第38話 錬金術師からの連絡
昨日の夜は、ブラックウルフとの戦いのせいか、家族ともあまり会話せずに眠ってしまった。
ただ、寝る前に、月光草をダメにしてしまったことだけは小蓮に伝えた。
目が覚めた時には、もう昼前だった。
体が重い。
寝たはずなのに、疲れが抜けきっていない。
ベッドの中でしばらく天井を見ていた。
月光草。
頭の中に浮かぶものは、昨日からずっと同じだった。
ゆっくり起き上がってリビングへ行くと、テーブルの上に食事が置かれていた。
両親も小蓮の姿もなかった。
代わりに、メモが一枚。
<養成所に行ってきます。ごはん食べてね。無理しないこと。小蓮>
「……みんな行ったのか」
思わず呟く。
退院してまだ日が浅いのに。それでも、小蓮はできるだけ普通に過ごそうとしている。
用意されていた味噌汁に火を入れる。温めている時間が、昨日のことを思い出させる。
月光草は、俺が駄目にした。
自分の足で。
あれさえあれば。
その考えが、まだ頭から離れなかった。
食欲はあまりなかったが、無理やりご飯を口に入れる。
その時、テーブルの上の端末が震えた。
『北海』
端末の画面には、メッセージの通知。
『羽賀登野。薬の件だ』
薬。
その文字だけで、胸の奥が強く鳴った。
続けて、もう一通。
『やったぞ。リカバリードラフトができた』
リカバリードラフト。
さっきまで、遠すぎると思っていた薬の名前。
俺は思わず端末を握りしめる。
さらにメッセージが届く。
『急ぎで悪い。今夜空いてるか?』
「今夜……」
声が漏れた。
北海から、さらにメッセージが届く。
『これから地図を送る。今夜9時に来てくれ』
メッセージに付属した地図を確認する。
ここから、歩いて20分ぐらいか。
それにしても遅い時間だな。
『明日じゃダメなのか?』
『無理言って、急ぎで作ってもらったんだ。それに、明日は施設が使えない』
無理を言ったのは自覚している。
『ああ、分かった。9時に小蓮も連れて行くよ』
『待ってるぜ』
そのメッセージを見て、端末を伏せた。
「本当に、できたのか……」
誰もいないリビングで、小さく呟いた。
月光草を見つけて、それを俺が踏み潰したこと。その事実が、少しだけ薄れた気がした。
これで真宮寺さんには、心置きなく月光草を使ってもらえて、小蓮は今夜にも元気になるかもしれない。
そう思うと、胸の奥が熱くなる。
もうすぐ食堂の営業が始まる。
店は夜8時閉店だが、後片付けや仕込みがある。
9時だと、ちょうど家に帰ってくる頃だから、両親と相談している時間はないから、メッセージだけでも送っておこう。
まずは、この話を小蓮にどう伝えるか。
喜ぶだろうか。
驚くだろうか。
今は養成所にいるけど、メッセージでいきなり話す内容じゃない。夜の9時なら、小蓮が帰ってきてから説明しても十分間に合う。帰ってきてから、ちゃんと顔を見て話すべきだ。
その時、また端末が震えた。
今度は、東雲六華。
『夏さん。無事ですか?』
異世界への探索は二日行って一日休み、また二日行って二日休みのサイクルだ。
だから六華も今日は休みだろう。
俺は少しだけ迷ってから、返信を打つ。
『無事。一応』
すぐに既読がついた。
『一応って何ですか』
早い。
思わず苦笑する。
『色々あったけど、生きてる』
『昨日、ビリアルの録画を見ました』
(……終わった)
特に、最後の格好は見られていないことを祈りたかった。
『何の録画を?』
少し間があって、返信が来た。
『服は着た方がいいと思いました』
(……見られた)
俺は端末を伏せた。
顔が熱い。
端末がまた震える。
『でも、無事でよかったです』
俺は短く返す。
『心配かけた。ありがとう』
すぐに既読がつく。
『今日は休みなので、何かあったら連絡してください』
『分かった』
『ならいいです。ちゃんと休んでください』
端末を置くと、リビングはまた静かになった。
今夜、薬が手に入る。
そう思うと、昨日から胸に沈んでいたものが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
◇
side 北海拓磨
川北ギルドの倉庫の地下には、正規の職員しか立ち入れない区画がある。
古い研究施設を改装した場所で、今はほとんど使われていない。白い壁に囲まれた廊下は、昼間でも薄暗く、空調の低い音だけが響いていた。
北海拓磨は、端末の画面を見下ろしていた。
『ああ、分かった。9時に小蓮も連れて行くよ』
羽賀登野夏からの返信。
それを見て、北海は口元を緩めた。
「来るってよ」
背後で、三人の男が顔を上げる。
川北ギルドに所属する先輩探索者たちだった。年齢は二十代後半から三十代。
装備も態度も、いかにも場慣れしている。だが、その目つきには探索者というより、獲物を待つ獣に近いものがあった。
「本当に連れてくるのか?」
一人が笑う。
「連れてくる。妹の薬だと言えば、あいつは疑わない」
北海は端末を閉じた。
「リカバリードラフトができたって言ったんだろ?」
「はい」
「実際は?」
「こっちです」
北海は胸ポケットから小瓶を取り出した。
淡い桃色の液体が、ガラスの内側でゆっくり揺れる。
三人のうち一人が、低く口笛を吹いた。
「ヴィーナス・ドロップか。やっと俺たちの出番か」
その名を出した瞬間、空気が少し変わった。
笑っていた男たちの顔に、さらに下卑た色が混じる。
「楽しみだぜ」
「だから使う場所を選んでます」
北海は淡々と言った。
「ここなら外から見えない。周りには民家もない。薬の受け渡しという名目なら、あいつらも中へ入る」
「兄貴の方はどうする?」
「羽賀登野か」
北海は鼻で笑う。
「お笑い師だからな。あいつは直接モンスターも倒せない。ステータスが低いから、先輩方が少し押さえれば何もできないですよ」
もう一人が声を出す。
「ビリアルで見たぞ。変な動きするじゃねぇか」
「確かに動きは変だけど、それだけですよ」
男の一人が、にやりと笑う。
「それで?」
「妹にヴーナスドロップを飲ませて、すぐにあいつを拘束する。その後は……」
北海はそれ以上を口にしなかった。
けれど、三人の笑い方だけで十分だった。
廊下の奥にある検査室。
古いベッド。
三脚の上にビデオカメラ。
北海の胸の奥に濁った熱が広がった。
「順番は俺が最初ですよ」
「なんだっていい。上物を好きにできるなら」
誰かがそう言った。
北海は一瞬だけ、その男を見た。
「壊さないで下さいよ」
「分かってるって」
「薬を使えば、本人はまともに抵抗できないし、記憶も曖昧になる」
北海は小瓶を光にかざした。
淡い桃色が、冷たい照明を受けて鈍く光る。
「羽賀登野は、妹のためなら何でもする。だからこそ、目の前に薬を出せば従う」
自分で言いながら、北海は少しだけ笑った。
男の一人が肩を鳴らす。
「もし騒がれても、相手は新人探索者だ。しかもジョブはお笑い師。こっちは川北ギルドの正式探索者が三人いる。レベル1のお笑い師に何かできる?」
三人が笑う。
その笑い声が、地下の白い壁に反響した。
北海は端末の時計を見る。
約束の時間まで、まだある。
「準備するか。楽しい夜になりそうだ」
北海は小瓶を胸ポケットへ戻し、薄く笑った。




