第39話 罠
小蓮が帰ってきてから、俺は少しだけ迷って、「話がある」と切り出した。
錬金術師の北海に頼んでいたリカバリードラフトができたこと。今夜、それを一緒に受け取りに行くこと。
そう伝えると、小蓮は目を丸くした。
驚くのは当然だと思った。ずっと待っていた薬が、急にできたと言われたのだから。
けれど、小蓮が最初に口にしたのは、薬のことではなかった。
「夏に、錬金術師の知り合いなんていたの?」
……そっちかよ。
二人で夕食を取った後、8時半に家を出る。
両親には、ちょっと出かけると、置き手紙を置いておいた。
北海から送ってもらった地図を頼りに、川沿いの倉庫のような建物の前に立った。
古い建物だった。表の看板には、薄く消えかけた文字で「川北ギルド資材管理棟」と書かれている。
人の出入りもなく、窓の明かりもほとんどついていない。
「……ここ?」
小蓮が少し不安そうに建物を見上げる。
「地図だと、ここだな」
端末の画面を確認する。
位置情報は間違っていない。
だけど、正直、俺も少し引っかかっていた。
薬を受け取る場所にしては、あまりにも静かすぎる。
「病院じゃないんだね」
「急ぎで作ってもらったから、施設の都合があるって」
「ふうん」
小蓮は納得したような、していないような顔をした。
「どうした?」
「ううん。ちょっと変だなって思っただけ」
「変?」
「薬を渡すなら、普通は協会本部とか、病院とかじゃないのかなって」
確かに俺もそう思ったけれど、北海は川北ギルドの職員で錬金術師だ。少なくとも、薬の手配に関われる立場の人間ではある。
小蓮のために動いてくれていると思いたかった。
「北海が無理言って、急ぎで作ってもらったって言ってたからな。明日はここが使えないって」
「……そっか」
小蓮はそれ以上言わなかった。
その時、倉庫の脇にある通用口が開いた。
「おう、こっちだ」
中から顔を出したのは北海だった。
いつもの軽い笑み。
学生時代の時と、変わらないように見える。
「悪いな、こんな場所で。他の施設はもう閉まっててさ」
「それはいいけど、本当にここで受け取れるのか?」
「ああ。調薬に使った設備がこっちなんだ。薬は出来てるから、すぐ終わる」
北海はそう言って、小蓮に視線を向けた。
「初めましてかな。俺は川北ギルドの北海。羽賀登野から話は聞いてる」
「……羽賀登野小蓮です」
小蓮が少しだけ俺の後ろに下がりながら答える。
北海はそれを見て、にこりと笑った。
「リカバリードラフトは中にある。入って」
北海が扉を大きく開ける。
中は薄暗かった。入り口の上には白い灯りがついていて、床は妙に冷たそうな灰色だった。
「……夏」
小蓮が小さく俺の袖を掴んだ。
「大丈夫。俺も一緒にいる」
そう言うと、小蓮は少しだけ頷いた。
俺たちは北海に続いて中へ入る。
扉が閉まる音が、思ったより大きく響いた。
倉庫の中は、外から見た印象よりずっと広かった。右側には箱が積まれていて、左側には古い機材のようなものが布をかぶせられている。
北海は奥へ進みながら、軽い調子で言った。
「いやあ、本当に間に合ってよかったよ」
言葉は優しいけど、なんとなく軽い。
そう感じた瞬間、廊下の奥から別の声がした。
「待ってたよ」
見ると、三人の男がこちらに歩いてきた。
一人は短く刈った髪の大柄な男。
一人は細身で、目つきが妙に鋭い男。
もう一人は無精ひげを生やした男で、腕を広げていた。
全員、白衣を身につけていたが、お世辞にも似合っているとは言えなかった。
「北海。この人たちは?」
「川北ギルドの先輩たちだよ。急ぎで設備を使うために手伝ってもらった」
「……そうか」
返事をしながら、小蓮を少しだけ自分の後ろへ寄せる。
大柄な男が、俺を見て笑った。
「君が羽賀登野夏か。ビリアルで見たぞ」
「……どうも」
「すごかったな。服、ちゃんと着てるじゃねぇか」
三人が一斉に笑う。
「それで薬は?」
俺は笑いに乗らず、北海を見る。北海は少しだけ眉を上げたが、すぐに笑顔に戻った。
「焦るなって。階段を降りた処置室で薬を渡す」
小蓮が俺の後ろから顔を出す。
「地下室、ですか?」
「そう。地下に処置室がある」
促されるまま奥に進み、少し塗装の剥げた階段を、北海を先頭に俺たち、三人の順で下りていった。
そこには、曇ったガラスの入った扉があった。扉の上には古いプレートが残っている。
<処置室>
「ここだ」
そう言うと、北海が扉を開けた。
大きさは8畳ぐらいだろうか。
中にはベッドが一台とその横に小さいテーブル。
薄い緑色の衝立があった。
「羽賀登野。そんなに警戒しなくていいって」
「警戒してるわけじゃないが、ここなのか」
小蓮が腕にしがみ付く。
「兄妹仲いいねぇ」
細身の男が、からかうように言った。
大柄な男が一歩前へ出た。
床が、わずかに軋む。
「北海。なんか心配しているみたいだから、早く見せたほうがいいんじゃいか」
「そうですね」
北海は小さく息を吐いた。
そして、胸ポケットから小瓶を取り出す。
淡い桃色の液体が、白い照明を受けてぬめるように揺れた。
「これがリカバリードラフトだ」
リカバリードラフト。
俺は本物を見たことがないから、今見ているものが本物かどうかは分からなかった。
けれど、前の前にある薬を小蓮に飲ませたいものだと、どうしても思えない。
その瞬間、背後で扉の鍵が落ちる音がした。
ガチャリ。
振り向くと、無精ひげの男が扉の前に立っていた。
パチ、パチ。
部屋の電気が消え、ベッドの上の照明だけが付いている。
胸の奥にあった小さな違和感が、はっきり形になった。
おかしい。
やっぱり、ここはおかしい。
気づくのが、遅すぎた。
違和感を何度も感じたのに、薬が欲しくてここまで来てしまった。
俺は小蓮の手を取った。
「小蓮、帰るぞ」
俺がそういうと、北海がゆっくり笑う。
「ここまで来て、それは困るな」
小蓮の手が震えた。
俺はその手を握り返す。
小蓮が小さく呟く。
「これって……」
北海の目が、すっと細くなる。
「もう遅いかもな」
その声には、もうさっきまでの軽さはなかった。
俺は小蓮を背中に庇うように部屋の奥へと進んだ。
三人の男が、ゆっくり距離を詰めてきた。
北海は小瓶を指先で揺らしながら笑った。
「大丈夫だよ。すぐ終わる」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが切れた。
「小蓮に近づくな」
自分でも驚くほど低い声だった。
しかし、北海の笑みが深くなった。




