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武門侯爵家の嫡男 ~二つの血を継ぐ貴族の一代記~  作者: HATENA 
第一章 名を得た若君

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第9話 地図の向こうの森

 学習室のテーブルに、大きな紙が広げてあった。


 椅子に座る前から、緑色に塗られた所が見えた。近づくと、その横に細い線が何本も延びている。線の途中には、丸や四角があった。


「母上、これ、どこの地図?」

「レイゼル王国の東の方にある、お父さんの領地の地図よ。私たちの住んでいる所を探してみましょうか」


 母上が隣の椅子に座った。僕は紙を引き寄せようとしたけれど、端に本が載っているのに気付いて、手を止めた。紙が丸まらないように押さえているらしい。


「僕たちの家は、どこ?」

「まず、グレインハルトを探して。ほら、この字」


 母上の指の先を見た。知っている字を順に追って、小さな声で読んでみる。


「グレイン……ハルト」

「ええ。私たちが住んでいる都市ね」


 字の下には、太い線で囲んだ小さな形があった。中に細い線が交わり、その上の方に、小さな四角が描かれている。


 母上が、その四角を指した。


「私たちの家は、ここよ」

「こんなに小さいの?」

「地図ではね。町全体が入るように、小さく描いてあるの」


 門の外の道には、たくさんの家が並んでいる。あの家も道も、全部この線の中に入っているんだ。僕は、母上が指した小さな四角に指を置いた。


「じゃあ、庭もここに入ってる?」

「ええ。訓練場も、そこに入っているのよ」


 あんなに広い庭も、父上と稽古をした所も、僕の指一本で隠れてしまうんだ。


 町の外へ延びる線をたどった。下の方には、薄い色の四角がいくつも並んでいる。


「これは?」

「畑よ。穀物や野菜を育てている所」

「ここには、家はないの?」

「この畑で働く人は、町から出てくるの。仕事を終えたら、また町へ帰るわ」


 僕は、さっきの太い線の中を見た。畑のすぐ横で寝たら、次の日もすぐ働けるのに。


「どうして、帰るの?」

「町は結界に守られているけれど、畑はその外にあるのよ」


 結界は、魔物が入ってくるのを防ぐ魔法の守りだ。城も町もその内側にあると、前に教わった。でも、どこまでかを、こんなふうに見たことはなかった。


「この外には、ない?」

「ええ。お父さんの領地全部を覆っているわけではないの。強い魔力を持つ者が結界を支えて、騎士や兵も町を守っている。だから、人は守りのある町に集まって暮らすのよ」


 こんなに広い所を、結界で守っているんだ。僕は町を囲む線を、もう一度なぞった。


 その右上には、緑色が広がっていた。紙の端まで続いていて、どこで終わるのか分からない。


「こっちは、全部森?」

「大森林《だいしんりん》よ。町から東へ進むと、この森に着くわ」


 母上が町の右側から、森までの道を指でたどった。僕も同じ線を追う。町と森の間には、何も塗られていない所がある。


「近いね」

「紙の上ではね。荷馬車だと、町を出てから森の手前まで半日ほどかかるのよ」

「森に着くまでで?」

「ええ。そこから森の中へ入って、いろいろなものを採るの」

「何を?」

「木の実や、料理に使う香辛料。それから、この辺りでは、岩から塩や鉱石を採るわ」


 母上の指が、森の上の方へ移った。木の絵とは少し違う、灰色の小さな山が描いてある。


「塩も、森にあるの?」

「ええ。塩を採れる岩場も、魔物のいる土地の中にあるの。お菓子に載せる果物も、森で採ってくるものがあるわ」


 昨日は、空の馬車にお菓子を載せる真似をして遊んだ。お菓子に使う果物も、馬車でこんなに遠くから運んでくるんだ。


「僕も、見てみたい。塩の岩」

「森へ行ってみたいの?」

「うん! ここも、父上の領地なんでしょ?」

「ええ。でも、塩を採っている所にも魔物はいるのよ。お父さんの領地だからといって、襲われないわけではないの」


 緑色の所を見た。木の絵はいくつもあるけれど、魔物は描いていない。


「採りに行く人は、どうするの?」

「騎士たちが一緒に行くわ。先に魔物を倒したり、採りに行った人たちが働いている間、周りを見張ったりするの。普通の人だけでは倒せない魔物もいるから、誰をどこへ行かせるか、きちんと決めなければならないのよ」

「ラウルも行く?」

「お仕事で行くことはあるわ」

「魔物は、こっちには来ないの?」


 森から町の方へ指を動かした。母上は僕の指が止まった所を見た。


「森の外へ出ることは、めったにないわ。魔物は、魔力の豊かな所で暮らしているの。弱い魔物は、外に長くいると弱ってしまうから、ほとんど出てこないのよ」

「強いのなら、出られる?」

「出てくることもあるわ。だから、めったに来なくても、町の守りは必要なのよ」

「父上なら、強いのも倒せる?」

「ええ。でも、どんな魔物でも倒せるわけではないの。大森林には、強い貴族でも命を落とすほどの魔物がいるのよ」


 あんなに速く動く父上でも、何でも倒せるわけじゃないらしい。


 もう一度、紙の端を見た。森は、そこから先にも続いている。


「父上も、森に入ったことがあるの?」

「ええ。どんな所へ行ったのか、お父さんに聞いてごらんなさい」

「うん。聞いてみる」


 母上が、紙の端を押さえていた本を脇へよけた。少し丸まった所へ手を置き、僕の方を見た。


「今日はここまで。そっちを持っていてくれる?」

「待って。もう一回、見たい」


 母上は、紙を押さえたまま待ってくれた。


 グレインハルト。その上の方に、僕のいる城がある。そこから町の門を出て、道をずっと進むと、大森林だ。


 城の四角から町の門を通って森まで、指でもう一度たどってから、母上と地図を畳んだ。

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