第36話 2回目の依頼報酬
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
「……戻ってきた」
思わず、そんな言葉が漏れた。
探索者ギルド協会本部の帰還口。
淡い白い照明の下で、職員たちが慌ただしく動いている。
ほかのパーティーも、ちらほら戻ってきていた。
けれど、俺たち第8パーティーの様子を見た瞬間、近くにいた職員の顔色が変わった。
「第8パーティー、帰還確認。だいぶ疲れているようですが、大丈夫ですか」
その言葉で、ようやく全員が本当に消耗しているんだと分かる。
太野川も、脛比も、骨田も、ブラックウルフにやられたせいかフラフラだった。
真宮寺さんだって平然として見えるだけで、呼吸が乱れていた。
異世界から帰ってくると、どんなに怪我をしていても、全て治っている。
ただ、異世界でのダメージは、精神的な疲労や倦怠感として残る。
俺は少し疲れていたが、他の四人に比べればしっかりした足取りだと思う。
しかし、思い出すのは最後のあれだ。
月光草。
あの白い光。
足の裏に伝わった、柔らかい感触。
せっかく見つけたのに。
せっかく、あと少しだったのに。
「羽賀登野さん」
優しい声に、顔を上げる。
真宮寺さんがこっちを見ていた。
その目だけはいつも通りまっすぐだった。
「先に報告を済ませましょう」
「……ああ」
◇
第8パーティーは、そのまま小会議室に通された。
昨日と同じ部屋だった。
でも空気はまるで違う。
長机の向こうには、若い職員が二人。それに加えて、今日は年配の職員まで同席していた。
おそらく、帰還時の状態を見て呼ばれたんだろう。
「まず確認します」
若い職員が端末を見ながら言う。
「依頼内容は、ゴクシ岩場でのブラックオニキス採取。目標数は三個です。第8パーティーの帰還は全員確認。門外追放者はなし。ここまではよろしいですね」
「はい」
真宮寺さんが答える。
「では、依頼品の提出をお願いします」
太野川が腰のケースを机に置く。
骨田も無言でケースを差し出した。
職員が中身を一つずつ確認していく。
「……一、二、三、四、五、六、七」
そこで、職員の手が止まった。
「七個?」
若い職員が顔を上げる。
もう一人の職員も、ケースの中を覗き込む。
「目標数は三個のはずですが」
「ロックモールが通った跡から、多く採れたので」
真宮寺さんが簡潔に答える。
年配の職員が眉を上げた。
「七個は新人パーティーとしては多いですね。しかも、いくつかは中程度どころか高品質に近い」
「マジ?」
脛比が思わず顔を上げる。
ブラックオニキス七個。
数字だけ見ればかなりの成果だ。
昨日の太野川たちなら、大騒ぎしていたと思う。
なのに今は違う。月光草のことが、全員の頭のどこかに残っているからだろうか。
少なくとも俺は、素直に喜ぶ気になれなかった。
若い職員が端末を操作しながら続ける。
「ですが、帰還時の皆さんの状態を見ると、通常の採取任務とは思えません。確認対象モンスターはグレイウルフとロックモールでしたが、何がありましたか」
そこで、部屋の空気が少しだけ変わった。
太野川たちが顔を見合わせる。
脛比が口を開きかけて、閉じる。
骨田も視線を泳がせた。
結局、最初に話したのは真宮寺さんだった。
「ロックモール三体と交戦しました。その後、ブラックオニキスを採取中に月――」
一瞬だけ言葉が止まる。
でも、真宮寺さんはすぐに言い直した。
「……さらに奥で、グレイウルフの群れと遭遇しました」
「群れ?」
「はい。少なくとも六体」
若い職員の顔色が変わる。
「六体?」
「加えて、ブラックウルフ一体を確認しました」
その一言で、今度は年配の職員まで黙った。
「ブラックウルフ?」
「はい」
「グレイウルフの上位個体の、ですか」
「そうです」
部屋が、しんと静まる。
端末を打つ音まで止まった。
若い職員が乾いた声で言う。
「確認します。新人パーティーが、ゴクシ岩場でブラックウルフと遭遇し、交戦のうえ帰還した、と?」
「そうなります」
真宮寺さんが答える。
「討伐したのか?」
年配の職員が低く問う。
一瞬、誰も答えなかった。
太野川が俺を見る。
脛比も、骨田も。
それから真宮寺さんが、わずかにこちらへ視線を寄こした。
「……討伐しました」
真宮寺さんが言う。
「第8パーティーで、です」
若い職員が思わず椅子から少し浮いた。
「本当に?」
「記録動画を確認していただければ分かります」
年配の職員が、ゆっくり息を吐いた。
「……分かりました。映像は後ほど確認します。第8パーティーは報酬は、依頼達成で一人二万円。ブラックオニキスが7個ですが、高品質近いので八十万。計一人十八万円の均等報酬になります。これからすぐに振り込みます」
「一人十八万!!」
太野川が顔を上げる。
急に三人の顔が明るくなった。
「すごい! 1日で十八万円」
「何に使う?」
脛比が身を乗り出すように言った。
「そりゃ装備だろ。もっといいやつ買えるじゃん」
太野川はもう腕を組んで、完全に考え込んでいた。
「ワンドを新調したいけど、今日の報酬でも少し足りないか」
骨田も腕を組んだ。
「ロングソードの強化だな。あと、レザーアーマーも買い替える。今日のブラックウルフ相手だと、今の装備じゃ全然足りねぇ」
「お、剛がちゃんと反省してる」
「うるせぇ。でも、金があるなら強くなる方に使うだろ」
三人の声が、急に明るくなる。
ちょっと前にブラックウルフに吹き飛ばされていたのに。
報酬の数字を聞いた瞬間、部屋の空気が三人の周りだけ変わった。
「十八万かぁ。やばいな」
脛比がにやける。
「これ、毎回こんな感じなら探索者最高じゃん」
「毎回ブラックウルフ出てきたら死ぬけどね」
骨田が言う。
「それは勘弁」
「でもさ、今日の成果、普通にすごくない?」
「すごいでしょ。ブラックオニキス七個だよ。しかも高品質近いって」
骨田は腕輪の画面を見ながら、何度も報酬欄を確認している。
「十八万……十八万……」
「何回見るんだよ」
太野川が鼻で笑う。
「でも、まあ……悪くねぇな」
「悪くないどころじゃないって」
脛比が椅子の背にもたれながら笑う。
「先月まで学生だったのに、いきなり十八万だよ?」
「しかも一日で」
骨田が続ける。
三人は完全に浮かれていた。
はしゃぐ三人の無視するように、若い職員が言った。
「ブラックウルフをどうやって討伐したか、動画で確認します。あと次回の依頼の後にレベルの確認をして、10以上ならランクアップします」
職員の言い方は事務的だった。
でも、それだけ異常な成果だということなんだろう。
どこか他人事のようにその話を聞きながら、まだ言えずにいた。
月光草のことを。
見つけたことも。そして、俺が踏んだことも。
その時だった。
「それと」
真宮寺さんが静かに口を開く。
心臓が跳ねる。
「岩場のさらに奥で、月光草を確認しました」
「……!」
思わず顔を上げる。
職員たちの目が、また変わる。
「確認したのか?」
「はい」
「採取は?」
年配の職員の問いに、真宮寺さんはほんの少しだけ間を置いた。
「失敗しました」
静かな声だった。
「ブラックウルフとの交戦中に損傷し、使用不能です」
部屋の空気がまた静まる。
俺は何も言えなかった。
真宮寺さんは、俺の名前を出さなかった。
年配の職員が低く唸るように言う。
「……そうか」
それだけだった。
責める言葉も、慰めもない。
ただ、記録されるだけの失敗。
若い職員が端末を閉じる。
「本日のところは以上です。第8パーティーは、明日から二日間休養としてください。追加確認が必要な場合は後ほど連絡します」
「はい」
真宮寺さんが答える。
椅子が引かれる。
報告は終わった。
ブラックオニキス七個。
ブラックウルフ討伐。
月光草の損失。
部屋を出る直前、真宮寺さんが小さく言った。
「羽賀登野さん」
「……何」
「その件は、後で二人で話しましょう」
“その件”が何を指しているのか、聞かなくても分かった。
俺は小さく頷くことしかできなかった。




