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第二章 偽装結合

 「佐藤さん、三〇六号室の清掃ログに、妙な弾性波の微振動が記録されています。バイオセンサーの初期不良でしょうか」客室清掃員のパート職員から報告を受け、私は万能鍵を手にリネン室を出た。国立ラブホテル「ミライ国立府中」において、客室の不具合は単なる設備の故障を意味しない。国家リソースの毀損、あるいは市民による「愛の査定」への介入を意味する。三〇六号室のドアを開けると、微かに残る安物の香水の匂いと共に、乱れたベッドが目に飛び込んできた。私はシーツを剥ぎ取り、マットレスの四隅に埋め込まれた皮膚温度・心拍数測定用のバイオセンサーを確認する。あった。センサーの受光部に、極薄のシリコンフィルムでカプセル化された、親指ほどの電子チップが粘着テープで貼り付けられていた。 手元の端末にそのチップの固有識別番号を読み込ませる。画面に表示されたのは、役所のデータベースに登録された市販の「心拍同期型ダミーパルス発生器」通称、チート・ハートだった。「やっぱりな……」 私はため息を吐き、フロントのログから先ほどまでこの部屋に滞在していた男女のマイナンバーを照会した。画面に現れたのは、木村勇気(三十二歳)と、清水沙織(三十一歳)。二人は夫婦ではない。それどころか、住民票の住所すら完全に別の大都市圏にある。 彼らは「プロの偽装パートナー」だった。



 今の日本において、三十歳を過ぎた独身者に課される月々五千円の独身税は、低所得層の喉元をじわじわと締め上げる。それを回避するために「書類上の婚姻」を選んだとしても、月間二百時間の「一・二メートル以内滞在規定」が待っている。その日常の網の目を潜り抜け、手っ取り早く「ナカヨシ・マイナポイント」の山を分け合うために、彼らはこの国立ラブホテルで肉体の結合を「偽装」するのだ。さらに枕元を確認すると、ゴミ箱の底から奇妙なものが検出された。使用済みの避妊具。いや、違う。それは生身の接触時に発生する摩擦熱と分泌液のpH値を完全に再現し、ホテルの自動査察AIに「生身の生殖行為」と誤認させるための、超精巧な生体模倣シリコン膜だった。本物の避妊具の持ち込みは不妊罪として刑事罰の対象となるが、これは「システムを騙すための偽装結合膜」である。私は部屋を出て、まだホテルの敷地内にある自動精算機の前に立っていた木村と清水の背後に音もなく近付いた。「木村様、ならびに清水様。人口増加推進課の佐藤です」声をかけると、二人は弾かれたように振り返った。その顔は、一瞬にして恐怖に染まる。「三〇六号室のバイオセンサーに、未認可のパルス発生器および生体模倣遮断物の設置が確認されました。これは国家生殖推奨事業に対する重大な欺瞞行為であり、婚姻関係の強制再起動、ならびに累積ポイントの全損処分に該当します」「待ってくれ、佐藤さん!」 木村が私の腕を掴もうとした。その手は、冷たく震えていた。「俺たちは、こうでもしないと来月の酸素の税金が払えないんだ! あいつら、物価を上げるだけじゃなくて、息をするのにも査定を入れ始めた! 沙織とはただのビジネスパートナーだよ、愛なんて一ミリもない。でもな、役所の作ったクソみたいな数値に命を握られて、無理やり抱き合わされるくらいなら、機械に愛を代行させた方がマシだろ!? あんたには、これが本当の人間の生き方に見えるか?」清水沙織は、ただ怯えた目で地面を見つめていた。その表情には、もはや怒りすら残っていなかった。「システムは、数値を真実とみなします」私は木村の手を静かに振り払い、事務的な微笑みを崩さずに手元の端末の執行ボタンを押した。「ですが、検知されたデータは偽物です。お二人の婚姻ステータスはこれより一分以内に強制停止され、再開通手数料として金五万円のペナルティが次月の口座から引き落とされます。お急ぎください。役所の処理は早い者勝ちです」

ピピッ、と無機質な電子音が二人のスマートフォンから同時に響いた。ポイント残高がゼロになり、優良市民の緑色のライトが赤く明滅を始める。二人は何も言わず、雨の甲州街道へと歩き去っていった。私は彼らの後ろ姿を見送りながら、自分の胸の奥に、消えない泥のような虚無感が沈殿していくのを感じていた。



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