第5話 門の発生とジョブ判定の歴史
先月、卒業したばかりの佐々森第二学園。その正門を、俺はもう一度くぐっていた。制服じゃない格好でこの門をくぐるのは、まだ少し変な感じがした。
春の風が、校舎の白い壁に沿って吹き抜ける。
今日から――。
学校の敷地内に併設された《アトラス探索者養成所》に通うことになる。
ここに入れるのは、ジョブ判定を経て覚醒者になった者だけだ。その中でも、実際に探索者になると決めた人間だけが訓練を受ける。
座学。
実技。
模擬戦闘。
そして最後には、本物の異世界実習。
一か月。
長いようで、たぶん短い。
異世界の探索は、常に命懸けだ。モンスターは、探索者を見ると必ず襲ってくる。しかも、ゲームじゃない。目が合う、叫ぶ。それを倒す。さらに攻撃されれば、痛みもある。それに耐えられない人間は、探索者に向いていない。
もし向こうで死ねば、門外追放。強制的に門外へ排出され、ジョブを失い、異世界での記憶も消え、そこで探索者としての道は終わる。
養成所を出た者のうち、五年後に残っているのは半分以下。そんな噂もある。消えた連中がどこへ行ったのか、誰も深くは語らない。
……やめたくなったら、やめればいい。
そう自分に言い聞かせながら、入り口の前で足を止める。養成所の入り口には、大きな掲示板が立っていた。
《探索者科 クラス編成》
1クラス20人の全2クラス
ざわめきの中、俺は自分の名前を探す。
――そして。
「うわ……」
その名前の並びを見た瞬間、足が重くなった。
◇
「ハハハ、来たぞ」
「ヒヒッ、マジかよ」
「フフ、ほんとに来た」
――やっぱりな。
教室に足を踏み入れた瞬間、それだった。予想はしていた。していたからこそ、今さらそんなに堪えもしない。
お笑い師。
ステータス合計50。
笑われる理由としては、十分すぎる。
窓際の席で、太野川たち三人が腹を抱えていた。わざとらしく俺を指差し、机を叩きながら笑っている。まるで、珍しい生き物でも見つけたみたいな顔だ。
周囲の何人かが、ちらりと俺を見る。けれど、すぐに目を逸らした。関わらないほうがいい。そういう空気だった。
そのとき。
「ポーン」
乾いた、小さな音がした。
――?
思わず立ち止まる。
今の、何だ?
スピーカーか。
誰かの端末か。
教室を見渡す。
けれど、誰も反応していない。
太野川たちは相変わらず笑っている。
……俺だけ、聞こえた?
これが耳鳴り?
ストレスのせいで、「キーン」とか「ジジジ」とか言うのを聞いたことがある。少し音が違うようだけど、このところの状況はかなりのストレスには違いない。
俺は三人から一番遠い席に腰を下ろした。
「ばかとののステータス見たか?」
「見た見た。オレちゃんなら外歩けないね」
「ボクも無理」
また、笑い声が上がった。
◇
チャイムが鳴った瞬間、ざわついていた教室がすっと静まった。全員が席に着くと、天井のプロジェクターが淡く光る。教室の照明が落ち、空間の中央に光が集まった。
そして、ホログラムの教師が、ゆっくりと浮かび上がる。
「ではこれから、門の発生からジョブ判定制度までの歴史を学びます」
声は機械的なのに、不思議とよく通る。空中に地図が展開され、過去の映像データが映し出された。
「最初の異変は、今から二十年前。黒い穴のようなものが各地に現れました。周囲では野生動物の異常行動、謎の黒い影の目撃報告が相次ぎました」
映像には、森の奥にぽっかりと開いた闇。
揺れる草木。
逃げ惑う鹿。
「しかし、数日後それらは消失。当時は都市伝説扱いでした」
(……二十年前)
俺が生まれる少し前だ。
「そして十八年前。未曾有の大地震が発生しました」
スクリーンが一瞬、激しく揺れる映像へ切り替わる。
「地球全土を襲ったとも言われています。ですが――都市や建物に被害はありませんでした」
教室の空気が、わずかに変わる。
あの“奇跡の地震”だ。
揺れだけがあって、何も壊れない。
俺の家の近くにも門ができたと両親は言っていた。しかも、とんでもなく揺れたのに皿一枚割れなかったと。
「この地震を境に、世界各地に門が出現しました」
ホログラムが、黒い門を映し出す。
柱に嵌め込まれた黒い石。
「石に触れ、文字を読むことができる者がいることが判明。彼らは覚醒者と呼ばれました」
(門文字……)
俺も、読めた。
見たこともないのに。
「門の向こう側は“異世界”と命名されました。覚醒者の中から、異世界に赴く者を探索者とする制度が確立します」
映像は一変する。
モンスター。
巨大な森。
光る鉱石。
「異世界資源の持ち帰りにより、地球の技術革新は飛躍的に進みました。エネルギー革命、医療革命、AIの急速発展」
門の周辺に都市が形成されていくCGが表示される。
発電所。
研究所。
ギルド。
そして養成所。
「門の発生から二年後、ベーシックインカム制度が導入されました。生活保障が確立され、社会構造は大きく変化しました」
階層化……。
上級層。
中級層。
下級層。
最下層。
「そして十三年前、ジョブ判定制度が開始されます」
空中に、黒いオーブの映像が浮かぶ。
「それ以前は、特定条件を満たした覚醒者のみが異世界へ行けました。しかし制度化により、一定の訓練を受ければ探索者になれる時代が到来しました」
教室のどこかで、誰かが小さく息をのむ。
「重要なのは四年前です」
映像が成人式の様子に切り替わる。
「成人式とジョブ判定が統合されました。これにより、十八歳は社会的成人であると同時に、覚醒者としてのスタート地点に立つことになったのです」
……スタート地点、か。
俺は、本当に立てているのか。
お笑い師で。
ステータス合計50で。
ホログラムの教師は、ゆっくりと教室を見渡す。その視線が一瞬、俺を通り過ぎた気がした。
「あなたたちは、これから異世界の探索者として可能性を広げていきます」
静かな声だった。
「その可能性をどう活かすか。世界に何をもたらすか。それは――あなたたち次第です」
教室が、しんと静まり返る。
チャイムが鳴ると同時に、照明が一斉に点いた。まぶしい白い光が、半分眠気に沈んでいた教室を照らし出す。
一時間目が終わった。
◇
机に突っ伏して寝ていた連中が、チャイムと同時にのそりと顔を上げた。目が半分しか開いていないやつもいるし、今どこにいるのか分かっていなさそうなやつもいる。
教室が、一気にざわめき出す。
飲み物を飲む音。
椅子を引く音。
誰かの笑い声。
――そして。
「おい、バカとの」
嫌な声が、すぐ後ろから聞こえてきた。
振り向かなくても分かる。太野川だ。いつの間にか俺の後ろの席にどっかり座り、脛比と骨田は隣の机に腰かけている。完全に囲みの形だった。
「おい、バカとの。お前、実習どうすんだ?」
「オレちゃんの近くで踊ってたら、笑ってあげるけど」
「ステータス、ボクたちの半分だけど大丈夫?」
教室の何人かが、気まずそうに視線を逸らした。
(……実習)
そうだ。
座学の後には実技。
そして最後は、異世界実習。
お笑い師に、何ができる。
本気で分からない。
「悪い、ちょっとトイレ」
それだけ言って立ち上がる。これ以上ここにいると、ろくなことにならない。
通路を歩き出した、その瞬間。
「ヘブシッ!」
自分でも聞いたことのない、間抜けすぎるくしゃみが飛び出した。しかも、片足を上げたまま、体が空中で止まる。
え?
視線を落とす。俺の足の下に太野川の足が、にゅっと突き出ていた。
(引っかけるつもりだったのか)
一拍。
「ハハハ! ヘブシッだってよ!」
「ヒーっ、ヒヒ! ヘブシッ!」
「フフフ! ヘブシ!」
俺は何も言わず、その突き出た足をまたいだ。
ゆっくりと。
振り向かず、そのまま教室を出る。背後では、まだ「ヘブシッ」が連呼されていた。笑い声が、廊下まで追いかけてくる。
その笑い声より近く、耳の奥が鳴った。
「――ポーン」




