第25話 帰還
ブラックオニキスと月光草を手に入れた俺たちは、岩場から草原を抜けて帰還した。
門をくぐって戻った瞬間、張りつめていた空気が少しだけほどける。
朝8時に協会本部に集合。説明を聞いてから10時前に門を通過。
トーカ平原から岩場まで、モンスターと戦いながらの時間。
体感的には、とっくに夜になっていたと思えた。でも、帰ってきたら日が沈む前だった。
異世界では、どんなに長くいたとしても、門を通過した日の夕方に必ず戻ってくる。こっちの世界とは時間の進み方が違うようだ。
そして、異世界ではお腹が減らない。食べなくていいから、排泄もない。汗をかかないから、風呂にも入らなくていい。眠くならないから、眠る必要もない。
上級探索者になると、異世界に長くいる。どんなに長くいても、門を通った日の夕方に帰るのがなかなか慣れないと言っていた。
太野川たちは、さっそくブラックオニキスの話で盛り上がっている。
骨田は「ボクの言うことを聞いてよかったでしょ」と得意げだし、脛比も「オレちゃんたち、初依頼にしては上出来じゃない?」と浮かれている。
俺はその横で、真宮寺さんの手の中にある小さなケースばかり見ていた。
探索者ギルド協会本部に戻ると、俺たちは窓口で依頼の終了の報告をし、そのまま素材の査定窓口へ向かった。
窓口の奥には、白衣を着た年配の職員が座っていた。細い目で俺たちを見回したあと、机の上に置かれた保存ケースと鉱石を順番に引き寄せていく。
「初依頼にしては、ずいぶん色々拾ってきたな」
職員は薬草を手に取る。
「随分品質にばらつきがあるな」
ケースの中には、ぐったりした薬草が何個か混じっていた。誰がとは言わないが予想はつく。
それから、職員はブラックオニキスを手に取った。小型の計測器を当て、硬度や純度を確認しているらしい。
「ブラックオニキスは中品質が一つ。まあ悪くない」
「おっ」
太野川の顔がぱっと明るくなる。
「これ、いくらになるんですか?」
脛比が身を乗り出すのを横目に、職員は端末を軽く操作した。
「依頼達成報酬とブラックオニキスの買取額で二十万。初回でこれなら十分だ」
「マジで!?」
太野川たちは一気に色めき立つ。
職員が、最後に月光草の入った小型ケースへ手を伸ばす。
「……月光草か」
白衣の職員の声が、ほんのわずかに変わった。ケースを開け、中の月光草を見た瞬間、職員の目が少しだけ細くなる。
「状態がいいな」
「リカバリードラフトの原料として使えますか?」
真宮寺さんが静かに言う。
職員は小さく頷き、今度は別の計測器を当てた。葉や根の状態、含有魔力――そんなものを見ているのかもしれない。
数秒の沈黙が、やけに長く感じる。
「……これは上等だ」
その一言で、胸の奥が跳ねた。
「リカバリードラフトの調合原料として十分使える」
「……っ」
思わず息が止まる。真宮寺さんの隣で、俺は無意識に拳を握っていた。
職員は月光草をケースに戻しながら続けた。
「ただし、これ一株で作れるのは一人分だろうな」
「一人分……?」
職員がこちらを見る。
「リカバリードラフトは月光草だけで完成する薬じゃない。調合には他の補助素材も要るし、腕の立つ錬金術師も必要だ」
「じゃあ、これだけじゃ……」
「完成品にはならん。だが、原料としては十分だ。むしろこれだけ状態のいい月光草なら、買取額は百万円前後ってとこだな」
査定窓口の前で、空気がぴたりと止まった。
「月光草がそんなに高いなら、はいどうぞってわけにもいかねぇだろ」
太野川が腕を組んだまま、真宮寺さんを見ている。
「オレちゃんも、さすがにそう思う」
脛比も頷いた。
「ボクが岩場に行こうって言ったんだよね」
骨田も口元に笑みを残したまま続ける。
真宮寺さんはケースを持ったまま、静かに言った。
「薬草採取の報酬は、全員そのまま受け取ります」
そこで一度言葉を切る。
「ブラックオニキスの代金は、羽賀登野さんと私は辞退します」
「は?」
太野川が眉をひそめる。
「そのうえで、月光草は私たちが受け取ります」
「いや、だから――」
「納得できないなら」
真宮寺さんの声は落ち着いていた。
次の言葉が、その場の全員を止めるには十分だった。
「あなたたち三人には、私が一人二十五万円ずつ支払います」
「……二十五万?」
骨田が先に反応した。
「一人?」
脛比の目が丸くなる。
太野川だけが、まだ警戒したように眉を寄せて言った。
「ちょっと待て。薬草報酬が一人二万、ブラックオニキスが十万だろ」
「はい」
職員が事務的に答える。
脛比が、そこで急に指を折り始めた。
「えっと、ちょっと待って。薬草が二万でしょ。ブラックオニキスは、夏と真宮寺さんがいらないなら、三人で割るんだよね」
「そうなりますね」
職員が頷く。
脛比は指を折ったまま、ぶつぶつ言う。
「十万を三人で割ると……三万ちょい」
「約三万三千円ですね」
骨田がすぐに口を挟む。
「それで、さらに二十五万ずつ?」
「はい」
真宮寺さんは短く答えた。
脛比がぱっと顔を上げた。
「剛、それ、普通にそっちの方がよくない?」
太野川が顔をしかめる。
「よく分かんねえ」
「だって、薬草報酬二万に、ブラックオニキス三万ちょいに、さらに二十五万だろ?」
脛比は指を見ながら続ける。
「合計三十万ちょいじゃん」
骨田もすぐに乗る。
「たしかに。月光草を売って五人で分けると二十万、ブラックオニキスも五人で分けると二万。それなら今ここで三十万確定の方が高い」
脛比はもう完全にそっちに傾いていた。
太野川がよく分からなそうな顔で、真宮寺さんに近づく。
「本当に払うんだな?」
「払います」
真宮寺さんは迷いなく言った。
「今この場で振り込めます」
その一言で、太野川の顔が少し変わった。
「そこまで言うなら、今回はそれでいい」
脛比がすぐに笑った。
「じゃ、決まりだね」
「交渉成立、ってことでいいのかな」
骨田も満足そうだった。
真宮寺さんは何も言わず、端末を取り出す。
職員が確認するように視線を向けた。
「では、薬草採取の報酬は五名全員に一人二万円。ブラックオニキスの代金十万円は、羽賀登野さんと真宮寺さんが辞退、残る三名に均等配分。加えて、真宮寺さんから太野川さん、脛比さん、骨田さんへ個別送金二十五万円ずつ、でよろしいですか?」
「はい」
真宮寺さんが答える。
その声は、最後まで揺れなかった。
俺はその横顔を見ながら、小さく息を呑む。
月光草のために、ここまで迷わず金を出せる。やっぱり金持ちだったんだな。
端末が続けて震える。
送金通知だった。
太野川、脛比、骨田の三人が、それぞれ自分の画面を確認して顔を見合わせる。
「……マジで入ってる」
脛比が目を丸くする。
「すご」
骨田が思わず漏らす。
太野川は通知画面を見たまま、少しだけ複雑そうな顔をしていた。
「じゃあ、これで問題ありませんね」
真宮寺さんが静かに言う。
「この月光草は、買取じゃないんだろ。リカバリードラフト目的なら、ギルド協会で錬金術師を紹介してもいい」
「お願いします」
真宮寺さんが短く答えた。
隣で太野川たちが、まだブラックオニキスの金額の話をしている。次も行って、もっと取れるか。そんな声が遠く聞こえる。
真宮寺さんが静かに近づいてきた。
「羽賀登野さん。連絡先を教えてください」
「えっ」
思わず間の抜けた声が出た。
こんなふうに連絡先を聞かれたことなんてほとんどない。家族以外でやり取りをする相手といえば、せいぜい六華くらいだった。
もちろん深い意味はないのだが、あの真宮寺さんから、連絡先の交換と言われると変な緊張が。
よく考えてみると、三花全員の連絡先を知っている人は、ほとんどいないのでは。
「いろいろ話さなければいけないことがありそうですし」
「ああ……。そうだよね」
そう返しながら、慌てて端末を取り出した。




