19.めざめと疑惑
茫洋と霞む意識がじょじょに輪郭を取り戻す。深い、深い眠りからゆっくりと目を覚ましたアスタリテは、妙に凪いだきもちで見慣れた天蓋を見つめた。
――まちがいない。
ディアブロ伯爵邸の、自室のベッドだ。
「……どうして」
「姉上! お目覚めになりましたか」
「? エアリエル? なぜ……私」
「ああっ、動かないで。安静になさってください」
「わ、わかったわ」
体を起こそうとしたところをやんわりと押し止められ、再び寝台の住人となる。
窓の外は茜色。アスタリテは「どうして」と、もう一度だけ口のなかで呟いた。
夢……まさか、夢でも見ていたのだろうか?
あんなに鮮明な夢を?
エアリエルはサイドテーブルの銀のベルをちりんと鳴らし、心配そうに枕元の椅子に腰かける。
「いま、乳母やのターニャさんを呼びましたからね。伯爵夫妻は午後から社交にお出かけでしたが、じきに来てくださるでしょう。まずは〝なぜ〟の部分から。姉上は今日、学園で気を失われたのです」
「――!」
「大会本戦の魔法戦が始まってしばらくだったと、送ってくださった学園の先生から伺いました」
(学園の……? アロー先生かしら)
確認はあとにするとして、アスタリテは話の続きを促した。
記憶がなく、かつ本体としても昏倒したことが解せない。
いままで、起きているときの意識交代であれば、ベーゼリッテは素知らぬふりで成り代わっていた。今回のような失神など、最初に契約をしたとき以来だ。
エアリエルは痛ましそうに眉を寄せる。
「目前でご覧になった姉上には、さぞご負担が激しかったかと……。先ほど帰られたお医者様も『記憶の混乱があってもおかしくない』と仰っていました。思い出せずとも仕方ありません」
「ねえ、何があったの?」
ごく、と唾を嚥下する義姉に、養子の少年は青灰色の瞳を伏せる。ちいさく聖句を唱えると、胸の前で死者を悼む所作をした。
「国王陛下が――――身罷られました。観戦のさなか、突然のことでした」
***
「貴様、何をしている!」
「違っ……、ゆ、許してください! 僕は」
ハディートは闘技場内の一階通路を巡回中、不審な男子生徒を捕らえた。
正確には、生徒が歩いて来た方向に問題があった。カーテンのような目くらましの魔法がかかっており、偶然にも、そこから出てきた場面を目撃したのだ。
不審者の捕縛をハディートに任せたシュラトが中を覗くと、中はちょっとした作業スペースに変えられており、複数の木箱が並んでいた。箱には紙切れが入れられ、本戦出場者名と数字が書かれている。床に置かれた革鞄には、たっぷりとコインが詰まっていた。
シュラトは、ビアンカの見立て通りじゃないかと呆れた。
「参ったな、僕の名前まで。一番人気はもちろんギュナス先輩……だよなぁ。うんうん」
シュラトは頷き、めくった魔法のベールを元通りにした。調査には人手が要るし、ひとまず報告が必要と判断しての現場保持だ。
「よし。戻ろう」
「ええ」
将軍子息と公爵令息はげんなりと目配せを交わし、自称下級貴族の子息を学園警備員へと引き渡す。それから運営本部へと戻った。
いまごろは演目も終わり、ライドールの初戦が始まっているだろう……
そんな会話を交わしていたところだった。
ふたりは、闘技場フロアに出てぎょっとした。
正面の高い位置には貴賓専用ボックス席が設けられている。
そこから、突然悲鳴をあげた誰かが立ち上がり、何かを叫びながら手すりを越え、躍り出るように身を投げていた。
***
「ああ……! 私たちの可愛いアスタリテ。大変な目に遭いましたね。かわいそうに」
「お前のせいでも、誰のせいでもないのだからね。悲しいことだが、気に病みすぎないように」
出先からとんぼ返りをした伯爵夫妻は揃って娘の部屋を訪れ、アスタリテを順に抱きしめた。「寝てなんていられません。起きます」と言ったアスタリテの着替えを手伝ったばかりのターニャも気遣わしそうに胸の前で手を組む。
「大変なことでございます……まさか、国王陛下が」
誰もが言葉を惜しまずアスタリテを慰めるが、肝心の王の崩御に関しては皆、口を閉ざす。アスタリテも心を痛めつつ、違う理由で真っ青になった。
――ベーゼリッテがそのさまを貴賓席で間近に見たということは。
(いえ、そうとは限らない。けれど)
深まる疑念にひと掬いの光を垂らしてくれたのは、アスタリテの側で沈黙を守っていたエアリエルだった。そっと姉の背に手のひらを当て、元気づけるように支えてくれている。温もりが非常にありがたい。
「姉上に非はありません。火を見るより明白ではありませんか」
「……ありがとう」
アスタリテは、しくしくと痛む腹を押さえながら父を見上げた。
「こんなことになって。どうなるのでしょう」
「うむ。あらゆる国政はいったん凍結されるが、すみやかに国葬と王太子殿下の戴冠式は営まれるだろう。すまないが、休暇は返上だ」
「ええ、ええ。それはもちろんのことでございます」
アスタリテは頷いた。
たしか、アスタリテが幼いときにも国葬は行われた。それは亡き王太后陛下にまつわるもので、上級貴族の当主夫妻とその嫡子は必ず参列しなければならない。
ゆえに覚えている。父母とともに喪服をまとい、城へ向かったことを。
アルガスは申し訳なさそうに娘と養子のエアリエルを見つめた。
「城づとめの我々は国中に布告を出したり、近隣諸国に戴冠式の招待状を手配しなければならないのでね。ざっと見て、国葬は直近で一ヶ月後。戴冠式も日を空けずに組まれるだろう。ふたりとも同行してもらわねばならないから……トリア、よろしく頼むよ」
「はい。あなた」
楚々と伯爵夫人たる母が頭を垂れ、承諾を伝える。
本来の夏季休暇は二ヶ月。つまり、少なく見ても前半はレーゼじゅうがひっくり返るほど忙しいのだと、なりたての義姉弟は理解した。




