第20話 トーカ平原
探索者ギルド協会本部の北側出入口を抜けると、すでにいくつかのパーティーが門の前に集まっていた。
そこに立つ黒い門の向こう側の景色は、赤黒く、全てを飲み込むように揺れている。
異世界に実習で行った、あの時の気分とはまるで違う。
あの時は訓練だった。
今回は、正式な依頼だ。
薬草採取。
低危険度。
新人向け。
そう説明はされているが、門の向こうにあるのは、モンスターがいて、油断すれば門外追放。
やっぱり、門の前に立つだけで、胸の奥がじわじわと固くなる。
「おっ。やっぱ門の前来るとテンション上がるな」
太野川が肩を回しながら言う。
「オレちゃん、今日は戦闘少なめだと、逆につまんないかも」
脛比が笑う。
「この腕輪があれば、薬草採取なんて簡単でしょ?」
骨田が気楽そうに腕輪をさする。
三人とも余裕だな。
俺にはそんな余裕はない。
実習の時みたいに、また何もできないかもしれない。スライムにすら攻撃が通らなかった感触は、まだ手に残っている。
それでも行くしかない。
小蓮のために、薬を手に入れたいなら。
◇
一歩、門へ踏み込む。
足元がふっと揺れて、体が一瞬だけ浮いたような感覚に包まれる。視界が歪み、次の瞬間には景色が切り替わっていた。
空は高く、風はやわらかい。
見渡す限り、背の低い草が揺れている。
ところどころに低木の群れがあり、その向こうにはなだらかな丘も見えた。
異世界だと分かっていても、ぱっと見は拍子抜けするくらい穏やかだ。
「よし、じゃあ行くぞ」
最初に動いたのは太野川だった。
剣の柄に手をかけたまま、周囲を見回して鼻を鳴らす。
「薬草なんて、その辺探せばすぐ見つかるだろ。オレたちはこのまま前に進む」
「そうだね。草が多い場所から見ていけばいいよね?」
脛比が軽い調子で言う。
「楽勝でしょ」
骨田も腕輪を見ながら笑った。
そのまま三人は、さっさと草原の奥へ歩き始める。
「……なあ、ちゃんと確認しなくていいのか」
思わず声をかける。
でも太野川は振り向きもしない。
「細けぇこと気にしてたら日が暮れるだろ」
「オレちゃんたちが前出るから、ばかとのは後ろで草でも見てなよ」
「遅れないでねー」
相変わらず好き勝手だ。
真宮寺さんを見る。止めないんだな、と思った。いや、止めても無駄だと見てるのかもしれない。
ただ一度だけ周囲に視線を走らせて、それから静かに歩き出す。三人の少し後ろ。でも、遅れすぎない位置。
俺も仕方なく、その後を追った。
草をかき分ける音。
風の匂い。
遠くで鳴く、聞いたことのない鳥みたいな声。
とりあえず近くにあった草に、左腕の腕輪を寄せると文字が浮かぶ。
『採取対象外』
ちゃんと判定できてる。
「おっ、これじゃね?」
前方で太野川の声が上がる。
脛比と骨田がすぐそっちへ寄る。
俺も少し遅れて近づいた。
そこに生えていたのは、葉の細い草だった。
見た感じは、そこらの草とほとんど変わらない。
「伸、腕輪」
「どれどれー」
骨田が腕輪を寄せる。
表示された文字を見て、三人が一瞬だけ黙った。
『薬草』
「おっ。見つけたぜ」
「ほんとだ。薬草って出てる」
「楽勝じゃん」
三人の声が、少しだけ弾んだ。
その時だった。
すぐ近くの草むらが、ぬるりと揺れた。
緑色の塊。
見覚えのある、あのぷよりとした輪郭。
――スライムだ。
「またお前かよ」
太野川が鼻で笑う。
剣を抜いて、一歩前に出た。
「こんなの、一撃だろ」
振り下ろされた刃が、スライムを真っ二つに裂く。緑の体が一瞬だけ崩れ、すぐに黒い砂みたいに散って消えた。
「ほらな」
太野川が振り返って笑う。
「こんなの相手してるほうが面倒だよね」
脛比も肩をすくめる。
「もうレベルが上がったから楽勝だね」
骨田が言う。
その時――草むらの奥で、何かが跳ねた。
茶色い影が、一気に飛び出してくる。
ホーンラビット。
頭に短い角を生やした、ウサギみたいなモンスターだ。
見た目は小さい。でも、その跳躍は思ったよりずっと速かった。
「おっと!」
脛比が反応して横へ飛ぶ。
さっきまで立っていた場所を、ホーンラビットが鋭く駆け抜けた。
「うわ、速っ」
骨田が一歩下がる。
太野川はすぐに剣を構え直した。
「チッ、次はこっちかよ!」
ホーンラビットは草を蹴って方向を変える。
そのまま、今度は俺の方へ突っ込んできた。
(なんでこっち来るんだよ!)
短い角を前に向けたまま、まっすぐ頭を狙ってくる。
避けきれない――そう思った瞬間。
「ヘブシッ!!」
また、あの変なくしゃみが飛び出した。
体が勝手に沈む。
ホーンラビットは、そのままの勢いで俺の頭上をすっ飛んでいった。
着地したホーンラビットが、すぐさま振り返る。後ろ脚に力を溜め、もう一度飛ぶつもりだ。
次の瞬間、周りの温度が上がる。
伸ばされた指先の先に、赤い光が走った。
小さい炎の玉。
それが一直線にホーンラビットを貫いた。
小さな体が空中で硬直し、そのまま黒い砂になって崩れる。
静寂が落ちた――そう思ったのも、ほんの一瞬だった。次の瞬間、周囲の草むらが一斉にぬるりと揺れた。
「……は?」
前後左右。
視界に入るだけでも、十体近い。
緑色の塊。
ぷよりとした、見覚えのある輪郭。
――スライム。
「なんだよ、今度は多いな」
太野川が顔をしかめる。
「別に全部倒せばいいだけでしょ」
脛比が軽く言う。
「うわ、ちょっと気持ち悪いかも」
骨田が一歩下がった。
ぬるり、ぬるりと草の間を這ってくる。
遅い。
でも、数が多い。
しかも妙だった。
前に出た太野川たちの方ではなく、真宮寺さんのいる方へ、じわじわと集まっていく。
「……なんであっちに?」
思わず呟く。
真宮寺さんもそれに気づいたらしい。
白い剣閃が走る。
細く鋭い刃が、一直線にスライムを貫いた。
一体。
二体。
三体。
緑色の塊が黒い砂となって崩れる。
だが、その横から、また別のスライムが這い寄ってくる。
さらに一体。
さらに一体。
「多すぎるだろ!」
太野川が叫んだ。
脛比が蹴りで一体を弾き飛ばし、骨田がファイヤーボールを放つ。
それでも、流れは止まらない。
まるで、真宮寺さんを目印にしているみたいだった。
真宮寺さんは後ろへ下がらない。
今度は、その場で次々に魔法を撃ち込んでいく。
「左から二体!」
骨田が叫ぶ。
真宮寺さんの剣が走る。
左の二体は消えた。
でも、その直後。
真宮寺さんの死角――。
右後方の草むらから、一体のスライムが飛び出した。
(まずい)
距離が近い。
魔法を撃つには、一瞬遅い。
真宮寺さんが振り向く。
でも、間に合わない。
「ヘブシ」
次の瞬間。
どんっ!
「ぐっ……!」
スライムの体当たりが、まともに脇腹へ入った。
鈍い衝撃。
息が詰まる。
足がもつれて、そのまま草の上に転がった。
「羽賀登野さん!」
真宮寺さんの声が、初めてはっきり揺れた。
その声と同時に、空気が揺らぐ。
次の瞬間、俺に体当たりしたスライムを、炎が包む。
緑色の体が燃え上がり、黒い砂になって崩れる。
俺は脇腹を押さえたまま、なんとか起き上がる。
「……っつ……」
痛い。
普通に痛い。
でも、骨がどうこうって感じじゃない。
「なんで前に出たんですか」
真宮寺さんが、すぐ目の前に立っていた。
声は低い。
怒っているようにも聞こえる。
「いや、なんか……体が勝手に」
言いながら、自分でも何を言ってるんだと思う。
あのまま当たっても、真宮寺さんなら平気だったかもしれない。
「……庇わなくても大丈夫です」
真宮寺さんは剣を鞘にしまいながら一歩近づいた。
その黒い瞳が、まっすぐ俺を見ていた。




