市役所
昼下がりの市役所。
男は苛立っていた。
受付の番号はまだこない。
三時間。
三時間も待っているのに……。
男はトイレに向かう。
明かりはついていない。
壁面には、
節電の為使用後電気を消してください。
そう注意書きがあった。
「センサーライトにしろよ」
男は呟く。
トイレの壁には、
茶色く黒ずんだ穴が並んであいていた。
ここに以前は壁がありました。
そう無言で語っていた。
壁を作っては壊し、
そうやって、
この市役所は変化してきた。
「俺の存在もこの壁みたいなもんなのかもな」
男の苛立ちは加速していく。
昨晩のことだった。
娘から連絡があった。
「私……、
父さんの子供じゃないの?」
メッセージには短くそうあった。
「どういう事だ」
と返信すると、
戸籍が取れなかったという。
男は疑問に思った。
「なぜ戸籍が必要なんだ」
そう返信する。
「私結婚するの」
寝耳に水だった。
父親という存在がありながら、
結婚ということすら知らせない。
そして、
父さんの子供じゃないの?
その一言。
しかし、
何も言えない。
いや、
言えるはずがない。
「わかった。
市役所に行って確認取ってみる」
男は短く答えた。
相手はどんな奴だ。
幸せなのか。
当たり前の質問をしたいと思った。
しかし、
自分にそんな権利はあるのかと、
そう自制した。
男は眠れなかった。
夜中に何度も目を覚ました。
止めていた酒を、
台所の戸棚から取り出し、
グラスに少し入れ、
一気に飲んだ。
空腹に熱い刺激が加わる。
蛇口をひねり、
コップに水を注ぐ。
一気に流し込む。
また再び、
胃の辺りに刺激が加わる。
悔しい。
そんな想いが心に生まれた。
妻は五年前に他界した。
娘は家出。
狭い文化住宅には、
人気はなかった。
壁には五年前にかけたっきりのカレンダー。
妻が亡くなった七月から、
ずっとめくられていない。
「どこで間違った」
男は一人呟いた。
……
「161番でお待ちの方」
男は番号表と表示された番号を何度も照らし合わせる。
受付の女は、
笑顔でいるが、
その表情は疲れたものだった。
「娘が結婚して、戸籍がいるんだが、娘が戸籍が取れないって言ってて」
男は言った。
これで伝わるのか。
男は少し不安そうだった。
「法務省がお伝えした、データの整合性が取れない件ですね」
受付の女はモニターを見ながら答える。
「あぁそうだと思います」
「顔写真付きの身分証明書をお持ちですか?」
男はズボンの後ろポケットから、財布を取り出す。
レシートとカードでパンパンになった二つ折りの財布。
二十年前、妻と娘にプレゼントされた財布だ。
「え~っと、ちょっと待ってよ」
男は、
乱雑にほうりこまれたカードを一枚一枚確認する。
「あぁこれだ」
男は免許証を手渡す。
「お預かりします」
女は、
写真と男の顔を何度も確認する。
「はい。こちらコピーを取らせていただいてもよろしいですか?」
「はい。必要なら」
「ありがとうございます。本人様がこられたという証拠が必要になるので」
「あぁそうですか」
「それで今確認しましたが、娘さんと言われていましたが、ご結婚もされていませんよね」
「結婚してない。いえ。妻がいましたし、あっ妻は他界しましたが、娘もいます。イマルという娘です。妻は早智子です」
「いえ。データ上は、あなたは独身ということになっています」
「ちょっと待ってください。それはオカシイ」
「娘さんと奥様がおられたという、証明はありますか?」
「ちょっと待ってくれ」
男は十五年前に撮った写真を財布から取り出す。
「これが証明だ。これが妻でこれが娘だ。十五年前に遊園地で撮ったものだ」
女は、
写真と男を見比べる。
「申し訳ないのですが、この女性があなたの妻で娘だという証明はありますか?」
「証明……、これだ。この結婚指輪だ」
男は結婚指輪を外し、
後ろ側を見せる。
「ここに、kenji&sahikoと書かれてあるだろう。これ結婚する時にデパートで買ったんだ」
男は結婚指輪を手渡す。
女は結婚指輪を確認する。
「たしかに書いてありますね。それでこれがあなたとその奥様のものだと証明できるものはありますか?」
「指輪の証明……」
男の頭は真っ白になった。
「証明はできない」
「なにか他に証明できるものは……」
「わからない」
「困りましたね。では証明できるものが見つかれば、またいらしてください」
「ちょっと待ってくれ。娘が結婚するんだ」
「それは聞きましたが、現状、あなたが娘さんという方は、データ上、娘さんではないのですよ」
「じゃあ。娘は……、イマルは何者なんだ」
「わかりません」
男は打ちのめされて、
市役所をあとにした。
男は小腹が空いたので、
コンビニに寄った。
焼きそばパンと缶コーヒー。
キャンペーン中だったので、
缶コーヒー1本分の値段で2本貰えた。
嬉しいが、笑顔を作ることはできない。
男は近くの公園に向かう。
平日だということもあり、
公園には誰もいなかった。
ただハトが、
どこかに餌はないかと探し回っている。
ベンチに座り、
ため息をつく。
ジャケットのポケットから、
缶コーヒーと焼きそばパンを取り出す。
缶コーヒーのプルタブを開け、
一口飲む。
乾いていた喉に、
甘ったるく冷たいコーヒーがまとわりつく。
焼きそばパンの袋をギザギザの部分から割くように開けると、
紅ショウガが一本飛んで地面に落ちた。
ハトが一羽近づいてきて、
紅ショウガを咥えては投げ、咥えては投げるを繰り返す。
男は焼きそばパンの端っこをほんの少しちぎり、掌のなかに隠した。
コーヒー、焼きそばパン、それを何度か繰り返し、
男の昼食は終わった。
男は焼きそばパンの袋をくしゃくしゃに丸め、ジャケットのポケットに突っ込む。
缶コーヒーの空き缶を持ち、
ベンチを立った。
さきほどのハトはまた、紅ショウガで遊んでいる。
男はハトの前に、
パンの端っこを落とした。
「それでも食ってろ」
男は言った。
しかしハトは紅ショウガに夢中で、
パンには気が付かなかった。




