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第42話 羽賀登野小蓮1

 side 羽賀登野小蓮


 僕は、ベッドに寝たままの夏を見た後、しばらく自分の手を見つめていた。


 やっと震えはおさまっている。

 でも、手のひらにはまだ、夏の袖を掴んでいた感触が残っている気がした。


 昨日のことを思い出す。


 川沿いの倉庫に着いた時から、少し変だとは思っていた。


 リカバリードラフト。


 そんな大事な薬を受け取る場所が、あんな人気のない倉庫でいいのだろうか。


 胸の奥に、小さな違和感があった。

 でも、僕はそれを強く言えなかった。

 夏は、僕のために必死だったから。

 

 月光草を駄目にしたことを、ずっと気にしていた。だから、薬ができたと聞いて、信じたかったのだと思う。


 僕だって、少しくらい変でも信じたかった。

 もう夏が危ない場所へ行かなくて済むなら。

 異世界で痛い思いをしなくて済むなら。


 だから、あの扉をくぐった。


 白衣を着た男たちが出てきた瞬間、違和感がもっと強くなった。


 あの人たちの目は、おかしい。

 体調を心配している目じゃない。

 何かを、品定めするような目。


 僕は夏の袖を掴んだ。声を出したら震えてしまいそうで、ただ掴むことしかできない。


 夏は、僕を後ろに下げてくれた。


 いつもみたいに、全然強そうじゃない背中。

 でも、その時の僕には、その背中が頼もしく見えた。


 北海が小瓶を出した時、嫌な感じははっきり恐怖に変わる。


 淡い桃色の液体。

 照明を受けて、ぬめるように揺れている。


 僕はリカバリードラフトの本物を知らない。

 でも、あれが人を治すための薬だとは思えない。


 飲みたくない。


 ただ、それだけが頭に浮かぶ。


 その瞬間、夏が言った。


「小蓮には飲ませない」


 その声を、僕はたぶん忘れない。


 普段の夏とは違った。

 僕を守ろうとしてくれているのが分かった。

 安心する余裕はなかったけど、少しだけ嬉しかった。


 そして、男たちが近づいてくる。


 これから何をされるのか。考えたくないのに、嫌な想像だけが勝手に浮かんでくる。


 北海の持っていた小瓶が、最後に――夏の口に入った。


 そして、夏がそれを飲んだ。


 顔が赤い。

 足元もふらついている。

 明らかにおかしい。


 それなのに夏は、僕の名前を呼ぶ。


 小蓮、と。


 そのあと、夏はベッドに横になった。


 変な声で。


 ちょっとだけ、よ、と言って。


 あの薬は、あとでヴィーナスドロップだと聞いた。その時は名前なんて知らない。


 ただ、夏の様子がおかしいことだけは分かる。

 それなのに、北海たちは止まらなかった。


 夏が薬を飲んでも、まだ僕に近づこうとしてくる。


 でも、そこから先は、怖いのに、少しだけ現実感がなかった。


 ベッドの上の夏が、男の人たちを次々に倒していく。そんな、ありえない光景。


 意識はぼんやりしている。

 目もちゃんと開いていない。

 なのに、近づいた人が倒れていく。


 足が跳ねる。

 寝返りを打つ。

 ただそれだけなのに、男の人たちは顎を打たれたり、頭をぶつけたりして、床に転がる。


 怖いのに、頭のどこかで、夏らしいと思ってしまう。


 昔からそうだった。

 何かあったときは、必ず近くにいてくれる。

 

 僕が嫌なことを言われた時も。

 体調が悪くて不安だった時も。

 夏は、うまいことなんて言えないくせに、いつも近くにいてくれた。


 病院に運ばれてからも、夏はしばらく目を覚まさなかった。幸い何も問題はないということで、一晩様子を見るために入院になった。

 

 眠っている夏を見ている間、何度も同じことを考える。


 夏が、僕を守ってくれた。


 でも、夏が傷つくたびに、僕だけ無事でいていいのかと思ってしまう。


 僕は、守られてばかりでいいのだろうか。

 夏が僕を守ってくれるなら、僕も夏を守れるようになりたい。


 その思いが、胸の奥に残る。


 少し間抜けな寝顔だった。

 あんなことがあったのに、どこか安心しきった顔にも見える。


「……ありがとう、夏」


 ベッドの上で寝ている夏に向かって、小さく呟いた。


 そして、僕は思った。


 夏に言わなければいけないことが、二つある。


 今までずっと、言わずにいたこと。言えば、夏を困らせるかもしれないと思っていたこと。


 もし、僕の体調が悪くなって死んでしまうなら、そのまま言わずにおこうと思っていた。


 でも。


 元気になれるなら。

 ちゃんと夏の隣に立てる日が来るなら。


 全部、ちゃんと伝えよう。

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