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第20話 トーカ平原

 探索者ギルド協会本部の北側出入口を抜けると、すでにいくつかのパーティーが門の前に集まっていた。


 そこに立つ黒い門の向こう側の景色は、赤黒く、全てを飲み込むように揺れている。


 異世界に実習で行った、あの時の気分とはまるで違う。

 あの時は訓練だった。


 今回は、正式な依頼だ。

 薬草採取。

 低危険度。

 新人向け。


 そう説明はされているが、門の向こうにあるのは、モンスターがいて、油断すれば門外追放ゲートアウト

 

 やっぱり、門の前に立つだけで、胸の奥がじわじわと固くなる。


「おっ。やっぱ門の前来るとテンション上がるな」

 太野川が肩を回しながら言う。


「オレちゃん、今日は戦闘少なめだと、逆につまんないかも」

 脛比が笑う。


「この腕輪があれば、薬草採取なんて簡単でしょ?」

 骨田が気楽そうに腕輪をさする。


 三人とも余裕だな。

 俺にはそんな余裕はない。


 実習の時みたいに、また何もできないかもしれない。スライムにすら攻撃が通らなかった感触は、まだ手に残っている。


 それでも行くしかない。

 小蓮のために、薬を手に入れたいなら。


 

 一歩、門へ踏み込む。

 

 足元がふっと揺れて、体が一瞬だけ浮いたような感覚に包まれる。視界が歪み、次の瞬間には景色が切り替わっていた。


 空は高く、風はやわらかい。

 見渡す限り、背の低い草が揺れている。

 ところどころに低木の群れがあり、その向こうにはなだらかな丘も見えた。

 異世界だと分かっていても、ぱっと見は拍子抜けするくらい穏やかだ。


「よし、じゃあ行くぞ」


 最初に動いたのは太野川だった。

 剣の柄に手をかけたまま、周囲を見回して鼻を鳴らす。


「薬草なんて、その辺探せばすぐ見つかるだろ。オレたちはこのまま前に進む」

「そうだね。草が多い場所から見ていけばいいよね?」


 脛比が軽い調子で言う。


「楽勝でしょ」

 骨田も腕輪を見ながら笑った。


 そのまま三人は、さっさと草原の奥へ歩き始める。


「……なあ、ちゃんと確認しなくていいのか」


 思わず声をかける。

 でも太野川は振り向きもしない。


「細けぇこと気にしてたら日が暮れるだろ」

「オレちゃんたちが前出るから、ばかとのは後ろで草でも見てなよ」

「遅れないでねー」


 相変わらず好き勝手だ。


 真宮寺さんを見る。止めないんだな、と思った。いや、止めても無駄だと見てるのかもしれない。


 ただ一度だけ周囲に視線を走らせて、それから静かに歩き出す。三人の少し後ろ。でも、遅れすぎない位置。


 俺も仕方なく、その後を追った。


 草をかき分ける音。

 風の匂い。

 遠くで鳴く、聞いたことのない鳥みたいな声。


 とりあえず近くにあった草に、左腕の腕輪を寄せると文字が浮かぶ。


 『採取対象外』


 ちゃんと判定できてる。


「おっ、これじゃね?」

 前方で太野川の声が上がる。


 脛比と骨田がすぐそっちへ寄る。

 俺も少し遅れて近づいた。


 そこに生えていたのは、葉の細い草だった。

 見た感じは、そこらの草とほとんど変わらない。


「伸、腕輪」

「どれどれー」


 骨田が腕輪を寄せる。

 表示された文字を見て、三人が一瞬だけ黙った。


『薬草』


「おっ。見つけたぜ」

「ほんとだ。薬草って出てる」

「楽勝じゃん」


 三人の声が、少しだけ弾んだ。

 その時だった。

 すぐ近くの草むらが、ぬるりと揺れた。


 緑色の塊。

 見覚えのある、あのぷよりとした輪郭。


 ――スライムだ。


「またお前かよ」


 太野川が鼻で笑う。

 剣を抜いて、一歩前に出た。


「こんなの、一撃だろ」


 振り下ろされた刃が、スライムを真っ二つに裂く。緑の体が一瞬だけ崩れ、すぐに黒い砂みたいに散って消えた。


「ほらな」

 太野川が振り返って笑う。


「こんなの相手してるほうが面倒だよね」

 脛比も肩をすくめる。


「もうレベルが上がったから楽勝だね」

 骨田が言う。


 その時――草むらの奥で、何かが跳ねた。

 茶色い影が、一気に飛び出してくる。


 ホーンラビット。

 頭に短い角を生やした、ウサギみたいなモンスターだ。


 見た目は小さい。でも、その跳躍は思ったよりずっと速かった。


「おっと!」


 脛比が反応して横へ飛ぶ。

 さっきまで立っていた場所を、ホーンラビットが鋭く駆け抜けた。


「うわ、速っ」

 骨田が一歩下がる。


 太野川はすぐに剣を構え直した。


「チッ、次はこっちかよ!」


 ホーンラビットは草を蹴って方向を変える。

 そのまま、今度は俺の方へ突っ込んできた。


(なんでこっち来るんだよ!)


 短い角を前に向けたまま、まっすぐ頭を狙ってくる。

 避けきれない――そう思った瞬間。


「ヘブシッ!!」


 また、あの変なくしゃみが飛び出した。


 体が勝手に沈む。

 ホーンラビットは、そのままの勢いで俺の頭上をすっ飛んでいった。


 着地したホーンラビットが、すぐさま振り返る。後ろ脚に力を溜め、もう一度飛ぶつもりだ。


 次の瞬間、周りの温度が上がる。


 伸ばされた指先の先に、赤い光が走った。

 小さい炎の玉。


 それが一直線にホーンラビットを貫いた。

 小さな体が空中で硬直し、そのまま黒い砂になって崩れる。


 静寂が落ちた――そう思ったのも、ほんの一瞬だった。次の瞬間、周囲の草むらが一斉にぬるりと揺れた。


「……は?」


 前後左右。

 視界に入るだけでも、十体近い。


 緑色の塊。

 ぷよりとした、見覚えのある輪郭。


 ――スライム。


「なんだよ、今度は多いな」

 太野川が顔をしかめる。


「別に全部倒せばいいだけでしょ」

 脛比が軽く言う。


「うわ、ちょっと気持ち悪いかも」

 骨田が一歩下がった。


 ぬるり、ぬるりと草の間を這ってくる。

 遅い。

 でも、数が多い。


 しかも妙だった。

 前に出た太野川たちの方ではなく、真宮寺さんのいる方へ、じわじわと集まっていく。


「……なんであっちに?」


 思わず呟く。


 真宮寺さんもそれに気づいたらしい。

 白い剣閃が走る。

 細く鋭い刃が、一直線にスライムを貫いた。

 一体。

 二体。

 三体。


 緑色の塊が黒い砂となって崩れる。

 だが、その横から、また別のスライムが這い寄ってくる。


 さらに一体。

 さらに一体。


「多すぎるだろ!」

 太野川が叫んだ。


 脛比が蹴りで一体を弾き飛ばし、骨田がファイヤーボールを放つ。

 それでも、流れは止まらない。


 まるで、真宮寺さんを目印にしているみたいだった。


 真宮寺さんは後ろへ下がらない。

 今度は、その場で次々に魔法を撃ち込んでいく。


「左から二体!」

 骨田が叫ぶ。


 真宮寺さんの剣が走る。

 左の二体は消えた。


 でも、その直後。


 真宮寺さんの死角――。

 右後方の草むらから、一体のスライムが飛び出した。


(まずい)


 距離が近い。

 魔法を撃つには、一瞬遅い。


 真宮寺さんが振り向く。

 でも、間に合わない。


「ヘブシ」


 次の瞬間。


 どんっ!


「ぐっ……!」


 スライムの体当たりが、まともに脇腹へ入った。


 鈍い衝撃。

 息が詰まる。

 足がもつれて、そのまま草の上に転がった。


「羽賀登野さん!」


 真宮寺さんの声が、初めてはっきり揺れた。


 その声と同時に、空気が揺らぐ。


 次の瞬間、俺に体当たりしたスライムを、炎が包む。

 緑色の体が燃え上がり、黒い砂になって崩れる。


 俺は脇腹を押さえたまま、なんとか起き上がる。


「……っつ……」


 痛い。

 普通に痛い。

 でも、骨がどうこうって感じじゃない。


「なんで前に出たんですか」


 真宮寺さんが、すぐ目の前に立っていた。

 声は低い。

 怒っているようにも聞こえる。


「いや、なんか……体が勝手に」


 言いながら、自分でも何を言ってるんだと思う。

 あのまま当たっても、真宮寺さんなら平気だったかもしれない。


「……庇わなくても大丈夫です」


 真宮寺さんは剣を鞘にしまいながら一歩近づいた。

 その黒い瞳が、まっすぐ俺を見ていた。

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