第10話 妹のお見舞い
パーティー演習が終わった放課後。俺はそのまま、病院へ向かった。
ナースステーションで名前を書き、廊下を歩く。妹と同じ病室の人とすれ違い、軽く会釈する。
病室の入り口からは、日の光が伸びていた。
「失礼します」
窓際のベッドへ目を向ける。
椅子に座っていた小蓮が、ゆっくり立ち上がった。差し込む夕陽が髪を照らし、金色に近い光をにじませている。
……綺麗だな。
思わず、そう思った。
ジョブ判定の影響だろうか。もともと淡い栗色だった髪は、今でははっきり金に近い色になっている。魔法属性は、白か? 栗色が薄くなった感じか。
俺も両親も黒髪なのに、小蓮だけが違っていた。母さんが昔、「母方に北欧の血が混ざってるらしいのよ〜」と曖昧に笑っていたのを思い出す。
父さんは若い頃、何社にもモデルのスカウトを受けたらしい。今でも女性客によく話しかけられている。
母さんは母さんで、大学生に間違われるくらい若く見える。
そして、小蓮。
この三人が並ぶと、本当にドラマのワンシーンみたいだ。正直に言えば、「俺だけ違うんじゃないか」と思ったこともある。それでも卑屈にならずに済んだのは、家族みんなの仲が良かったからだと思う。
小蓮はまた少し痩せたか?
入院のせいか、顔色も薄い。
それでも、少し吊り上がった目には、強い光が宿っていた。
小蓮は俺のためにソファを空け、自分はベッドの端に腰を下ろした。
「夏、ジョブはお笑い師なんだって?」
「ああ。母さんから聞いたか」
「向こうに行くつもりなんでしょ?」
真っ直ぐな視線。
「……大丈夫なの?」
「ステータス低いしな。何ができるか分からないけど……。まあ、なんとかなるだろ」
目を逸らす。
「それなのに、どうして異世界に行こうと思うの?」
少し間が空く。俺は肩をすくめた。
「せっかく覚醒者になれたしさ。ちょっと見てみたいんだよ。異世界ってやつを」
我ながら、下手な言い訳だ。
「ふーん」
小蓮は目を逸らさないまま笑った。
昔から、小蓮には嘘がバレている気がする。
「それより、小蓮は聖者なんだろ? すごいじゃん」
「まあね。僕はすごいから」
即答だった。
「でも、この体じゃ異世界は無理かな」
袖をまくる。
透けるように白い腕。
折れそうなほど細い。
小蓮の体の状態を保つには、ハイヒールポーションが必要だ。一瓶、五十万円。去年までは二十万円のヒールポーションで足りていた。けれど今は、もう効きが弱い。必要な間隔も短くなっている。
主治医の知り合いの錬金術師の話では、もっと上位のポーションなら小蓮の病を根本から治せる可能性があるらしい。ただし、それは探索者でも滅多に手に入らないほど貴重な薬だ。
“リカバリードラフト“
滅多に見つからない。探索者でも、そう簡単には持ち帰れない。
――なら。
自分で取りに行くしかない。
だから、戦闘系ジョブが欲しかった。魔法使いなら、レベルが上がれば一人で群れを倒せる。
人任せじゃなく、自分の手で。
……なのに。
お笑い師。
「明後日、異世界実習だから、どこまでやれるか分かると思う」
「……無理しないようにね」
「ああ。危なくなったらすぐ逃げる」
軽く言ったつもりだった。
小蓮は少しだけ眉を寄せたが、それ以上は言わなかった。
「そういえば、さっき時雨さんに会った」
「また何か言われた?」
「ああ。六華に近づくな、ってさ」
「いつからか、夏には厳しいよね。僕には優しいけど」
そうなんだよな。小学生ぐらいまでは、かなり仲良くしてくれていた。六華の家に遊びに行くと、玄関で時雨さんが出てきて。
「おう、夏。今日も来たのか」
そう言って笑っていた。
俺たち三人――。
俺と小蓮、それに六華。放課後はよく一緒に遊んでいたし、帰り道に時雨さんが、混ざって遊んだこともあった。
でも――。
俺達が中学に入る前頃からだ。少しずつ、態度が変わった。前みたいに話しかけてこない。視線だけは向けてくるけど、どこか距離を置いている。
「中学くらいからだよね」
小蓮がぽつりと言った。
「……ああ」
「たぶん、年頃だからじゃない?」
「年頃?」
「夏と六華、ずっと一緒にいたでしょ」
小蓮は少しだけ肩をすくめる。
「兄としては、いろいろ思うんじゃない?」
「……俺、そんな怪しいことしてないぞ」
「してなくても、兄としては気になるんじゃない?」
小蓮はくすっと笑った。
「でもね」
「ん?」
「六華は、全然気にしてないと思う」
窓から入る光の中で、小蓮の金色の髪が揺れる。
「むしろ、夏が距離を取ろうとすると怒るタイプだよ」
「それは……、ありそうだな」
六華の顔を思い浮かべて、思わず苦笑する。
「だから、あんまり気にしなくていいと思うよ」
それから、今日の演習の話をしたら、小蓮はベッドの上で声を上げて笑った。
「はははは! それは笑うでしょ!」
「まあ、俺も意味分かんなかった」
二人で笑う。その笑顔を見られただけで、今日ここに来た意味はあった。
やがて、小蓮は少しだけ真剣な顔になった。
「それより」
「ん?」
「異世界実習」
視線が、まっすぐ向けられる。
「本当に気をつけてね」
「ああ、気をつける。そろそろ時間だな。じゃあ、明後日は家で」
「うん。またね」
病室での他愛ない会話と笑い。そんな時間が日常になる日を、俺は諦めない。それを可能にするだけの力が――。
今の俺にあるのかどうかは、まだ分からないけど。
◇
明後日は、小蓮が退院する日。それは俺の異世界実習の日でもあった。
母さんは店を早めに上がって、退院祝いをするらしい。
(実習で怪我なんかして帰ったら、最悪だな……)
そんなことを考えながら病院を出た、そのとき。
「よう、羽賀登野。久しぶりだな」
聞き覚えのある声。
振り向くと、そこに立っていたのは――。
北海拓磨だった。
同級生。特別仲が良かったわけじゃない。でも、顔は覚えている。
「……ああ、久しぶり」
北海は口の端を吊り上げた。
「俺さ、ジョブ判定で錬金術師になった」
どこか誇らしげだった。
「へえ、そうなんだ」
錬金術師。
生産系。
ハズレと呼ばれることもあるが、社会的な価値は高い。
北海は一歩、距離を詰めてくる。
「それでさ――小蓮ちゃん、体の具合悪いんだろ?」
一瞬、胸の奥がざわついた。
「……どこでその話を?」
「俺の母ちゃんが、ここの病院で手伝いしてた時にさ。看護師が話してるの、聞いたんだよ」
まさか、そんなところから知られていたとは思わなかった。
「ハイヒールポーションじゃないと効かないって。リカバリードラフトならなんとかなるかもしれないってな」
「……あまり言いふらさないでくれ」
「言わねぇよ。安心しろ」
そう言って、北海は両手を軽く上げる。
それから、わざとらしく笑った。
「でもよ」
少し、間を置く。
「俺、錬金術師になったんだぜ?」
「……だから?」
「分かってねぇなぁ」
にやり、と笑う。
「俺なら、その薬、作れるかもしれねぇんだよ」
一瞬、世界が止まった気がした。
作れる?
「すぐには無理だけどな。まだ駆け出しだし」
「……本当に作れるのか?」
「レベルが上がればいけるかもな。でも、先輩は作れるかも」
戦って取りに行くしかないと、ずっと思っていた。でも、生産職は作れば作るほどレベルが上がる。
「北海は、どこに勤めるんだ?」
「川北ギルド」
川北ギルド。
聞いたことがない。そんなに大きくないところなんだろうか。
「悪い、生産職のギルドはあんまり知らなくて」
「そうだろうな。でも、まあまあ給料はいいし、設備も整ってる。悪くねぇ職場だ」
「そうか」
北海は個人端末を取り出した。
「連絡先、交換しとこうぜ」
迷う理由はなかった。
「ああ」
端末を重ね、データを同期する。
ピロン、と小さな通知音。
「よし。登録完了。そのうち連絡するわ」
北海は手を軽く振って、そのまま歩き去っていった。残された俺は、しばらくその背中を見送る。
錬金術師の知り合い、か。
もし本当に薬を作れるようになったら――。
ほんの少しだけ、希望に火が灯った気がした。




