第44話 食事会
迎えの時間に家の前で立っていると、黒い高級セダンが停まった。助手席から黒いスーツの人が出てきて、後ろのドアを開けてくれ、中に乗り込む。
そして、一軒の小さな料亭へ到着した。もっと大きなホテルとか、いかにも高級そうな店を想像していたので、少し意外だった。
門の横には手入れされた植木が並び、石畳の先に、落ち着いた明かりの玄関が見える。
「こちらへどうぞ」
スーツの人に案内され、中へ入る。
畳の匂い。
静かな廊下。
遠くで水の流れる音がした。
通されたのは、奥の個室だった。
中には、大きなテーブルがあり、向こう側の椅子に三人が座っていた。
真ん中に、落ち着いた雰囲気の男性。たぶん、真宮寺さんのお父さん。
その隣に、真宮寺さん。
そして、もう一人。
金色に近い淡い髪をまとめた、色の白い女性が座っていた。年齢は、俺の母さんより少し上くらいだろうか。
真宮寺さんに、目元がよく似ている。青みがかった瞳が、こちらを静かに見ていた。
「来てくれてありがとう、羽賀登野くん」
男性が立ち上がり、右手を差し出した。
「初めまして、真宮寺真征です。真里亞の父です」
「あ、こちらこそ、初めまして羽賀登野夏です。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
慌てて頭を下げ、手を握る。
「そんなに固くならなくていい。君には、こちらが礼を言わなければいけない立場だ」
真征さんはそう言って、穏やかに笑った。
「こちらは妻のエリザベスだ」
紹介された女性は、ほんの少しだけ顎を引いた。
「……」
体調がまだ戻りきっていないのかと思った。
「初めまして、羽賀登野夏です。体調が良くなってよかったです」
俺が言うと、エリザベスさんは少しだけ目を細めた。
返事は、なかった。
少しだけ気まずい空気になりかけたところで、真征さんが明るい声で言った。
「さあ、座ってくれ。今日は君に直接礼を伝えたくてね」
「はい」
真征さんの向かいに座る。
料理が運ばれてくる。
小鉢、刺身、焼き魚。
どれも丁寧に作られていて、見ただけで分かるくらい上品だった。
正直、どこから箸をつければいいのか迷う。
「羽賀登野さん、苦手なものはありますか?」
真宮寺さんが聞いてくる。
「いや、特には」
「よかったです。ここの魚料理は美味しいので」
そう言う真宮寺さんは、異世界にいる時より、柔らかい顔をしていた。
母親が良くなったからだろうか。
それが分かって、少しだけ安心する。
「薬のこと、本当にありがとうございました」
真宮寺さんが、改めて頭を下げる。
「いや、俺は……」
「君が了承してくれなければ、使えなかった」
真征さんが静かに言った。
「リカバリードラフトは、すぐ効いたよ。今朝、久しぶりに妻が自分の足で部屋を出てきたよ」
「……そうなんですか」
「ああ。ここ一年、あれほど顔色が良かったことはなかった」
真征さんの声には、隠しきれない安堵があった。
それを聞いて、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「良かったです。本当に」
そう言うと、真征さんは深く頷いた。
「ありがとう」
その横で、エリザベスさんは箸を動かさず、静かに座っていた。
料理にもほとんど手をつけていない。
ただ、時々俺を見る。
どこか厳しさが混じっているような目だった。
「羽賀登野くん」
真征さんが話題を変える。
「それに、君は真里亞の恩人でもある」
「俺がですか?」
「そうだ。ブラックウルフ戦の話も聞いている。真里亞を何度も庇ったそうだね」
「いや、あれは勝手に体が動いただけで……」
言いかけると、真宮寺さんが少しだけ目を細めた。
「本当に、いつもそれですね」
「いや、本当だから」
「分かっています。でも、だからこそ困ります」
その言い方が、少しだけ柔らかかった。
真征さんがそれを見て、面白そうに笑う。
「真里亞が、こんなふうに言うのは珍しい」
「お父様」
真宮寺さんが少しだけ眉を寄せる。
「悪い悪い」
真征さんはそう言って笑った。
父と娘の会話としては、普通なのかもしれない。
でも、真宮寺さんが少しだけ困っているのが珍しくて、思わず見てしまう。
その時。
エリザベスさんの視線が、俺に向いた。
静かで、冷たい目だった。
でも、彼女は何も言わなかった。
ただ、俺と真宮寺さんを交互に見て、また視線を落とした。
食事は進んだ。
真征さんは、よく話しかけてくれた。
俺のこと、はがとの食堂のこと、小蓮の体調のこと、探索者としての今後のこと。
真宮寺さんも、何かと話をつないでくれた。
「羽賀登野さんのご両親は、食堂を経営しているのですね」
「ああ。小さい店だけど」
「一度、行ってみたいです」
「えっ」
「何か変ですか?」
「いや、真宮寺さんが来たら目立つだろうなって」
「そんなに目立ちますか?」
「目立つだろ。勇者で、真宮寺で……あと、綺麗だし」
真宮寺さんが一瞬だけ固まる。
真征さんが、にやりとした。
「ほう」
「いや、今のは変な意味じゃなくて」
真宮寺さんがこちらを見る。
真征さんが声を出して笑った。
「君は面白いな」
「そうですか……」
笑いながらも、心のどこかで少しだけほっとしていた。
真宮寺家。
身構えていたけれど、少なくとも真征さんは話しやすい人だった。
真宮寺さんも、いつもより少しだけ自然に見える。
けれど。
エリザベスさんだけは、最後までほとんど口を開かなかった。
食事が終わりに近づいた頃、真征さんが言った。
「羽賀登野くん。次の月光草の件だが、すでにいくつか情報を集め始めている」
「本当ですか」
「ああ。ただ、すぐ見つかるとは言えない。だが約束した以上、全力は尽くす」
「ありがとうございます」
「君も無理はしないことだ。真里亞からも聞いているが、危なくなるとすぐ前に出るらしいね」
「それは……」
反論できない。
真征さんがまた笑う。
そんな空気の中で、エリザベスさんが初めてはっきりと声を出した。
「真里亞」
低く、少し硬い日本語だった。
発音に、わずかに外国の響きがある。
部屋の空気が変わった。
真宮寺さんが背筋を伸ばす。
「はい、お母様」
「そろそろ帰ります」
「え……?」
真征さんも少し驚いた顔をした。
「エリザベス、まだ話の途中だ」
「十分です」
それから、俺を見た。
「羽賀登野さん」
「……はい」
「月光草の件については、感謝します」
声は丁寧だった。
「あなたが譲ってくれたから、私は助かりました。そのことは事実です。礼を言います」
「いえ……」
「ただし」
エリザベスさんの青い目が、まっすぐ俺を射抜く。
「それと、真里亞があなたと親しくすることは別です」
「お母様」
真宮寺さんの声が硬くなる。
エリザベスさんは止まらなかった。
「真宮寺家は、ただの家ではありません。私の実家も、かつては英国貴族の血筋に連なる家です。今は爵位こそありませんが、家には守るべき格式があります」
静かな声だった。
「真里亞は、真宮寺家の娘です。これから多くの責任を負う立場になります」
そして、はっきりと言った。
「申し訳ありませんが、身分の低い方と親しく付き合うことはできません」
時間が止まった気がした。
真征さんの顔から笑みが消えていた。
「エリザベス」
「あなたは甘すぎます」
エリザベスさんは真征さんを見た。
「恩人として礼は尽くします。必要なら援助もします。妹さんの薬のことも、できる限り協力すればいいでしょう。ですが、それ以上は違います」
「お母様、羽賀登野さんは――」
「真里亞」
エリザベスさんの声が、さらに硬くなる。
「あなたは自分の立場を理解しなさい」
真宮寺さんの手が、膝の上でぎゅっと握られるのが見えた。
俺は何も言えなかった。
真宮寺さんの顔を見ると、言葉が出なかった。
「……すみません」
なぜか、俺の口から出たのはそれだった。
真宮寺さんがこちらを見る。
「羽賀登野さんが謝ることではありません」
「いや……」
何を言えばいいのか分からない。
エリザベスさんは立ち上がった。
「真里亞、帰ります」
「私は――」
「帰ります」
短い言葉だった。
真宮寺さんは、しばらく動かなかった。
けれど、最後にはゆっくり立ち上がった。
その顔は、今まで見た中で一番硬かった。
真征さんが深く息を吐く。
「羽賀登野くん。すまない」
「いえ……」
「この件は、私から改めて――」
「あなたも帰りますよ」
エリザベスさんが言った。
真征さんは目を伏せた。
「……分かった」
真宮寺さんは俺の方を見た。
何か言いたそうだった。
でも、言葉にならないみたいだった。
やがて、真宮寺さんは小さく頭を下げた。
「……今日は、来てくださってありがとうございました」
「こちらこそ。ご馳走様でした」
それだけ返すのが精一杯だった。
三人は部屋を出ていった。
襖が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。
部屋に残された俺の前には、まだ温かい料理が少し残っている。
さっきまで和やかだった空気が、嘘みたいに消えていた。




