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武門侯爵家の嫡男 ~二つの血を継ぐ貴族の一代記~  作者: HATENA 
第一章 名を得た若君

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第2話 呼ばれるたびに

 父上の所へ行くと、ギルベルトとエドガーが待っていた。


「アルヴィン様。おめでとうございます」


 ギルベルトが頭を下げた。


「ありがとう、ギルベルト」


 父上の隣に立ったまま、僕も教わったとおり頭を下げた。顔を上げると、エドガーも笑っていた。


 その後も何人かと挨拶をした。呼ばれるのは若君だったり、アルヴィン様だったりする。自分の名前が聞こえると、父上と話している途中でも、ついそっちを向いた。


 広間を出る頃には、襟の固いところが気になり始めていた。早く着替えたかったけれど、自分で留めた所を外すのは少し惜しかった。


 *


 夕方、マルタと食堂へ行くと、父上はもう席に着いていた。


 僕は式の上着を脱いで、いつもの服に着替えていた。父上の隣の椅子に座ると、向かいにいた妹が両手をテーブルへ載せた。


「にいさま、遅い」

「待ったの?」

「ずっと!」


 母上が妹の前にあったグラスを少し奥へ動かした。


「今、座ったところでしょう?」

「もう座ったの。にいさま、まだだった」


 妹は僕の椅子を指した。僕が座ったので、これでみんなそろった。


 弟も母上のそばで、使用人の膝に座っていた。片手で握った布を振って、僕の方へ差し出す。取ろうとすると引っ込めるので、もう一度手を出した。今度は自分の口へ持っていってしまった。


「あー」

「それ、僕にくれるんじゃないの?」


 弟は布をくわえたまま笑った。


 給仕の人が、大きな皿を運んできた。焼いた鳥の肉が載っていて、皮のところが茶色く光っている。僕の皿のそばには、とろりとした汁の入った小さな器も置かれた。


「これ、肉に掛けるの?」

「ええ。お好みでお使いください、若君」


 僕は器に鼻を近づけた。甘いような、少し酸っぱいような匂いがした。匙の先で少しすくって舐めると、果物の味がした。


「アルヴィン、皿をこっちへ寄せろ。肉を切ってやる」

「はい!」


 両手で皿を押すと、父上は切り分けた肉を載せてくれた。皮のついた大きなところだ。


「それで足りるか?」

「もう一つ。端の、それ」

「まだある。まずは食べてみろ」

「今日は多くてもいい?」

「いいぞ」


 父上は僕の皿を戻した。妹も自分の皿を持ち上げようとする。


「わたしも!」

「おう。置いたままでいいぞ」


 父上が手を伸ばして、妹の皿を手元へ寄せた。


「にいさまと同じのがいい」

「おう。小さく切ってやるからな」

「大きいのがいい」

「一口で食べられんだろう。ほら、皮のところは残してある」


 細かく切った肉が戻ってくると、妹はその中から皮のついたものを探した。僕も自分の皿へ向き直り、肉を一口分に切った。


 皮はぱりっとして、中から熱い汁が出た。次の一口に、さっきの甘い汁を掛けてみる。こっちの方がもっとおいしい。飲み込んでから、隣の父上を見た。


「父上、これ、掛けた?」

「いや。うまいか?」

「うん。こっちの方が好き」

「なら、俺にも取ってくれ」


 匙で汁をすくい、父上の皿へ手を伸ばした。少し遠くて腰を浮かせると、父上が皿を近づけてくれた。


「このくらい?」

「もう少し」


 匙を傾けたら、思ったよりたくさん落ちた。


「あっ」

「それくらいでいい。ありがとう」


 父上は汁の掛かった肉を切り、一口食べた。


「おお、いいな。セレスも食べたか?」

「ええ。私は野菜にも掛けてみたわ」

「野菜にも?」


 母上の皿には、赤い根菜があった。僕の皿の端にも同じものが二つある。小さい方に汁を掛けて食べてみると、いつもより甘かった。


「……こっちもおいしい」

「でしょう。大きい方も同じ味よ」


 僕が大きい方を食べるのを見て、母上は笑った。


 父上と母上が話を始めたので、僕はもう一切れ肉を食べた。弟は使用人の匙から、柔らかく煮た野菜を食べていた。空になった匙にも、口を近づけている。


 向かいでは妹が匙で切れ端を追い掛けていた。皿の端まで逃げたところで、マルタが皿を押さえた。


「こちらからすくってみましょうか」

「できる。わたしがする」

「はい。では、もう一度どうぞ」


 妹は口を少し開けたまま、匙を動かした。ようやく載ると、そのまま口へ押し込んだ。


 僕ならもっと大きいのも食べられる。残りの肉を大きめに切ってみた。


「アルヴィン」


 母上に呼ばれて、手を止めた。


「それは二つにした方がいいわ」

「……入るよ」

「口を閉じて食べられる?」


 僕は真ん中でもう一度切った。


 小さくなった肉を口に入れると、妹が僕を指した。


「にいさまも、小さいの」

「僕の方が大きいよ」

「わたしも、大きいの食べた」

「今のは、ちっちゃいだろ」

「ちっちゃくない!」


 妹は空になった匙を僕へ見せた。肉はもう口の中だ。父上が妹の方へ向いて、口の端を拭くよう教えた。


 マルタから布を受け取った妹が、顎の辺りを何度も拭く。僕は自分の布も取って、口を拭いた。


「母上」

「なあに?」

「アルヴィンって、母上も考えた?」

「ええ。お父さんと二人で」

「僕が生まれた時?」

「生まれてからよ。いくつか考えて、その中から選んだの」


 父上も食べる手を止めた。


「いい名だろう」

「うん!」


 僕はもう一度、自分の名前を心の中で呼んでみた。朝までは知らなかったのに、父上と母上は、ずっと知っていたんだ。


「妹のも?」

「この子のは、まだ内緒」

「僕にも?」

「五つになった時に、一緒に聞きましょう」


 妹が母上の袖を引いた。


「わたしも、五つ」

「まだ三つでしょう。あと二つ大きくなったらね」

「にいさまは?」

「僕は五つ。今日なった」

「じゃあ、わたしも」


 妹が指を広げて、僕に見せた。僕も片手を広げる。妹は僕の手と自分の手を見比べてから、母上の方へ向き直った。


「できたよ」

「五つの指は、ちゃんと出せたわね」


 母上がその手を取ると、妹は満足したようにまた肉を食べ始めた。


 僕は父上の腕を見た。テーブルへ置いた腕は、僕のよりずっと太い。名前をもらって、五つになっても、僕の腕は朝と同じ太さだった。


「父上。稽古、いつする?」

「三日後の朝はどうだ。庭でやろう」

「明日じゃないの?」

「明日は用があってな。三日後の朝なら、時間が取れるぞ」

「朝ご飯のあと?」

「ああ。食べたら支度をして来い」

「何を教えてくれるの? 剣?」

「剣を振る前に、まずは体の動かし方からだ」

「父上も一緒にする?」

「もちろんだ。俺が手本を見せる。お前はそれをまねしてみろ」

「それならできる!」


 父上が笑った。


「おう、楽しみにしているぞ」


 僕は膝の上で、片手の指を三本立てた。明日と、その次と、その次。少し先だったけれど、父上と稽古できる日は決まった。


「にいさま、こっちも」


 妹が手を伸ばした先には、まだ肉の残った大皿があった。もう少し欲しいらしい。僕が取ろうとすると、給仕の人が皿を持ってきてくれた。


「ここから選んでいいよ」

「これ」

「こっちじゃないの? 皮、ついてる」

「これがいいの」


 妹が指したものを給仕の人が取り分ける。小さな肉が皿へ載ると、妹はすぐに匙を持った。


「アルヴィンって呼んでみて」


 僕が言うと、妹は匙を止めた。


「ある……」

「アルヴィン」

「アルヴィン」


 ちゃんと呼べた。僕はうなずいて、妹が肉をすくうのを見ていた。


「にいさま、これ、すくえない」

「さっきみたいにすくったら?」

「落ちるの!」


 さっきは名前で呼んでくれたのに、また「にいさま」だ。マルタが妹の皿の端へ、肉を少し寄せた。


「名前で呼んでほしかったんじゃないのか?」


 父上に聞かれて、僕は首をかしげた。妹は顔を上げずに、肉をすくっていた。


「……にいさまでもいいよ。僕のことだし」

「そうか」


 父上はうなずいて、妹の次の一口を待った。今度は落とさずに食べられた。


 食事の終わりには、果物を載せた焼き菓子が出た。肉はいっぱい食べたけれど、お菓子も食べたい。果物がたくさん載った一切れを選んだ。


「それがいい」


 指したものが自分の皿に来た。果物の下まで匙を入れると、生地がほろっと崩れた。


「母上、ここ、甘い!」

「果物の汁が染みているのね。私にもそっちを少し分けて」

「ここ?」

「ええ、端のところ」


 母上が皿を差し出したので、まだ食べていない角を切って載せた。母上からは、上に果物が二つ載った小さなところをもらった。


 弟は途中で眠くなったらしく、抱いている使用人の服に顔を押しつけていた。母上がその人に寝かせてくるよう頼むと、妹も顔を上げた。


「わたし、まだ寝ないよ」

「ええ。お菓子を食べてから、お部屋に戻りましょうね」


 マルタに返事をして、妹は残っていた菓子をすくった。食べ終わると、マルタと手をつないで部屋を出ていった。


 僕の皿には、もう少しだけ残っていた。


「アルヴィン、食べられるか?」

「食べる。これ、おいしいから」


 最後の果物まで食べて、匙を置いた。父上は空になった皿を見てから、僕の頭に手を載せた。


「よく食べたな」

「お腹いっぱい」


 椅子を引いてもらって立つと、朝よりお腹のところだけ、大きくなった気がした。


 *


 夜、寝台へ上がる前に、母上が様子を見に来た。


 マルタが脇へよけると、僕は母上の所へ行った。差し出された手を握ってから、顔を上げる。


「三日後、父上と稽古するんだ」

「ええ。聞いていたわ」

「母上に教えてもらうのも、楽しみ」

「私もよ。まずはお父さんに、いろいろ見せてもらってね」


 母上が僕の髪を直してくれた。僕は寝台へ上がって横になった。


「おやすみ、アルヴィン」

「おやすみなさい、母上」


 布団を胸まで引き上げた。扉の所で、母上とマルタが小さな声で話している。


 あと三回寝たら、父上と庭へ行ける。僕は布団の中で指を三本立て、それから手を引っ込めて目を閉じた。

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