女神と神獣と
草花の敷き詰められた円形の中庭。
その中央にある日除けの屋根の下で赤いショートヘアのよく似合う色黒でやけに露出の多い衣服を身に着けた女が読書をしながらお茶を飲んでいる。
その側では極彩色の巨鳥が一羽、退屈そうに空を見上げていた。
「…失敗っしたね」
「…想定内さ」
「そ、そうっすか…。そういえばアイン様、この間こっちに帰ってきた奴らを監視中に面白いやつを見つけやしたぞ」
「アインじゃない、お頭と呼びな。…で、どんな奴だい?」
女神アインは本に落としていた視線を上げ、黒縁の眼鏡の隙間から目線だけをボルドラに向ける。
「人間で騎士のような風貌でしたが、随分弱そうな奴でしてね…。でも、あの大女に一撃食らわしてその杖を奪っていやがった…。」
「ふーん、中々できる奴じゃないか」
「いやいや、そいつは本当に弱い奴なんですわ。カウンター一発で気を失っていやしたし、杖を奪えたのもただの運でしょうな」
そう言ってボルドラはクワクワ笑う。
「で、その幸運の男の何が面白いのさ…?」
「いや、その幸運っぷりが…」
アインは何事も無かったかのように視線を本へ戻す。
「あれ?面白くありませんでしたかね…」
静寂な庭の中で読書の進む軽快な音だけが響く。
「…そ、そう。だからわしがそいつに少しばかり力をくれてやりやしたよ。やっぱりあいつは幸運でしょう?」
ボルドラがまたクワクワ笑う。
「ふん。何の力を与えたんだい?」
「何ってそりゃあ生物内融合の理でしょうよ、大女の杖も持ってるようだったし、女と同じくどかんとでっかくなりさえすりゃ、あんな弱そうな奴でもある程度は強くなれるでしょうな!クワッ」
「…何だって?」
ボルドラは一瞬硬直してアインに視線を向ける。
「まずいことしやしたか?」
「当たり前だよ、大馬鹿者!生物内融合はまだ実験段階だって言ったじゃないか!それに、ジャイアントエルフみたいに巨大化するようなもんじゃないんだよ!なんであんたは…!ああ、このまま管理局に目でも付けられたら実験すらできなくなるじゃないかっ!バカっ!」
激怒したアインが立ち上がって本を地面に叩きつける。
「ああ…、終わった。もう、終わってしまったわ…。女神アトルの悲願、あたいが叶えたかったのに!それなのに、こんな頭の悪い鳥のせいで…!全て終わりっ!あんたのせいでっ!!」
「…で、でもお頭。まだ一度も成功してやしませんでしょう?だから今回も失敗でしょうよ」
「うるさいっ!あんたに何がわかるってのさ…。生物内融合は弱者を守る最高の術だっていうのに、世間のアトル様への評価はそのお優しい人柄とは全く真逆じゃないか…。外道だの狂人だのと…!あたいはそれが許せないんだよっ!だからっ、必ず成功させるんだ、成功させてアトル様の崇高なお考えを世界に…!!」
アインは一頻り話すと、落ちた本を拾い上げその汚れを払ってまた元の位置に座った。
「す、すいやせんした…」
ボルドラはその羽毛ばかりの体に顔を埋めるようにして頭を下げる。
「ふんっ、もしバレるようなことがあったらあんたを殺すからね!」
アインはそう言って鋭い目つきでボルドラを睨みつけた。
「それで、結果は?どうだったのさ」
「いや、それが…その。理を与えてからわしはそのままこっちに戻って来ちまったもんでして…」
アインの吐いたため息で土埃が上がる。
「あんたって奴は…、本当に馬鹿な鳥だよ。とっとと見に行くんだよ!結果がわかるまで帰って来るんじゃあないよ!!」
ボルドラは再び向けられた殺意を感じる視線から逃げるように素早く空へと舞い上がった。
アインは再び偵察に向かったボルドラを見送ること無く、読みかけの本を机に置くとそのまま中庭から神殿の中へ入っていく。
神殿内は白一色で統一されており、天井の高い半球状の作りで、柱がずらりと並んだホールになっている。ホールの入り口から一番遠い位置にはアインがそこに鎮座する祭壇があり、それは白く艶のある石材をくり貫いて作られている。しかし、このところずっとアインはそこに座っていない。
時折冒険者が祝福を受けるためにここを訪れるのだが、そんな時もアインは大概は中庭で読書をしているし、使いを入り口に置いたりすることもないので、この太陽の神殿に入った冒険者達が出迎えられるということは稀である。
神殿内に入ったアインは祭壇の前を素通りし、中庭とは反対側にある出口から外に出る。
そこから出た先は崖になっており、崖を形成する大きく角ばった岩が露出していることと申し訳程度に二つ宝箱が置かれている以外は何の変哲もない場所だ。
そんな場所にわざわざ来たことにはわけがある。
アインは露出した岩の一つの前で立ち止まると、そこに手をかざした。
アインのかざした掌が緑に輝くと、岩が一瞬にして砂に変わり、そこに地下へと続く階段が姿を現す。
その階段を二、三段降りた所で、階段に積もった砂を緑に輝く掌ですくい上げたアインは、入り口に向けてそれを吹き飛ばした。
吹き飛ばされた砂が霧のように舞い入り口の穴を満たし太陽光を弱めると、そのまま厚みを持った一枚の砂塊となってそこを塞いだ。
辺りは急に暗闇となったが、アインには暗闇など無意味である。
彼女の赤い髪が揺らめくと、それは徐々に明かりを持ち、まるで炎がそうするかのように辺りを照らす。
アインが階段を降りきった先には神殿の倍以上の広大な空間が広がっており、天井を支える柱の一つひとつに灯された青と白のMFFの明かりでそこは幻想的な雰囲気を醸し出している。
しかしそこは、その幻想的な雰囲気とは別に様々な生き物の鳴き声が喧しく響き渡る狂気じみた気配も有していた。
その空間のちょうど中心にアインが研究を行う書斎小屋がある。
アインが書斎に向かう道すがら、壁の端々には大小様々なモンスターが閉じ込められた檻が置かれており、この空間を不気味にしている鳴き声はそこから発されているものだった。
書斎に入ったアインは座りなれた木製の椅子に腰掛けると、一冊の古びた書物を広げる。
「アトル様…、あたいが必ず成功させてみせます。生物内融合の力でアトル様が願った完全なる平等の世界を…」
アインはそう呟いて開かれた書物に描かれた四角形の魔法陣を指でなぞる。
「あの石版さえあれば、きっと出来るんだ。あれにはモンスターが描かれていた、冒険者共はそれまでは発見されていなかった新種だとか言っているけど、あいつの持っていたあの石版にはその新種が描かれていたんだ。そんな都合のいいことがあるはずない…!あの石版がモンスターを生み出す秘密なんだ、きっとそうさ。あたいの勘がそういってる…」
アインは一頻りぶつぶつ言った後立ち上がり、書斎の壁いっぱいに取り付けられた棚から一つの宝石を取り出すと、それを握りしめてそこから一番近い位置にあるモンスターの檻へと向かう。
檻の中には小型の獣類モンスタークニックルが鼻をひくひくさせながら座っている。
アインはクニックルを檻から出して抱えると、その隣の檻から中型の獣類モンスターオーウィスを放った。
オーウィスの上にクニックルを乗せたアインは、それらを書斎の向こう側にある台座へと連れて行く。
アインは、その四角形の魔法陣が刻まれた台座の上に二匹を乗せ、持っていた紫色の宝石に緑色の魔力を込める。
アインの掌の上で溶け、スライム状になったそれをアインが魔法陣の上に落とすと、それは刻まれた魔法陣を埋め、象られた魔法陣が緑に輝きだした。
「此れに与えるは一つの身体、大地を駆ける四足に宙を跳ねるバネの足を。その脚で駆け、跳ね、地走を凌駕せよ」
アインが詠唱すると、台座の輝く魔法陣が徐々に二匹を包み込み、強烈な閃光を放った。
閃光は徐々に収束していき、やがてその中心に吸い込まれるようにして輝きを失っていく。
しかし、光が完全に収まった後に二匹の姿は失くなっていた。
「くそっ…」
そう吐き捨てて、握りしめたアインの両手の拳からは血が滴っていた。




