第4話 四層の世界と一つの願い
レンジの「チン」という音が、静かなリビングに響いた。皿を取り出して、テーブルに並べる。
味噌汁、焼き魚、煮物、白いご飯。
「いただきます」
俺の両親は、「はがとの食堂」という小さな店をやっている。元ホテルシェフだった父さんが、母さんと結婚して始めた店だ。高級路線にだってできたはずなのに、二人が選んだのは大衆食堂だった。
「気軽に来られる店がいい」
それが、父さんの口癖だ。
昼前から夜まで働いて、店は繁盛している。でも、値段が安いから儲けは多くない。もっと稼ごうと思えば、たぶんいくらでもやりようはある。それをしないのが、父さんらしかった。
ベーシックインカムが始まってから、この国は4つの層に分かれた。
働かなくてもお金が回る上級層。
そういう人達を相手にして稼ぐ中級層。
生活に必要な仕事を担う下級層。
そして、ベーシックインカムだけで暮らす最下層。
乱暴に分ければ、そんな感じだ。うちは、その中だと中級層まではいかないか。ちゃんと食えるが、金はない。かといって不幸でもない。
それでも、差はある。
太野川たちの家は、たぶん中級層ってやつだ。親は上級層相手の仕事で稼いでいて、昔からどこか余裕があった。“俺たちは下じゃない”と、言葉にしなくても伝わってくるような感じだ。
だけど、ジョブ判定までは露骨じゃなかった。もし俺が覚醒して、あいつらがしなかったら、立場がひっくり返る可能性もあったからだろう。
そして今日。
あいつらは戦闘系ジョブの覚醒者になった。
だから――あの呼び方だ。
「ばかとの」
急に、隠す必要がなくなったんだろう。
まあ、分かりやすい。
箸を止めて、焼き魚を一口食べる。
……うまい。
やっぱり父さんの料理はうまい。
変な肩書きも、ジョブもいらない。
これだけで十分だと思える味だった。
茶碗のご飯を、最後まできれいに食べ切る。
ひと粒も残さず。
「ごちそうさま」
◇
食器を流しに運び、水を出す。蛇口の音の向こうで、テレビのニュースが続いていた。
『本日、門外追放となった探索者は三名――』
手が一瞬止まる。
「次のニュースは――」
ニュースキャスターは淡々と続けた。
門外追放。それは、異世界で命を落としたという意味だ。
探索者は門の向こうで資源や素材を手に入れ、大金を掴むことができる。けれど同時に、必ずモンスターと戦うことになる。
そして――死ねば強制的に門の外へ排出される。
ジョブは消える。
異世界での記憶も消える。
ジョブ管理局のデータからも削除される。
まるで、最初からいなかったみたいに。
テレビの画面は、何事もなかったかのようにCMへ切り替わった。
蛇口を閉める。
キッチンに、水音だけが残った。
今日、三人か。
多いな。
◇
脱衣所で服を脱ぎ、浴室へ入る。
湯船に肩まで浸かると、全身の力が抜けた。
天井を見上げる。
お笑い師で、ステータスも低い。本当に死ぬわけじゃない。門外追放になるだけだ。だけど――、向こうで死ぬときって、どんな感じなんだろう。ニュースは、そこまでは教えてくれない。
しばらくぼんやりしていると、頭がボーッとしてきたから、のそりと湯船から出る。
風呂上がりに冷蔵庫から水を取り出し、一気に飲む。冷たさが喉を通っていく。
椅子に座って個人端末を開き、検索欄に打ち込む。
“お笑い師“
表示されたのは、ジョブ管理局の登録データだった。
登録人数、十名。
……少な。
全員、俺と同じステータス数値。
体力 10
魔力 10
筋力 10
素早さ 10
頑丈さ 10
そして――。
「……は?」
名前を見て、思わず声が漏れた。
誰でも知ってる映画俳優
国民的アイドル。
SNSで話題のモデル。
朝の情報番組で人気のタレント。
海外でも名前が知られているダンサー。
全員、美男美女だった。ほとんどの国民が知っていてもおかしくない有名人ばかりだ。
……ちょっと、待て。
父さんや母さんなら、まだ分かる。
あの二人は、たしかに見た目がいい。
でも俺は。
普通だ。
というか、かなり普通だ。
なんでだ。
美形限定ジョブなのか?
そんな仕様あるか?
スクロールする。データは、それだけだった。能力の説明も、傾向も、何もない。データに残らないから、門外追放で消えた人がいるのかもしれないし、残りの5人については、何も分からなかった。
黒くなった画面に映る、白髪の自分と有名人たちの顔写真を見比べる。
――共通点はない。
湯気の残る部屋で、俺はしばらく無言だった。
◇
飲み終えたコップを台所に持っていこうと立ち上がった、そのとき。
「ただいまー!」
玄関から、母さんの明るい声が響いた。
続いて、ドアの開閉音と足音。
両親がリビングに入ってくる。
俺は椅子に腰かけたまま、少しだけ姿勢を正した。
「おかえり」
母さんはダイニングテーブルに買い物袋をどさっと置いて、振り向く。
「夏、ジョブ判定どうだった?」
――きた。
「ついたよ。一応」
なるべく軽く言ったつもりだった。
「よかったわねー」
母さんはぱっと顔を明るくして、袋から野菜や肉を取り出し始める。父さんはソファに腰を下ろし、こっちを見た。
「で? なんだった」
父さんは、いつもストレートだ。俺は一瞬だけ視線を泳がせてから、口を開いた。
「……お笑い師」
「お笑い師?」
母さんの手が、ぴたりと止まる。
「モニターにも出てたし、俺にもそう読めた。珍しいジョブらしい」
父さんは何も言わない。ただ、じっと俺を見ている。母さんは「へえ……」と少しだけ声を上ずらせ、そのまま椅子に腰を下ろした。
「どんなジョブなの?」
「分からない。まだ何も。ただ……古沢真佐もお笑い師だったらしい」
「えっ、あの国宝級イケメンって言われてる人? 全然知らなかったわ」
「俺も今日初めて知った」
個人端末を操作して、お笑い師だった人達の写真を母さんに見せる。
並ぶ名前。
並ぶ顔写真。
どれも、出来すぎなくらい整った顔立ちだ。
母さんは画面をのぞき込んで、ぽつりと言った。
「……みんな美形ばっかりじゃない」
「そうなんだよ」
「夏は、お母さんから見たらいい男だと思うけど――あの人たちほどじゃないわねー」
そんなの自分が一番わかってる。
話題を変えよう。
「ところで、小蓮はどうだった?」
「大丈夫よ。少し安定してきたみたい」
妹の小蓮は昔から体が弱く、時々入院して、薬も飲み続けないといけない。
「午前中の早い時間に判定してもらったわ。聖者だった」
「知ってる。さっき見たよ」
「女の子だから、聖女って呼ばれるかもね」
小蓮が聖女。
なんだろう、その違和感。
(あいつ、聖女っていうより、拳聖のほうが似合う気がするんだけどな……)
昔から気が強くて、行動力の塊みたいなやつだ。
「でもね。今の体調じゃ異世界に行くのは難しいかもしれないわ」
母さんの声が、少しだけ沈む。当然だと思う気持ちと、何か急かされるような感覚。胸の辺りがザワザワする。
父さんが、そこでようやく口を開く。
「それで夏。ステータスは?」
「……低い」
正直に言う。
「夏は、そんなジョブでも探索者になるの?」
母さんは真っすぐ俺を見る。
心配している目だった。
俺は少しだけ肩をすくめる。
「別にさ。ただ異世界に行ってみたいだけだよ。何ができるか分からないけど……。とりあえず養成所には行ってみる」
「そう……」
母さんは小さくうなずいた。
「無理だけはしないでね」
父さんが、静かに付け加える。
「帰ってくることを最優先に考えろ」
俺はうなずく。
「ああ。きっと大丈夫だよ」
上手く笑えていたかは分からない。
だけど、少なくとも今は笑っておくしかない。
「そうだ、母さん。これ、バイト代」
カバンから封筒を取り出して、テーブルに置く。
「卒業後だから長期休みと同じ扱いで、十万稼げた。今回は五万でいい? 残りは、ちょっとでもいい装備があれば買おうと思って」
母さんが驚いた顔をするより先に、父さんが口を開いた。
「今回はいらない」
「え?」
父さんは静かに俺を見る。
「夏が今まで家に入れた金額、いくらだと思う?」
「……いや、特に数えてないけど」
「130万以上だ」
「え!?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「そんなに?」
少しだけ誇らしかった。
でも、その気持ちはすぐに消えた。
「本当は……、取っておくべきだったの」
母さんの声が震える。
「でも、ほとんど使わせてもらったわ」
知ってる。
言わなくても分かってる。
小蓮の薬代だ。
現代医療では治らない。異世界素材で作られる回復薬じゃないと効かない。しかも探索者用だから、一本で何十万もする。繁盛しているとはいえ、大衆食堂だ。薬代を払えば、余裕なんて残らない。
「別にいいよ」
軽く言う。
「そのためにバイトしてたんだし」
母さんの目が潤む。それ以上、空気が重くなる前に、俺は立ち上がった。
「明日から養成所だし、もう寝るよ。父さん、母さん、おやすみ」
封筒を母さんの手に押し込む。
「夏、それとは別――」
呼び止める声を聞かないふりをして、階段を駆け上がった。
◇
自分の部屋に戻る。
電気はつけない。
暗いまま、ベッドに倒れ込んだ。
天井が、ぼんやり見える。
――今年に入ってから、ずっと考えていた。
異世界に行けば、小蓮の薬の材料を、直接手に入れられるかもしれない。だから、戦闘系のジョブになりたかった。
できれば、魔法使いに。レベルが上がれば、一人で多数を相手にできる。誰かに頼らず、自分の力で素材を探しに行ける。
人任せじゃなく。
自分の手で。
……なのに。
「お笑い師、か」
暗闇の中で、小さく呟く。ステータスは低い。下手をすれば、ジョブを失い門外追放。記憶も消える。
それでも。
布団を握る。
小蓮の顔が浮かぶ。
病室で、強がって笑うあいつの顔が。
「行くしかないだろ」
不安を抱えたまま、いつの間にか意識は沈んでいった。




