第33話 ブラックウルフ
太野川は目の前の一体で手一杯だ。
脛比も牙を避けながら距離を取っている。
骨田は援護の隙を探しているけど、撃つ角度が難しい。
後ろから追われるように、だんだんとブラックウルフの方に追い込まれている?
「チッ……!」
太野川が舌打ちした。
目の前のグレイウルフを無理やり押し返すように剣を振る。
鋭さより、力任せの一撃だった。
グレイウルフはその剣筋をぎりぎりで外へ逃がす。
そのまま低く身を沈め、太野川の懐へ潜り込もうとした。
太野川が踏み込み直そうとした、その瞬間。俺の足が、なぜか太野川の膝の裏に引っかかった。
ガクン。
「うおっ!?」
太野川の膝が不自然に折れる。体勢が崩れ、上から振るうはずだった剣が、思いきり低い軌道で横薙ぎになった。
ザシュッ!
ちょうど太野川の懐へ入り込もうとしていたグレイウルフの首元に、その剣筋がきれいに入る。
「ギャウッ!?」
灰色の体が大きくぶれ、そのまま黒い砂になって崩れた。
一瞬、全員の動きが止まる。
「……は?」
太野川が固まる。
「今の、膝カックン?」
骨田が目を丸くする。
「ち、違っ――」
言いかけるが、自分でも何が起きたのか分からない。
その間にも、左から別の一体が脛比へ飛びかかった。
「っぶね!」
脛比が体をひねる。
だが、避けきれない。
(まずい)
反射で手が動く。
脛比の脇腹に触れた。いや、触るつもりなんてなかった。でも指先が脇腹に入ってしまった。
「ひゃっ!?」
脛比の口から、変な声が出る。
「そこは弱――っ!?」
くすぐられた勢いで脛比の体が大きく跳ねた。
そのまま軸足がぶれ、半回転みたいな変な動きになる。
でも、その崩れた動きが逆によかった。
振り向きざまの踵が、飛びかかってきたグレイウルフの顎にきれいに入る。
ガッ!
「ギャッ!?」
さらに、体勢を崩した脛比がそのまま前のめりに倒れ込み、肘が狼の鼻先に入った。
ゴッ!
グレイウルフの体が吹き飛び、岩にぶつかって黒い砂になった。
太野川がこっちを振り向く。
「お前、今わざとか!?」
「違う!」
「じゃあ何でオレに膝カックンしたんだよ!」
「知らねぇよ!」
脛比まで顔を引きつらせる。
「オレちゃん、脇腹弱いんだ」
その怒鳴り合いの間にも、残っていた一体が骨田へ向かっていた。
「うわっ、ちょ、こっち来た!」
骨田が慌てて後ろへ下がる。
でも、足場が悪い。
岩に踵が引っかかって、体勢がぐらつく。
「ファ、ファイヤーボール!」
杖の先に、火の玉が生まれる。
そう思った瞬間だった。
ぐる、と腹の奥が妙な音を立てる。
「……え」
嫌な予感がした。
次の瞬間。
ブッ!!
「うわっ!?」
思わず声が漏れる。
同時に、骨田の火球がぼふっと膨れた。
一瞬で一回り。
いや、二回りは大きくなった。
「は!?」
骨田が目を剥く。
火球はそのまま、轟音と一緒に前へ飛ぶ。
ゴォッ!!
さっきまでのファイヤーボールとは明らかに違う。
熱量も、速度も、圧もおかしい。
飛びかかろうとしていたグレイウルフが、目を見開く暇もなく飲み込まれる。
「ギャアアアッ!?」
炎が岩場を赤く染める。
熱風が顔まで届いた。
次の瞬間、グレイウルフの体が黒い砂になって燃え尽きた。
静寂。
一拍遅れて、全員の視線がこっちへ向いた。
「……今の何?」
骨田が固まった顔で聞く。
「いや、あの……」
「いや、絶対お前の方から変な音したよな!?」
脛比が半笑いで叫ぶ。
太野川が口元を引きつらせる。
「オナラでファイヤーボール強化するとか意味分かんねぇだろ……」
「こっちだって意味分かんねぇよ!」
骨田はまだ呆然と杖の先を見ていた。
「ボクのファイヤーボール……あんな威力じゃなかったんだけど」
真宮寺さんだけが、数秒黙ってから静かに言った。
「……威力が上がったのは事実ですね」
真顔だった。
でも、ほんの一瞬だけ視線が逸れたあたり、たぶん笑いをこらえている。
「もう何でもありかよ、お前……」
太野川も額を押さえた。
その時だった。
黒い影が、消えた。
「え――」
誰かがそう漏らした瞬間には、もう遅かった。
気づいた時には、もう太野川の目の前にいた。
「うおっ!?」
太野川が反射で剣を上げる。
ギィンッ!!
金属音。
だが、防げていない。
ブラックウルフの前脚が剣ごと太野川を叩きつけ、レザーアーマー越しに胸を強打する。
「がっ……!」
太野川の体が横へ吹き飛んだ。
背中から岩にぶつかり、そのまま地面へ崩れ落ちる。
「剛!?」
脛比が叫ぶ。
その脛比へ、今度は左から黒い影が走る。
「っの……!」
脛比はさすがに速かった。
半歩ずれて、牙を避ける。
そのまま蹴りを入れようとした――はずだった。
でも、ブラックウルフはその動きのさらに外へいる。
「え?」
一瞬、脛比の目が見開く。
次の瞬間、横殴りの前脚が脛比の脇腹を打ち抜いた。
ドッ!!
「ぐはっ!?」
武闘服が裂け、脛比の体が地面を滑る。
岩にぶつかる寸前で何とか受け身を取ったが、その顔は完全に引きつっていた。
「は、速すぎ……」
骨田が杖を握りしめる。
「ファイヤーボール!」
火球が飛ぶ。
今度は普通の火球だったが、直撃コースだった。
なのに、ブラックウルフは首をわずかに振っただけでそれを外へ流す。
火球は後ろの岩を焦がして爆ぜた。
「そんなのアリ!?」
骨田が叫んだ瞬間、ブラックウルフの金色の目が骨田を捉えた。
(まずい)
「骨田、逃げろ!」
叫ぶ。
でも、ブラックウルフの方が早い。
黒い塊みたいな体が、一瞬で距離を詰める。
後ろへ下がろうとした骨田の腹に、ブラックウルフの肩がぶつかった。
「うわぁっ!」
まともに噛まれたわけじゃない。
ただ体当たりしただけだ。
それだけで、骨田の体が宙に浮いた。
そのまま二メートルほど吹き飛び、地面に叩きつけられる。
「ぐはっ」
グレイウルフ相手にやっていた時とは、まるで違う。強いとか、速いとか、そういう言葉じゃ足りない。
ブラックウルフだけ、戦いの次元が違った。
そいつは低く唸りながら、ゆっくりと向き直る。
「……っ」
真宮寺さんが剣を握り直す。
でも、その横顔からも分かる。
今のを見て、余裕なんてあるはずがない。
太野川たちが束になっても、時間すら稼げなかった。
ブラックウルフが一歩、前に出る。
その後ろで、月光草だけがまだ淡く揺れていた。
低い唸り声。
金色の目が、まっすぐ真宮寺さんを捉えていた。




