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第一章 親密査察

 「規定値、一・二メートル。……加藤さん、あと三センチ左に寄ってください。計測器が仮面夫婦のシグナルを拾いかけています」翌朝、私は東京郊外にある「国家公認・第三地区連帯責任シェアハウス」の一室にいた。 木目調の狭いリビングに置かれたソファ。そこに並んで座る加藤拓海と美咲の二人に、私は携帯型の親密査察スキャナーを向けながら指示を出す。昨夜、私の管理する国立ラブホテルで手に入れた「ナカヨシ・マイナポイント」のおかげで、彼らの今月の生存コストは何とか維持されるはずだった。しかし、行政の網の目は甘くない。昨夜が最高値のイベントだったとすれば、日常の平均値を維持できているかを証明するのが、この抜き打ちの親密査察である。「す、すみません。これでどうですか……?」拓海が強張った笑顔で妻の肩を抱き寄せる。美咲の身体が一瞬、拒絶するように硬直したのを、私は見逃さなかった。手元の端末のインジケーターが、黄色から緑色の優良へと切り替わる。「結構です。基準値、月間二百時間の一・二メートル以内滞在は現時点でクリア。次月の酸素の税金全額免除措置は継続されます」私の言葉に、二人は同時に深いため息をついた。その息づかいすら、部屋の四隅に設置された交流監視カメラに記録され、人工知能によって真実の愛か演技かが解析されているというのに。このシェアハウスは、三十歳以上の独身者が税金減免のために共同生活を送るか、あるいは加藤夫妻のように婚姻継続のスコアが低い世帯が、国からのペナルティを避けるために強制入居させられる、いわば愛の更生施設だった。「佐藤さん」 美咲が消え入るような声で私を呼んだ。「私たち、ちゃんと愛し合っているように見えますか? システム的には、合格なんですよね」その問いは、役所の窓口で「この申請書で不備はありませんか」と尋ねるのと完全に同じトーンだった。恋愛感情が公務になり、ポイントという安っぽい報酬に換算され続けた結果、彼らの心は費用の費用対効果を計算するだけの機構へと用途変更されてしまっている。



 「システムは優良と示しています」 私は事務的な微笑みを崩さずに答えた。「ですが、共有スペースでの会話データに、やや冷淡な語彙が検出されています。第四四半期の査定までに、もう少し肯定的な形容詞を増やされることをお勧めします。もし仮面夫婦罰金が遡及適用されれば、現在のポイント残高では相殺しきれませんから」「……わかりました。努力します」 拓海がうつむく。



 玄関を出ると、冷たい五月の雨が降っていた。スマートフォンを取り出すと、人口増加推進課のグループチャットに、上司からの通知が届いていた。「今期の予算枠、残り二パーセント。未達世帯への婚姻関係強制再起動の督促状を本日中に一斉送信のこと。愛は早い者勝ち、役所も早い者勝ちだ」私は、濡れたアスファルトに反射する国立ラブホテルのネオンを見つめた。あのピンクと青の光の中にしか、今の人間は居場所を見出せない。傘を差し、次の査察先へ向かう私の足音だけが、無機質に響いていた。



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