第61話 タライ
小蓮のホーリーシールドの白い膜が、俺たちの周囲を包んでいる。
その外では、スケルトンたちが剣や槍を叩きつけていた。
カンッ。
カンッ。
カンッ。
乾いた音が何度も響く。
そのたびに、小蓮の肩が小さく揺れた。
「小蓮!」
「大、丈夫……」
声が細い。
顔色は悪い。
呼吸も荒い。
なのに、小蓮は両手を下ろさない。
ホーリーシールドが消えたら、動けない太野川たちがスケルトンに襲われる。それが分かっているから、限界でも踏ん張っている。
赤城さんが炎の剣を構えた。
「このままじゃ、小蓮がもたない」
真宮寺さんも剣を握り直す。
「リッチを倒すしかありません」
二人は同時に、光の膜の外へ出た。
赤城さんの剣に炎が宿る。
真宮寺さんの剣には、淡い白い光がまとわりついていた。
スケルトンが二人を止めようと前に出る。
「邪魔!」
赤城さんの炎の剣が横に走った。数体のスケルトンがまとめて黒い砂に変わる。
真宮寺さんも、その隙間を縫うように進む。
狙いは、リッチ。
黒い影は、広間の中央で浮かんでいた。
青白い光が、二人を見下ろしている。
「行きます!」
真宮寺さんが踏み込んだ。
その瞬間、リッチの姿が消える。
「――――」
赤城さんの耳元に、黒い影が現れていた。
「っ……!」
赤城さんの足が止まる。
炎の剣が、わずかに下がった。
続けて、リッチが真宮寺さんの横に現れる。
「――――」
「……くっ」
真宮寺さんの肩が震えた。
剣先が揺れる。
二人とも倒れてはいない。
けれど、動きが明らかに鈍くなった。
「赤城さん! 真宮寺さん!」
俺は叫ぶ。
赤城さんと真宮寺さんは、何とか耐えている。
リッチが、二人の間を滑るように動く。
黒い霧が広がる。
周囲の骨片が震え始めた。
またスケルトンを増やすつもりだ。
「まずい……」
太野川も、脛比も、赤城パーティの人たちも、恐怖で体が重そうだった。
小蓮はホーリーシールドを保つだけで精一杯。
俺はリッチを見た。
こいつをどうにかしないと。
リッチの青白い光が、ゆっくり俺へ向く。
黒い影が、音もなく近づいてきた。
また耳元に来る。
そう思った、その瞬間だった。
リッチの真上に、銀色の何かが現れた。
丸い。
浅い。
光っている。
タライだった。
「……は?」
俺が言うのと同時に、それは落ちた。
カァァァンッ!
銀のタライが、リッチの頭らしき場所に直撃した。
顔のない黒い影の上で、ありえないほど間抜けな音が響く。
リッチの青白い光が、大きく揺れた。
黒い霧が乱れる。
それだけじゃなかった。
広間の上空に、次々と銀色のタライが現れた。
一つ。
二つ。
三つ。
いや、もっとだ。
大量の銀のタライが、スケルトンたちの頭上に浮かんでいる。
「まさか……」
脛比が呟く。
次の瞬間。
カンッ。
カンッ。
カンッ。
カンカンカンカンッ!
銀のタライが、スケルトンたちの頭に次々と落ちた。
剣を構えていたスケルトン。
槍を持っていたスケルトン。
盾を掲げていたスケルトン。
全員、頭にタライを食らって動きが止まる。
中には頭蓋骨が砕け、そのまま黒い砂になるものもいた。
広間中に、間抜けな金属音が響き渡る。
「何でタライ!?」
太野川が叫んだ。
リッチは空中で揺れていた。
銀のタライを食らったせいか、黒い霧が大きく乱れている。
スケルトンの操作も、一瞬止まったように見えた。
赤城さんが顔を上げる。
「今!」
炎の剣が強く燃え上がった。
真宮寺さんも、歯を食いしばって剣を構える。
「はい!」
二人が同時に踏み込む。
赤城さんの炎の剣が、リッチの黒い霧を斬り裂いた。
真宮寺さんの白い光をまとった剣が、その中心を貫く。
リッチの体が、大きく歪んだ。
「――――!」
初めて、リッチの声らしきものが広間に響いた。
呪言ではない。
ただの叫びに近い音。
黒い影がほどけていく。
青白い光が揺れ、薄くなり、消えかける。
「もう一撃!」
赤城さんが叫ぶ。
真宮寺さんが頷く。
二人の剣が、もう一度リッチを斬った。
黒い霧が弾ける。
青白い光が砕けた。
リッチの体が、空中で崩れていく。
同時に、周囲のスケルトンたちも動きを止めた。
カタカタと震えていた骨が、次々と黒い砂へ変わっていく。
一体。
二体。
三体。
広間を埋めていたスケルトンの群れが、まるで糸を切られたみたいに崩れていった。
静けさが戻る。
いや、完全な静けさではなかった。
最後に残った銀のタライが、床へ落ちた。
床に転がる銀のタライは、少しへこんでいた。
カラン。
広間に、妙に軽い音が響いた。
その直後、タライは白く薄れて、煙のように消えた。
「……」
誰も喋らなかった。
赤城さんも。
真宮寺さんも。
小蓮も。
太野川たちも。
小蓮のホーリーシールドがふっと消えた。
俺はすぐに振り返る。
小蓮はその場に膝をついた。
顔色は悪い。
でも、意識はある。
「……大丈夫。ちょっと、疲れただけ」
赤城さんが小蓮のそばに膝をつく。
「小蓮、よく耐えた。あなたが頑張ってくれたから、全員助かった」
小蓮は小さく頷いた。
けれど、その直後。
小蓮の体が、ぐらりと傾いた。
「……小蓮?」
俺が呼ぶと、小蓮は小さく顔を上げようとした。
でも、できなかった。
両手が震えている。
肩が大きく上下している。
息を吸おうとしているのに、うまく吸えていない。
「小蓮!」
俺は駆け寄って、小蓮のそばに膝をつく。
顔色が悪いなんてもんじゃない。
唇から血の気が引いて、額には冷たい汗が浮かんでいた。
「っ、は……」
小蓮の体が、びくりと震えた。
発作がさっきよりひどくなっている。
「小蓮、喋るな!」
小蓮は呼吸をしようとしている。
でも、胸がうまく上下しない。
さっきまでみんなを守っていた白い光は、もうどこにもなかった。
「小蓮!」
俺が手を握ると、小蓮の指は冷たかった。
こんなに冷たいのかと思った。
「夏……」
小蓮が、かすれた声で俺を呼ぶ。
赤城さんが顔を上げる。
「すぐ門に戻る。ここで処置しきれない」
小蓮の呼吸が、また乱れる。
「はっ……はっ……」
「小蓮!」
返事はない。
小蓮の瞳は焦点が合っていなかった。
リッチを倒した。
全員助かったはずだった。
なのに。
小蓮の呼吸だけが、広間の中で細く、危うく揺れていた。




