第1話 名前をもらう朝
「あの隊長を討て。深追いはするな」
「はい、父上!」
僕は剣の柄を握り直した。十二歳で初めて出た戦場は、怒鳴り声と鉄のぶつかる音で満ちていた。
敵の盾の列、そのすぐ後ろに、剣を振り上げて兵を動かしている男がいる。父上が指したのは、あの男だ。
「若君が出るぞ! 道を開けろー」
味方の兵が盾をずらした。開いた隙間へ足を向け、全身に魔力を巡らせる。いつもより強く地面を蹴ると、敵の槍先が一気に近づいた。
隊長の手前まで並ぶ兵へ左手を向け、雷を放った。
白い光が盾の列を貫いた。槍を構えた兵も、盾を掲げた男も、その後ろの兵も、声を上げる間もなく倒れた。焦げた匂いが鼻を刺す。死んだ兵の間に、隊長へ続く道が開いていた。
「貴族だ! 止めろ、通すな!」
隊長の声がした。脇にいた兵が槍を向けるより早く、僕はその道を駆け抜けた。さっきまで兵の後ろにいた男が、すぐ目の前にいる。
「くそっ!」
男が剣を振り下ろした。
父上の剣より、ずっと遅い。
刃をかわして踏み込み、男の喉へ剣を突き入れた。柄を伝って手に重みが返る。剣を引き抜くと、男は膝を折り、そのまま倒れた。
「敵の隊長、討ち取った!」
声は、思ったより大きく出た。近くの味方の兵が倒れた男を見て、僕の声を繰り返す。
「若君が隊長を討ったぞ! 押せえー」
敵が背を向けた。追おうとする足を止め、駆けてきた味方の兵を先へ通す。深追いはするな。父上の命令は覚えている。
胸の奥が熱かった。僕が挙げた戦功だ。剣を握ったまま、後ろにあるヴァルグレインの旗を見た。父上にも、今のを見ていてほしかった。
僕が父上から名前をもらったのは、その七年前。五つになった日の朝だった。
*
目を開けると、字が見えた。
寝台から起き上がっても、まだある。何もないところに、字だけが浮いている。
「……なに、これ」
読める字もあった。読めない字の方が多い。寝ぼけているのかと思って目をこすったけれど、消えなかった。
扉を叩く音がして、マルタが入ってきた。腕には僕の服を掛けている。
「お目覚めですか、坊ちゃん。おはようございます」
「マルタ、字がある」
「字、ですか? どちらに?」
「ここ。いっぱいあるんだ。ほら」
指をさして教えても、マルタは僕の顔を見て、それから僕が指した辺りを見ただけだった。
「私には見えませんねえ。……まあ、ステータスが見えるようになったのですね」
「これが、ステータス?」
「ええ。旦那様と奥様にもお知らせしましょう。まず、お着替えを」
五つになったら見えるって、母上が言っていた。僕はもう一度、字を見た。これが見えるようになったら、名前をもらえるんだった。
「もう起きてる?」
「お二人とも。坊ちゃんをお待ちですよ」
僕は布団を押しのけた。
母上には坊や、マルタには坊ちゃんと呼ばれてきた。早く、僕の名前で呼んでほしい。
「父上なら、これ読める?」
「ええ。難しい字もご存じですから」
「じゃあ早く行こう。こっちの袖、持って」
マルタが広げた袖へ腕を通す。靴を履く前に立とうとして、呼び止められた。
「お待ちください。裸足で行くおつもりですか」
「違うよ。履いていくの」
「では、足をこちらへ。……はい、もう片方も」
靴を履き終えると、今度こそ寝台を離れた。
廊下では、布を抱えた使用人が脇へ寄って頭を下げた。マルタはその人に広間の用意を頼み、僕を父上たちの部屋まで連れていってくれた。
「坊ちゃんがお目覚めです。ステータスが見えるようになったそうです」
「入っておいで」
母上の返事を聞いて、マルタが扉を開けた。僕は先に中へ入った。
「父上! 母上! ステータスが見えた!」
父上は手にしていたグラスをテーブルへ置き、母上は膝の上の紙を脇へよけた。
「おお、見えたか。どんな字だ?」
「いっぱい。読めないのもあるんだ」
「じゃあ、一緒に読んでみましょうか」
マルタは母上に式の服を持ってくるよう頼まれ、部屋を出ていった。僕は父上と母上の間へ寄った。
「母上は読める?」
「見せてくれたらね」
「見せてるよ」
「今のままだと、見えるのはあなただけなの。私たちにも見せようと思って、『ステータスオープン』って言ってみて」
「ステータスオープン」
母上が字の方へ顔を向けた。父上も椅子から少し身を乗り出す。
やっと見えたらしい。
母上の指が、数字の並んでいる所を示した。
「最大魔力量は、二千四百ね」
「それ、なに?」
「今のあなたが、体にためておける魔力の量よ。いっぱいまでためた時のね」
母上の指が、その下の欄へ移った。
「血統魔法は、ここね」
その下には、読めない名前が二つ並んでいた。
――――――――――――
【ステータス】
〈名前〉
〈魔力〉
・最大魔力量:2,400
〈血統魔法〉
・剛躯
・霆嵐
〈固有能力〉
〈スキル〉
〈称号〉
――――――――――――
「剛躯に……霆嵐?」
母上が読み上げ、指を止めた。
「ローデリク。見て、両方あるわ」
「ああ。二つとも継いだか!」
父上が笑って、僕の肩を大きな手で包んだ。母上も字と僕を見比べている。何かいいことだったらしい。僕は二人の顔を交互に見た。
「二つだと、いいの?」
「もちろんだ。こっちの剛躯は、俺と同じ力だ。体を強くして、もっと速く動いたり、強く打ったりできる」
「父上みたいに?」
「そうだ。お母さんの方も聞いてみろ」
僕が振り向くと、母上はさっきの字をもう一度指した。
「霆嵐。これは私と同じ、雷の力よ」
「雷も!? 僕も出せる?」
「ええ。これから、出し方を覚えていきましょうね」
父上と同じものと、母上と同じもの。二つの名前を見直した。さっきは全然読めなかったのに、どちらがどちらかはもう分かる。
「ごうく。ていらん」
「おう、よく言えた」
「父上は、母上のもある?」
「俺は剛躯だけだ」
「私も霆嵐だけ。両方受け継ぐ子は、すごく珍しいの」
父上の腕に触ってから、僕は自分の腕を見た。父上みたいに大きくなって、母上みたいに雷も出せる。早くやってみたかった。
「父上、どうやるの? 今、教えて」
「今からか?」
「小さいの。これくらいなら」
少しだけ離した両手を見せると、父上は喉を鳴らして笑った。
「そのくらい、ってのは何の大きさだ?」
「……雷?」
「それならお母さんの方だな」
母上まで笑うので、僕は両手を下ろした。何か違ったらしい。
「雷も、体の使い方も、順番に教えるわ。今日は先にすることがあるでしょう?」
「名前」
「そう。そっちを忘れられたら、お父さんが困るわね」
「忘れてないよ!」
父上はまだ少し笑いながら、僕にうなずいた。
「なら、支度をしよう。稽古はちゃんと付き合ってやる」
「母上も?」
「私も。楽しみにしていて」
僕は大きくうなずいた。二つとも教えてもらえる。まだ何もしていないのに、早く庭へ出たくなった。
「この字は、どうするの?」
「閉じようと思ってごらん」
母上に言われたとおりにすると、字が見えなくなった。もう一度見たい気もしたけれど、扉の向こうでマルタの声がした。
運ばれてきた上着は、いつものものより色が濃く、襟の縁に細い刺繍があった。マルタが僕の上着を替え、母上が前を整えてくれる。僕も留め具に指を掛けた。
「ここは僕がする」
マルタが上着の端を持ち直し、僕の指先を見た。
「では、お願いします」
小さな留め具を穴へ押し込む。なかなか向きが合わなかった。もう少しで入るのに、母上の手が近づく。
「待って。もうちょっと」
母上は手を止めて待ってくれた。押す向きを変えると、ようやく通った。
「できた!」
「ええ、できたわ。じゃあ、最後のところはマルタにお願いしましょう」
マルタが襟を直している間に、オスカーが扉の所へ来た。
「広間の用意が整いました、旦那様」
「ああ。その前に聞いておけ。息子は剛躯と霆嵐、両方を継いだ」
「両方を……。それは、おめでとうございます!」
オスカーの目が僕へ向いた。いつもより大きく開いている。
「よろしゅうございましたね、若君」
「うん。父上と母上に教えてもらうんだ」
「それは楽しみですね。では、まずはお名前をいただきに参りましょう」
オスカーが扉を大きく開けた。
母上が僕の手を取る。その手を握って、父上の後を歩いた。襟は少し固かったけれど、さっきの留め具はちゃんと留まっていた。
広間には、もう人が集まっていた。
騎士団長のギルベルト子爵が、父上に頭を下げた。後ろに並ぶ礼服姿の騎士数人も、それに続く。その隣には、政務官のエドガー男爵がいた。父上の部屋へよく書類を持ってくる人で、今日は襟の高い上着を着ている。
使用人たちも脇へ寄り、僕たちの通る所を空けてくれた。マルタは妹を連れ、別の使用人が弟を抱いている。妹がこっちへ手を振りかけ、マルタに何か言われて手を引っ込めた。
僕も、母上とつないだ手を振りかけて、指だけを動かした。
広間の前の方まで来ると、母上の手が離れた。
父上がみんなの方を向いて立つと、話し声がやんだ。顎を上げ、背筋を伸ばしている。
僕も上着の前を引っ張った。母上に教わったように足をそろえ、父上の顔を見上げた。
「本日、ヴァルグレイン侯爵家の嫡男は五歳を迎えた」
父上の声が広間に通った。
さっきまで僕に優しく話していた時とは違って、低く、重々しい声だった。
「この子に、アルヴィン・ヴァルグレインの名を授ける」
アルヴィン。
父上が続けた家の名は知っている。その前に付いた名が、僕のものだった。
忘れないよう、口の中で言ってみた。アルヴィン。今度はちゃんと声にしたくなった時、父上が僕を見た。
「アルヴィン」
「はい!」
大きな声が出た。後ろから弟の声もして、誰かが小さく笑ったけれど、僕は父上を見たままでいた。
「よく育ってくれた。これからも健やかに、大きくなれ」
「はい、父上!」
父上が手を伸ばして、僕の頭に触れた。手を下ろすと、もう一度みんなの方へ向き直った。
「アルヴィンは、我が家の剛躯と、妻セレスの霆嵐――二つの血統魔法を受け継いだ」
「両方を……?」
広間のあちこちから、ざわざわと声が上がった。振り向くと、騎士たちが顔を見合わせている。エドガーも目を大きく開いていた。
それから、広間に拍手が広がった。ギルベルトもエドガーも、父上の騎士たちも手を叩いている。いつも僕の世話をしてくれる使用人たちの顔にも、笑みが浮かんでいた。
頭を下げるのも教わった。少しかがんでから体を起こすと、まだみんな手を叩いてくれていた。顔が熱くなって、どこを見ていいか分からない。母上を探すと、すぐ隣にいた。差し出された手を握ると、母上が僕の顔を覗いた。
「おめでとう、アルヴィン」
母上の声で呼ばれると、父上の時とは少し違って聞こえた。でも、どちらも僕を呼んでいる。
「母上、僕の名前」
「ええ。あなたの名前よ」
「アルヴィン」
自分でも言うと、母上が嬉しそうにうなずいた。
拍手が静まって、広間にまた話し声が戻った。父上はオスカーから何かを聞き、僕の方を振り向いた。
「アルヴィン、こっちへ来い」
「はい!」
母上の手を離し、僕は父上の所へ行った。
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