもの。やっぱりお前程度では知らないものでしたか!これはですねっ!世にも不思議な金属エオティマスです!存在しない噂だけのものと言われていますが、朕は持っています!名のある鍛冶職人も打つことができないとんでもない金属です!すごいですよ!称賛しなさい、女の人間のもの!」
カーバンクルはそう言ってルルディに輝く金属塊を押し付ける。
「あなた少し馬鹿なんじゃないの?誰にも加工できないんじゃ、ただ眩しいだけの石ころでしょ!」
ルルディは押し付けられた金属塊を押し返すようにすると、ふいにカーバンクルの表情が暗くなる。
「…そう言われてみればそうです。なんだかいらないものになりました。朕は珍しいものが好きですが、使えないものはいりません…。細長の人間のもの、お前その白金とこれを交換するです。そっちの方が値打ちものです。…どちらもつまらないものですが、朕は使えるものを手元に置いておきたいです」
レイスは手に持った白金の塊を再び眺めるとカーバンクルに言った。
「それは、金属なのですかな?」
「たぶんそうです。朕もよくわからないのが現状です。硬いから金属だと思いますが、削れないし砕けないし、確かめようが無いのです」
「ふむ、それなら確かめましょうぞ」
レイスはそう言うと白金をカーバンクルに渡し、エオティマスと交換した。
レイスがエオティマスに魔力を込める。
エオティマスは耳を劈く高音を響かせ、レイスの掌で振動を始めた。
やがてその輝きはレイスの込めた魔力の緑色に変わり、光が収束していく。
光が止み、レイスの手に握られていたのは緑と白の光が内側に閉じ込められたレイピアへと姿を変えたエオティマスだった。
「お?お?細長の人間のもの!何をしましたか!?」
カーバンクルは驚愕して全身の力が抜けている。




