13.不測の事態? いいえ、想定内。
(これしかないわ)
アスタリテは、制服の上からそっと胸元を押さえた。
今日は二度目の魔法実践学。余人が少ない状況で、確実に件のコレル・アローと接触できる数少ない機会である。
ゆうべは、いっそずっと起きていればいいのでは……? とも考えたが、寝台に入ったとたんに熟睡してしまった。きっと、ベーゼリッテの仕業なのだろう。指輪がふたたび嵌っていたので。
どちらにせよ、乗っ取られるのなら自分の裁量で動く余地のある学園内のほうがいいと考えた。――少なくとも、昼間ならアスタリテは起きている。
ベーゼリッテは、彼と相対するときは意識を残してくれると約束したのだから。
そして、最大の好機。
「――では、今から初歩的な魔力制御を教える。教本を閉じて」
教壇からゆったりと降りた教師の長衣が重たげに揺れる。コツ、コツと靴音が近づく。端から順に指導すると宣言したコレル・アローは、手にしたちいさな蝋燭を各自の机の上に置いた。
まずはシュラトの元へ。後ろに回り込み、やや屈んで目線を合わせ、何ごとか話している。シュラトは頷き、落ち着いた様子で魔力を練っていた。
どうやらすでに制御の心得があるらしく、視線を蝋燭に向けると、あっさりと火を点ける。
「合格だ。今度は消すイメージを灯心に被せて。慣れるまで繰り返しなさい」
「わかりました」
次はカルマ。
彼もまた、そつなくやり過ごす。
セザール家は水の家系なんですが、などと軽口を叩きながらなので、ずいぶんと余裕だ。
真面目にやれ、とお小言が聞こえた。
そうして、最後はアスタリテ。
触れはしないが、後ろから目線の高さを合わせる方法は先のふたりと同様だった。
右耳のそばを低く掠める声が、ぼそぼそと手順を説明する。ひとまずはそれに耳を傾ける。
話し終えたコレル・アローは、おだやかに尋ねた。
「ここまででわからないことはあるか? 貴女にとっては児戯に等しい初歩だが」
「……先生は、私を買い被っておいでです。でも、やってみます」
「ああ。簡単すぎて勢いが余ることは気にするな。私が抑えよう」
「う、はい」
背中にぶわりと包み込むような霊圧を感じ、アスタリテは声を上ずらせた。
なるほど、以前ベーゼリッテの力の発現をその目で見たからだろう。少ない言葉からは最大限の注意が察せられる。
――万が一の暴発や、別の生徒の蝋燭に誤って火を点けたりしないよう、あらかじめ距離はとられている。
(いえ、発現しないことを私は心配しているんですが…)
アスタリテは気持ちを入れ替え、まずは教本で学んだ通りに呼吸を整えた。肩の力を抜き、両手を蝋燭に差し出す。
魔力制御は、体内に巡る『うねり』のような力を捉えることから始まるという。いまは、素直にそれを実践する。
(……熱よ、つどえ……灯れ!)
「!! 危ない!」
「え? あ、きゃあ!!」
アスタリテは思わず身を引いた。どん、と背中がうしろのコレル・アローによって受け止められ、轟々と火柱をあげる、炎そのものに炙られる。蝋はまたたく間に溶けていった。
驚いた双子が慌てて立ち上がる。カルマは、シュラトより早く駆けつけた。
「アスタリテ嬢! 先生、水魔法は」
「必要ない。想定内だ、カルマ・セザール。【――、――】」
「あっ……!?」
わけもわからぬまま片手で抱き込まれ、アスタリテは、コレル・アローがカルマの手を払い除けて短く何かを詠唱したのを聞いた。
とたんに火は消える。蝋は受け皿の上で溶け切っていたものの、周囲には焦げ跡すら付いていなかった。
「先生、これは?」
カルマのうしろから無傷の天井を確認したシュラトが問う。当然のようにアスタリテには怪我がなく、自身がしでかした実感もなかった。
チャ、と眼鏡のフレームを指で直したコレルは、淡々と告げる。
「こんなこともあろうかと、学園内には厳重に防御の魔法がかけられている。考えてもみなさい。王の子や、君たちのような高位貴族の子どもがわんさか集まるんだ。外部からのあらゆる攻撃にも耐えうるよう、手段はとられている」
「……いまの詠唱は? 古語のようでしたが」
「ああ。学園に設置された、護りの魔法を起動させる合言葉のようなものだ。教師でなければ意味を持たない、古い契約の言葉だよ。わかったら解散だ」
「え、……は?」
ぽかんと口を開ける双子に、コレル・アローがさっと動く。
アスタリテは、一瞬、宙を舞ったかと思った。
――抱き上げられていた。
「!!!?!?」
「帰りなさい。ディアブロは念のため、医務室へ連れて行く」
***
「先生っ、あの、歩けます!」
「喋らんほうがいいぞ。舌を噛む」
闊歩する長身の教師の行く手を阻むものはいない。
台詞通りに歩調は荒く、お世辞にも壊れ物を運ぶよう……とは言い難かった。
ぶつぶつと、しかも小声で愚痴られている。
「まったく、何なんだ貴女は。私で遊んでいるのか? それにしたって限度のない」
「……せん、せいは」
「ん」
ぴたりと足が止まる。
放課後だったせいか、養護教諭は留守だった。
それでも扉はひらいており、手慣れた様子のコレルはずかずかと入室する。
診察椅子にアスタリテを座らせると、手早く腰から上のあちこちを調べた。火傷の有無だろう。前髪一筋も焦げていないとわかると、ホッと息を吐く。
アスタリテは、おそるおそる尋ねた。
「先生は、私の内なる魔女をどうお思いですか?」
「貴女は、いまは『ディアブロ』か」
「はい」
作法に従って、扉は開け放たれている。やや遅れて双子の足音も聞こえてきた。追いかけてくれたのだ。コレル・アローは、教師権限で高速移動のスキル魔法も駆使していたのに。(※と、教室を出たとたん距離を空けられたカルマが叫んでいた)
むう、と、眉間にしわを寄せた教師が呻く。
それは、アスタリテも予想だにしなかった苦渋の声だった。
「どうせ、これも聞かれているんだろうが……。私は『君』を助けたいと思っている。それだけは信じてほしい」




