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88、帰る場所

 鼻を通る匂いで帰ってきたことを実感する。木々と藪の間を駆け抜け進むにつれて見える景色に懐かしさが込み上げる。幼き日と同じ様に兄上を追いかけながらというのが更にその懐かしさを感じるのだろう。


 幼かった私は何時も兄上の後ろを追い駆けていた。兄上は幼い私に気を遣い住処からあまり離れない場所を巡っていた。兄上ならばもっと遠出が出来たはずなのに、嫌な顔をせずに私を連れて行ってくれた。父と母が帰らなかった日からは、更に私を守らなければという思いが強くなったらしく、住処の付近であれば問題なく過ごせるようになってからもしばらくの間単独での行動はさせて貰えなかった。その頃は少し過保護な気もしていたが、今ならば兄上のその気持ちも理解できる。兄上にとって私は・・・それは私にとっての兄上と同じだけど、唯一の家族だったから。そして兄上以外にも大切な家族が出来た今だからこそ、あの時の兄上の気持ちがよく理解できる。自分の命を懸けてでも守りたいと思える。兄上も感じていたのかもしれないが、自分でも頼りないと感じていた私がそう思っていることに私自身が一番驚いている。勿論兄上も大切な家族なのは間違いない。


 昔と同じ様に兄上の後を追い駆けているが、その後姿は昔とは大分違う。幼き日に見た兄上の後ろ姿も頼もしかったが、今はそれとは比べものにならない程頼もしく見える。今の兄上ならば付近の魔物など一掃出来るだろう。揺れる六本の尾を見ながら、やはり兄上は凄いなと思う。

 不意に兄上が昔みたいに振り返る。

「・・・モモカ、大丈夫か。」

「・・・兄上、何時の頃の話をしているのですか。」

 兄上は昔と同じ様に私に声を懸けた。私だって兄上程ではないけれど、あの頃よりも成長したのに。全く、兄上は心配性なのだから。あの頃の私達には「ヤクモ」「モモカ」という名前も無かったけれど。

「そうだったな。すまない、この景色の所為かもしれないな・・・。」

 兄上も昔を思い出していたのかもしれない。久し振りの兄妹だけでの行動にそんな気持ちになったのだろう。

「そうですね、兄上。私も懐かしく感じます。」

 そう・・・兄上と兄妹だけで過ごした日々が遠い昔の様に感じる。それ程様々な出来事が私達兄妹に起きた。それこそこの森の外に出るなんて思ってもいなかった。森の外に出るだけでなく、旅までする事になるなんて考えた事もなかった。イッスン様に出会うまでは。


 お互いに住処の周辺であればさほど大きな問題もなく暮らすことが出来ていたし、単独行動も出来るようになっていた。その頃には子供の頃よりも広い範囲を単独で周れる様になっていた。

 そんなある日、兄上が帰って来なかった。

 父と母からも「私達が帰らなかった時は、兄妹だけで力を合わせて生きるのだぞ。」と言い聞かされていた。まさかそんな日が実際に訪れるなんて思っていなかった。兄上からも「もし私がか来なかったとしても、決して探そうとはせずに、安全なところで暮らすのだぞ。」と言われていた。

 私はその言いつけを守り、数日は寂しさに耐えながら過ごした。それでも私にとっては唯一の家族である兄上の事が心配で、言いつけを破り兄上の探索を始めた。どうしてもあの兄上がどこかで命を落としてしまったとは思えなかったから。あの頃の兄上も私からみれば、この森の中でも他の魔物に遅れを取る程弱かったとは思えなかった。北側の森にでも行かなければ兄上の力が有れば大丈夫なはずだと。そして兄上ならば、そんな危険な事を、そんな無謀な選択をする事は絶対にないと思っていたから。

 住処の近辺には何処へ行っても多少なりとも兄上の匂いがしていたので、正確に兄上の足跡を追うのは難しかった。更に数日立ってしまっていた事で、その匂いもかなり薄れてしまっているようだった。

 兄上が姿を消し、兄上の捜索を始めて数日が経った。兄上の気配を辿ることも出来なくなってしまっていたこともあり、私はかなり焦っていた。ただ闇雲に森の中を走り回っていた。

 そんな時だった。必死だったので、そこが何処っだったか覚えていないが、微かに藪の向こうに兄上の匂いを感じた気がした。私は嬉しさと焦りと数日間の疲労が入り混じり、冷静な判断が出来ていなかった。両親からも兄上からも、いかなる時も冷静さを欠いてはいけないと教わっていたのに。その時の私はそんな事は考えられていなかった。


 藪を抜けて顔を出すと、そこにいたのは・・・二足で立ち角のある白い奇妙な魔物だった。その魔物が父や母から聞いたことのある兎という種類の魔物だというのはその時には分からなかった。ただその魔物から間違いなく兄上の匂いがしている事だけはすぐに分かった。そこで始めて私は警戒した。その時に自分が警戒していなかった事を思い出した。

 私はその奇妙な魔物に疑いと驚きの視線を向ける。だけどその奇妙な魔物も私に驚きの視線を向けていた。・・・今思いだすと、木の実を口にしようとしていて、そのまま動きを止め驚きの表情を浮かべていたそのお姿は、少し可笑しく思える。時々思い出して、少し楽しくなるのは、私だけの秘密だ。

 兄上の匂いをさせたその魔物は急に表情を変えた。私に向けて敵意を見せたのかと思ったけど、そうではなかった。その魔物は私達を取り囲もうとしている魔物達の気配を察知したのだ。この時点でも私は驚きで警戒を怠っていた。それなのに眼の前の白い魔物は、この状況で私に警戒するだけでなく、その周りにも気を配っていたのだ。今ならイッスン様ならその程度は当り前の事なのだと理解できるが、その時の私はとても驚いた。

 その白い兎の魔物はあっという間に私達を取り囲んだ魔物を倒してしまった。それも兄上ならともかくあの頃の私では逃げる事しか出来なかったであろう狼の魔物を複数相手にだ。その戦う姿をとても美しいと感じた事を今でも覚えている。私はその戦いに見とれていた。最後の一頭と退治していた時、その白い兎は突然戦闘態勢を解いた。何事かと思ったが、すぐにその理由を理解した。白い兎の後方で見ていた私の横を良く知っている匂いと一緒に白い風が駆け抜けた。それが兄上である事はすぐに分かった。その白い兎は兄上が近付いていた事を知り、兄上に任せたのだ。全ての狼を倒した白い兎と兄上がまるで古くからの友のように言葉を交わしていた事に驚いた。私はとても混乱した。帰らなかったこの数日の間に何があったのだろうか。しかしこの頃から既にイッスン様は兄上に絶対の信を置いていた事が今になった分かった。


 これが私とイッスン様の出会いだ。この出会いが兄上と共に私の生き方を大きく変える事になった。


 イッスン様も兄上も私に無理強いはしなかった。むしろどちらかと言えばイッスン様は私だけでなく兄上さえもご自分の生き方に巻き込んでしまう事に抵抗があったように思える。兄上の説明もあったが、私がイッスン様にお仕えしようと決めたのはそこではなかった。勿論その時のイッスン様に何も確かな事は分からなかったし、絶対に信じられる何かが見いだせていなかった。それでも信じられるものがあったとするなら、それは兄上だった。その兄上が心から信じている事が感じ取れた事と、イッスン様が兄上の事を信頼している事が分かったから・・・。この選択に全く後悔などしていない。大変な事もあるけれど、おかげさまでとても楽しい毎日を過ごすことが出来ている。・・・まさか世界を救う旅をする事になるとは思ってもみなかった。そうなった今でも実感は殆どないけれど。それでもイッスン様や兄上の力になれるならば、私は信じて付いて行くだけだ。


「・・・そろそろだな。」

 今度は後ろを振り返らずに兄上はそう言った。少し昔を思い出しながら兄上の後ろ姿を見ていた私はその声に視線を動かす。幼き日から何度も通った見知った森、無意識に父と母と、そして兄上と過ごした住処の方へと視線を向けた。

「そうですね。」

 同じ森の中なのにこの辺りの香りさえ懐かしく感じる。少しづつ以前私達が暮らした住処の姿が見えて来た。周辺を彩る草木に微妙な変化は見られるものの景色は見慣れたものと変わりがなかった。

「不思議なものだな・・・。私達の住処なのに、少し緊張するな。」

 兄上の言っている事もなんとなく分かる気がする。住処の少し手前にある倒木もそのままだ。子供の頃から何度も潜り抜けた場所。そこを抜けると懐かしい私達の住処が見えた。

「・・・どうやら、他の魔物が住み着いている形跡はなさそうですね、兄上。」

 これだけ長い間離れていれば他の魔物が住処として使っていたとしてもおかしくはない。しかし住処は以前と同じままの姿でそこにあった。

「そのようだな・・・。もし他のものが使っていたら、そのまま引き返すつもりだったのだが。どうやら大丈夫のようだな。」

 私も兄上と同じ事を考えていた。他の魔物が暮らしていたのなら、何事もなかったように帰る事を提案するつもりだった。この場所のように安全に眠ることが出来る場所は限られている。それならば敢えて静かに暮らしているもの達の生活を脅かす必要はないと思っているからだ。・・・それはきっと、イッスン様がそういう方だからだろう。その影響を私も兄上も大きく受けているからだろう。

「はい。・・・兄上は少し残念ですか。」

「ふっ・・・。そんな事はないさ。」

 実は私の方がそう思っていたのかもしれない。しかし、私達が生まれ育った場所だ。この場所に思い入れがないはずはない。昔みたいに兄上の後に続いて懐かしい住処の中に入って行く。


 中に入ると、帰ってこなくなって長い時が経っていて、するはずもない父と母の匂いがしたような気がした。それはきっと思い出の中の淡い匂い。住処の中の様子を目を細めて見渡した。なんだか父と母の面影が見えるような気がして・・・。でも不思議な事に、声や言葉は思い出せるのに、父と母の顔をはっきりと思い出せなかった。その事に気が付いて驚いた。そしてそれを少し寂しく思った。

「ここを離れたのが、何時の事だったか思い出せない程昔の様に感じるな。」

「ええ。私もそう感じます。」

 兄上も私と同じ様に感じていた様子で少し安心した。

「それ程主殿と出会ってからの日々が目まぐるしいものだった、という事なのだろう。」

「えぇ・・・本当に。」

 穏やかな日がなかった訳ではない。それでも私達兄妹だけで暮らしていたら決して経験する事のない出来事に沢山遭遇した。

「大変ではなかったか・・・。半ば私が無理矢理誘ってしまって、申し訳ない気もしていたのだ・・・。」

 ・・・きっと兄上の事だから、少なからずそう思っていたのではないかと思っていた。

「大変でなかったか、と聞かれれば、間違いなく大変でしたね。」

「・・・そうだな。すまない。私の我儘で巻き込んでしまって・・・。」

「大変でしたが、嫌だった事など一度もありませんよ、兄上。」

 私の答えに兄上は安心したように「そうか・・・。」と笑った。

「兄上の方こそ、後悔してはいませんか。」

 この世界で最も意味のない質問を投げかける。ちょっとした私の兄上に対する仕返しに。

「モモカよ。聞かなくても答えの分かる質問をしたな。」

 流石兄上、昔から私のいたずらにはすぐに気が付く。ちゃんと騙せた事など一度もない。・・・気が付かないふりをして付き合ってくれた事は何度かあったが。・・・私は「仰るとおりです。」という意味の微笑みで小さく頷く。

「・・・ここだけの話だが。主殿は時々予想外の突拍子もない事をなさるので、仕える方を間違えてしまったかもしれないと思う時もある。」

 そう言いながら兄上は楽しそうに笑った。

「・・・えぇ。その事に関しては、私も同感です。」

 私がそう答えると、私と兄上は声を出して笑った。本当にイッスン様は時々無茶をなさる。ご自分の命より私達家族の命を大切になさるから。それは嬉しくもあるが、私達臣からすると困った事でもある。全く私達の気持ちを考えて欲しいものだと思う。・・・きっとそんな事は百も承知の上なのでしょうね、イッスン様は。だからこそ今まで仕えて後悔をしたことがないのだろう。

「しかし本当に様々な事があったな・・・。」

 兄上はあの頃と同じ位置に休み、外を見つめながらそう言った。きっとその体験した様々な出来事を思い出しているのだろう。

「本当に・・・。まさか他の種の魔物と共に暮す事になるとは・・・。ましてや家族になるとは考えてもいませんでした。」

「全くその通りだな。今であれば、主殿なら当然の事だと思えるが・・・。」

 兄上はイッスン様の事を話す時、とても嬉しそうな顔になる。まるで自分の事を自慢するように誇らしげでもある。まあ、兄上は自慢する様な方ではありませんが。

「そうですね。イッスン様はとてもお優しいですから。でもそのおかげで子供達も良い子に育っています。」

 皆イッスン様の事を尊敬しているから、同じ様になりたいと思っているのだろう。流石イッスン様だ、子供達にも良い影響を与えて下っさっている。それは勿論子供達に限らず、兄上や私、スーアンさんにもではあるけど。それだけに留まらず、聖獣たるノイン様や魔王たるトウオウ様にもだ。兄上だけでなく私も誇らしく思う。


 そして成長したのは子供達だけではない。私も、そして兄上に至ってはそのお姿も大きく変化した。

「なんだ。私の顔に何か着いていたりするのか。」

 そう言いながら兄上は前脚で顔を軽く拭った。

「ふふ、そうではありませんよ、兄上。イッスン様と出会って、兄上もかなりお変わりになられたな、と。」

「ははは。そうだな。」

 兄上は笑いながら今度は前脚で顔の傷をそっとなぞった。その傷は兄上が初めてイッスン様に出会った時に、イッスン様と相対し、その際に負った傷だ。私は兄上からその話を聞いただけではあるが。兄上はその時の話をご自分がイッスン様に敗れたにも関わらず、とても誇らしげに話される。・・・今なら私でも分かるが、イッスン様に戦いを挑むなど、兄上もかなり無謀な事をなさったものだ。

「大分尾が増えましたね。」

「あぁ、そうだな。今や六本だ。」

 兄上は座った体勢のまま、その六本の尾を軽やかに揺らしてみせた。その尾の数は兄上の進化の証、強さの証だ。

「一体何本まで増えるのでしょうか。」

「主殿は大凡の見当は付いておられるようだが・・・。」

「ふふふ。答えは自分で見つけろという事なのでしょう、きっと。」

「ああ。実に主殿らしい。答えを安易に与えない。己で辿り着いてこそという事なのだと私は思っている。」

 おそらくそれは兄上がイッスン様に信頼されているからこそなのではないかと思っている。兄上ならばきっと自分で答えに辿り着けると。それでも進むべき方向に迷った時は必ず助言をしてくださる。

「私もそう思います。」

「・・・なぁ、モモカよ。私は主殿の期待に応えられているだろうか。」

 兄上にしては珍しく不安そうな表情でそう言った。

「何を仰られているのですか。イッスン様が兄上に一度でもそのような事を言われた事があるのですか。」

「・・・いや。私の覚えている限り、一度もその様な事はないな。」

「ならばなぜその様な事を・・・。」

 イッスン様と一番長く過ごして来たはずなのに、なぜその様な発想になるのか。私達の誰が見てもイッスン様が一番信頼しているのは兄上である事は分かるというのに。兄上自信はその事に気が付いておられないのだろうか。

「一度もその様な事がないから、と言ったらおかしいだろうか。」

「はっきり申し上げます。おかしいです。」

「そ、そうか・・・。」

「それこそがイッスン様が兄上を信頼しているという事ではありませんか。」

 全く兄上は何を考えておられるのだろうか。あまりの鈍感さに腹が立ってきました。

「・・・それは、分かっているつもりではあるのだ。しかしな・・・主殿は私が側にいなくても充分な程強いのだ。そう思うと自分が本当に主殿のお役に立てているのかと不安になるのだ。」

 なるほど・・・。確かにそう言われると、兄上がそう感じてしまった事も理解できる。私も些か早計に腹を立ててしまった。

「・・・兄上、失礼いたしました。兄上のお気持ちも考えずに・・・。」

「いや・・・良いのだ。モモカの言うことも最もだと思う。モモカが腹を立てる気持ちも良く分かる。」

 兄上は何時もこうやって私の言葉に耳を傾けてくれる。昔からだ。

「そして、きっとモモカの言っている事が正しいのだろうな。」

「いえ、決してその様な事は・・・。」

 兄上はお優しいから・・・。

「きっと私が気にしすぎなのだ。そして、私が信頼されているかいないかなど、どちらでも良いのだな。」

「兄上はちゃんと・・・。」

「そうだな。だが良いのだ。重要なのは私自身が主殿を信頼していることなのだと気付いた。ありがとう、モモカ。」

「兄上・・・。」

 流石は兄上だ。ご自分で重要な答えを見つけられた。・・・ただ私の至らぬ頭では、兄上がどの様にその答えに辿り着いたのか全く分からないが。しかし兄上の不安が取り払われた事は喜ばしい。


 一休みした後、本日の糧を得る為に住処の周りを探索する。幼き頃と同じ様に兄上と共に。懐かしき記憶の中にある場所を幼き日の思い出話に浸りながら。あの頃でも危険は殆どない地域ではあったが、今ならば外敵を気にする必要は無いに等しい。それでもイッスン様ならば油断するなと仰るだろう。イッスン様は庭の入口を通るまでは決して警戒を怠る事は無い。その付近であれば最大限の警戒をしてはいないが。

 幼き日に一日で収拾出来た位の可愛らしい量の食料を持ち帰る。それを食しながら、兄上と語り合う。昔の事、父や母の事、イッスン様の事、今の家族の事。様々な事を心ゆくまで。

「ふふ。」

 兄上が不意に笑う。

「どうされました。」

「いやなに。ここにいるのは私達兄妹しかいないのに、結局主殿と家族の話ばかりしているなと思ってな。」

 兄上にそう言われて、確かにそうだったなと気が付いた。両親と過ごした住処に兄上と私だけなのだから、思い出話ばかりになっても不思議ではない。なのに話すのは今の家族のことばかり。それ程私達の中で大切なものになっているのだろう。

「どうされますか、兄上。」

「ん・・・何がだ。」

「今夜はここで過ごす事になりますが・・・。」

「そうか・・・そうだな。」

 きっと兄上は家に帰りたいのではないのかと感じた。それはきっと私もそう思っている。この住処はもう私達兄妹にとって、思い出の地であって、帰る場所ではないのだ。それは決して寂しい事ではなく、迷うことなく新しい生活へと歩みを進める事が出来ているという事だと思う。

「明日、帰るとするか。」

「はい。」

「主殿には、もう少しゆっくりしてくればよかったのに、と言われそうだな。」

「えぇ、そうですね。」

 おそらく確実にその様な事を仰るでしょう。

 これから先はいつ今日のようにゆっくりと過ごせる日が分からない。未だにその実感が具体的に湧かないが、だからといって私の覚悟が不充分であるとは思っていない。むしろ今までだって、イッスン様にお仕えすると決めた時から、私はこの命を掛けると決めていたのだから。だからこそこういう機会はこれくらいで良いのじゃないかと私は思う。

「正直、皆が側にいない事が落ち着かない。」

「分かるような気がします。」

「普段は騒がしいと思うこともあるが、思いの外あの環境が気に入っていたのだな。」

「不思議なものですね。静かな方が落ち着かななんて。」

「全くだな。」

「・・・この場所に来るのは、今回が最後になるのでしょうか。」

 隙間から見える夜空を眺めながらそんな事を呟く。

「全てが終わったら、主殿の為すべきことが為されたら、今一度ここへ来よう。・・・そしてそれを最後にしよう。」

 兄上は既に伏せ目を閉じている。

「そうですね。私もそれで良いと思います。」

 もう少しだけ月を眺めてから、私も目を閉じた。


 夢に父と母がいたような気がした。行ってらっしゃいと言われたような気がした。

 目が覚めた時にはその事はとても曖昧なものになっていたが、とても清々しい気持ちだった。

 外に出て、心に浮かんだ歌を一曲歌った。どんな気持ちを込めたのかと聞かれると、上手く答える事はできそうもない。様々な想いを込めてとしか言い表せない。

 兄上と朝食を摂り、私達の住処を後にする。そしてこの付近以外ではあまり見かけない木の実を兄上と一緒に収穫する。

「モモカ。やり残した事はないか。」

「はい。大丈夫です。」

「では帰ろう。私達の家に。」

「はい。」

 幼き日と同じ様に兄上を追い駆ける。あの頃よりも遥かに頼れる後姿を。私達は帰る場所に向かって走り出す。

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