第三章 二親等割引
「佐藤くん、今夜の三〇一号室(特別スイート)のログについてだがね」 翌週の月曜日、人口増加推進課のオフィスで、大塚課長が私のデスクに歩み寄ってきた。彼は周囲を気にするように声を潜め、私の肩を親しげに叩いた。「私の娘が、婚約者の男とミライを使うことになっていてね。ほら、うちの課は今期の婚姻継続スコアの達成率が、目標に対して残り二パーセントで燻っているだろう? 娘のデータが、我が課の第四四半期の査定の追い風になればと思ってね」課長の言葉の裏にある意味を、私は瞬時に理解した。「……バイオセンサーの感度を、最高レベルに調整しておけ、ということですね」「話が早くて助かるよ」 課長は満足そうに頷いた。「福利厚生の二親等割引を適用すれば、宿泊費は三割引きだ。その上で、今夜の行為で特級優良市民ステージに昇格できれば、彼女たちの来期の所得税は全額免除される。国益のためだよ、佐藤くん。身内だからといって容認するわけではない。効率的なリソースの活用だ」
その夜、私はフロントの監視モニターの前に座り、指定された三〇一号室のバイオセンサーの閾値を「ガバガバ」に緩める操作を行っていた。少しの心拍数の上昇、少しの皮膚温度の変化さえあれば、AIが最高密度の情愛と判定するようにシステムを書き換える。国家が設計した絶対の基準は、そのシステムを管理する役人の指先一つで簡単に書き換わるのだ。
午後九時、自動ドアが開き、課長の娘である大塚玲奈が、仕立てのいいスーツを着た男と共にホテルに現れた。玲奈はフロントの私に気付くと、悪びれもなくマイナンバーカードをスキャナーにかざした。ピピッ、と電子音が響く。「マイナンバーを認証しました。大塚玲奈様、公務員二親等特権確認。割引率三十パーセントを適用します」「佐藤さん、お疲れ様です。父から聞いてます。よろしくね」玲奈は、役所の窓口で備品を受け取るかのような、完璧に洗練された、しかし完全に温度を欠いた笑顔で私に挨拶した。隣に立つ婚約者の男も、スマートウォッチの画面で現在の「ナカヨシ・ポイント」の株価レートを確認しながら、事務的に頭を下げた。二人がエレベーターに消えた後、私は三〇一号室の監視モニターを注視した。ベッドに入った瞬間から、インジケーターは凄まじい勢いで跳ね上がった。私が設定を緩めたせいだけではない。彼らの肉体の動きには、無駄が一切なかった。どの角度で、どの速度で動けば、ベッドサイドのセンサーが最も効率的に熱量を検知するかを、彼らは完璧に理解し、過剰に適応していた。画面に表示される心拍数は、まるでトレーニング中のアスリートのように規則正しく上昇していく。しかし、防犯カメラに映し出される二人の目の奥は、完全に死んでいた。彼らは互いの肌に触れながらも、見つめ合ってはいない。ただ、目前の虚空に浮かぶ減税とポイントという報酬の数字だけを見つめ、精密な機械のように公務を遂行していた。「特級優良市民ステージへの昇格条件を達成しました。所得税免除手続きを開始します」人工知能の音声が、静かなフロントに響く。完璧な愛の最高数値を叩き出す、国家の家畜たち。システムを設計し、国民を家畜小屋へと追い込んでいる側の人間すら、その小屋のなかで最も効率的な家畜としてしか踊れなくなっている。手元のマニュアルに並ぶ「愛は早い者勝ち」というスローガンを見つめながら、私は強烈な吐き気を覚え、ネクタイを乱暴に緩めた。しかし、ネクタイを乱暴に緩めたところで世界が変わるわけでは無かった。




