第22話 グレイウルフ
草原を抜けるとゴツゴツした岩場が見えてきた。背の低い岩がいくつも突き出していて、その隙間に黒い石が顔を覗かせている。
足元の土も、いつの間にか草の少ない硬い地面へ変わっていた。
骨田が前の方で腕輪の地図を見ながら、少し得意げに顎を上げる。
「ほら、やっぱりこっちで合ってる」
「ブラックオニキスがありそうか」
太野川が言う。
「それっぽいね」
脛比が岩場を見回しながら笑う。
たしかに、草原よりは何かありそうな雰囲気はある。黒っぽい石も増えてきたし、地形も明らかに変わっていた。
ただ、そのぶん嫌な感じも強くなっていた。
風はまだ吹いている。でも、草原の時より音が少ない。岩と岩の間に空気が溜まっているみたいで、妙に静かだった。
真宮寺さんは何も言わず、一番前ではなく、少し後ろから周囲を見ている。太野川たちが先に行きたがるのを、あえて止めていないようにも見えた。
俺はダガーの柄を軽く握り直す。
月光草を一刻でも早く探したい。
俺にとっては、ブラックオニキスはどうでもよかった。多分、新宮寺さんも同じだろう。
「おっ、あれ黒くね?」
太野川が岩陰を指さす。
脛比と骨田がすぐそっちへ寄る。
「どれどれ」
「ほんとだ。普通の石とちょっと違うかも」
俺も少し遅れて近づこうとした、その時だった。
「……止まってください」
真宮寺さんの声。
全員の足が止まる。
「何だよ、今度は」
太野川が振り返る。
真宮寺さんは答えない。
ただ、岩陰の奥を見ていた。
俺もそっちを見る。
黒い岩の隙間。
その奥で、何かが動いた気がした。
灰色。
岩とほとんど同じ色で、最初は見分けがつかなかった。でも次の瞬間、それがゆっくりと立ち上がる。
低い唸り声。
「グルル……」
狼だった。
灰色の毛並み。
低く伏せた体勢。
ぎらついた目。
口元からは白い牙が覗いている。
しかも一体じゃない。
左の岩陰。
右の割れ目。
さらに少し後ろの斜面の上。
「……三体」
思わず声が漏れた。
グレイウルフ。
養成所の映像資料で見たことがある。
草原と岩場の境目に出る中型モンスター。
群れで動いて、獲物を囲む。
「別に三体ならやれるだろ。さっきのゴブリンでまたレベル上がったし」
太野川が剣の柄に手をかけた。
「速そうだけど、オレちゃん、また速くなったし」
脛比が肩を回す。
「新しい魔法、試せるかも」
骨田が一歩下がる。
三体のグレイウルフは、低く唸りながらじりじりと位置を変えていく。
俺たちを包むように距離を詰めてくる。
「囲まれる前に一体ずつ処理します」
真宮寺さんが静かに言った。
その声で、空気が変わる。
「太野川さん、正面」
「なんで仕切ってんだよ」
「脛比さんは左」
「了解」
「骨田さんは後方から援護。羽賀登野さんは無理に前へ出ないで」
「任せて」
「……分かった」
返事をしながらも、胸の奥がざわつく。
三体とも、目線が妙だった。
ゆっくりと、同じ一点を見ている。
――真宮寺さんだ。
「来ます!」
真宮寺さんの声と同時に、先頭の一体が地を蹴った。
速い。
岩を蹴り、土を弾き、一気に間合いを詰めてくる。その動きに合わせるように、左右の二体も同時に走った。
三方向。
全部、真宮寺さんへ。
正面の一体が、真っ先に飛びかかった。
灰色の毛がぶわりと逆立つ。
開いた口。
白い牙。
真宮寺さんの剣が、下から鋭く跳ね上がる。
キィン――
硬いもの同士がぶつかったみたいな音。
狼の爪が弾かれ、そのまま一閃。
銀色の軌跡が、首元を薙いだ。
一体目のグレイウルフが、黒い砂になって崩れる。
だが、その瞬間には左右の二体が、時間差で飛んでくる。
「っ……!」
真宮寺さんが半歩引く。その動きに合わせて、左から来た一体が空を切った。
けれど右から来た一体は、そのまま肩口に食らいつこうとしていた。
(まずい)
思った瞬間、手が動いていた。
ダガーを握ったまま、真宮寺さんの横へ踏み込む。
でも間に合わない。
その時だった。
「伏せて」
短い声。
ほとんど反射で、体を落とす。
直後、頭上を冷気が走った。
バキィッ!
氷の槍が、右から飛びかかったグレイウルフの胴を横から貫く。灰色の体が空中でよじれ、そのまま黒い砂になって散った。
残る一体。
そいつはすでに着地し、低く唸りながら岩陰へ回り込む。
「逃がすかよ!」
太野川がようやく前へ出た。
剣を振り上げて突っ込む。
グレイウルフは地面を蹴り、太野川の斬撃を紙一重でかわし、そのまま横を抜ける。
「はっや!」
脛比が叫ぶ。
骨田のストーンバレットが飛ぶ。
だが、岩に当たって爆ぜただけだった。
「チッ、ちょこまかしやがって!」
太野川が舌打ちする。
グレイウルフは逃げない。
まただ。
こいつも、俺たちを見てない。
岩と岩の隙間を使って、真っ直ぐ真宮寺さんの位置だけを見ている。
「なんで真宮寺さんばっかり……」
思わず口から漏れた。
真宮寺さんは何も答えない。
ただ剣を少し下げ、低く構えた。
風が止む。
次の瞬間、最後の一体が岩を蹴った。
速い。
今度は正面じゃない。岩の側面を使って跳ねるように軌道を変え、そのまま真宮寺さんの死角へ回り込む。
「右!」
俺が叫ぶ。
真宮寺さんが振り向く。
けれど、一瞬遅い。
飛びかかってきたグレイウルフの牙が、目の前まで迫る。
「ヘブシッ!!」
また、変なくしゃみが飛び出した。
自分でも意味が分からないまま、体がガクッと前に沈む。その勢いで、グレイウルフの突進の軌道に入った。
ガッ!
「っ!」
グレイウルフの牙が、俺の尻に食い込む気がした。
一瞬。
その一瞬で、何かが脱げた。
真宮寺さんの剣が走る。
横薙ぎの一閃。
グレイウルフの胴が揺れ、黒い砂となって崩れた。
静寂が落ちる。
岩場に散った黒い砂。
遠くで小石が転がる音。
……無事、だったのか?
俺は地面に手をついたまま、しばらく息を整えた。
「ハハハハ!」
「ヒヒヒッ!」
「フフフフ!」
太野川たちが一斉に笑い出した。
「ポーン」
「お前、面白すぎるだろ」
太野川が引きつって笑う。
「アリンコみたいだ」
脛比が涙を流しながら言う。
「自分の格好見てみてよ」
骨田が指をさす。
俺は自分の格好を見て驚いた。
上下のジャージが、すぐ横に落ちていた。
黒いアンダーアーマーに、エルボーパッドとニーパッドしか身につけていない。
おかしいだろ!?
パッドが外れてないのに、なんでジャージだけ脱げるんだよ。
「ポーン、ポーン、ポーン……」
うるさいほど耳鳴りが止まらない。
真宮寺さんがすぐ近くに立っていたが、こっちを見ないように少しだけ視線を逸らしていた。
「……羽賀登野さん」
「な、何」
「回復魔法は?」
「……大丈夫。だと思う」
「早く着てください」
慌ててパッドを外し、ジャージを着る。
「今のも、体が勝手に?」
「……たぶん」
自分で言っていて、ひどい答えだと思う。
でも、本当にそうとしか言えない。
真宮寺さんは少しだけ黙った。
それから。
「そうですか」
それだけ言って、剣を鞘にしまう。
骨田が岩陰の方を見て、指をさす。
「……ブラックオニキス、あるならあの辺っぽいね」
笑いの余韻がまだ残る中で、そんなことを言う。
太野川が剣を肩に担いだ。
「ここまで来て、何も持って帰らない方が損だろ」
真宮寺さんは岩場の奥を見たまま、静かに口を開いた。
「行くなら、今度は勝手に前へ出ないでください」
「誰に言ってるんだよ、それ」
太野川が眉をひそめる。
でも、真宮寺さんは答えなかった。
ただ、ほんの一瞬だけ、こっちを見た。
……たぶん、俺だ。
風が吹く。
岩の隙間で、低い音が鳴る。
第8パーティーは、さらに岩場の奥へ進んでいくことになった。




