半年後
戸籍改ざん事件、通称戸籍クライシスが起きてから半年後。
私は別の事件を追いかけていた。
身元不明の遺体が半年間で、五千以上見つかっている件についてだ。
警察、発見者、発見された場所、周囲への聞き込みなど、
私の生活は多忙を極めた。
「最近しんどいわ」
私は飲み屋街にある中華料理居酒屋のカウンターでぼやく。
店の大将は目を細め、
私をじっと見る。
「だいぶ神経やられてんな。何かあったか」
「詳しくは言えねぇが、身元不明の遺体が多数見つかってる件があるだろ。あれを担当してるんだ」
「うわ。それはキツイな」
「あぁ、一つでさえキツイのに、それが五千以上だ。毎日毎日、本当にきついよ」
「同じ地域でとかだと、まだ同一犯とか、そんな可能性もありそうだけど、場所が全国各地だろ」
「そうなんだ。しかも顔を完全に潰されているし、指紋も焼かれた跡がある。身元を示すものもない」
「ある意味、それが共通点だな。雑誌では模倣犯を疑ってるみたいだけど」
「面倒なのが、戸籍クライシスがあっただろ。あれでかなりややこしいんだよ」
「戸籍クライシスか。うちの常連さんも、急に爺さんが生き返ったことになって、難儀したと言ってたよ」
大将は苦笑いをした。
私はため息をつく。
「ここから電車で二十分ほど行ったところに、禅寺がある。座禅でも組んで、リフレッシュしてみたらどうだ?」
「大将の口から禅寺なんて出てくると思わなかったな」
「あぁ、和尚が同級生で、年に数回、座禅を組みにいくんだ。行くなら言っとくよ」
「じゃあ、明日でも行ってみる。伝えておいてよ」
「わかった。じゃあ住所と電話番号、送っとくわ」
「ありがとう」
……
私は、大将の紹介で禅寺に向かうことにした。
十月の初旬ということで、少し肌寒いがまだ紅葉はしていなかった。
「もう一月くらいすると、紅葉がキレイなんですけどね」
和尚は言った。
私は本堂に通される。
本堂の床は日の光を受け、黒く光っていた。
影になった部分と光になった部分とが、
曖昧に分かれる。
板の色は、
それぞれ微妙に違う。
一枚一枚が、
あたりさわりのない自己表現をしているように思えた。
よく見ると、
板には節がなかった。
木材の節は、樹の枝の部分に生じる。
木材を余すことなく使おうとすると、
どうしても節の部分にあたる。
節のない板は、どうしても割高になる。
しかし、
この本堂の床材には、
ひとつも節がなかった。
床は静かに語る。
私は金をかけられた贅沢な床なのだと。
私はふと、打ち捨てられた節の部分が気になった。
「これだけ節のない板があるとすると、ずいぶん多くの節が打ち捨てられたのでは?」
私は和尚の方を見た。
和尚は笑った。
「ここは禅寺。そんなことせんわ。節の部分は全て薪として使ったわ」
住職は本堂の釈迦如来に向かって手を合わせる。
伐採され踏み続けられる節のない板。
取り分けられ、薪として燃やされ、暖となる板。
どちらが樹にとって、幸せなのだろうかと。
私は変なことを考えた。
和尚は咳ばらいをする。
「座禅をはじめると、
頭のなかにいろんなことが浮かんでは消えるが、気にせず流しなさい。
考えず、意味を求めず、
ただ浮かんだという事実を観察する。
それは川の流れをただ、
ぼーっと見るようなそんな感じで、
おやりなさい」
そう言った。
私は座禅を始める。
様々な情景、
言葉が流れては消える。
川の流れのように、
私は流れをせき止めない。
ただ流れに身を任せる。
「戸籍クライシスと身元不明遺体」
ふと、
その言葉が頭にひっかかる。
次の瞬間。
鐘が1回鳴った。
私は目を開ける。
座禅は終わった。
和尚に挨拶をして、
帰路についた。
山の冷たい風が、
ジャケットの襟元から入り込み、
私はジャケットの襟を立てた。
電車に乗り、
ぼーっと外の風景を眺めた。
私は何をしているのだろう。
「戸籍クライシスと身元不明遺体」
また言葉が浮かぶ。
私は言葉を流す。
帰り際、
和尚はこう言った。
「思い込みは、身を滅ぼすこともある。
流しなさい。
あんたの場合、証拠がないものは信じないことやな」
戸籍問題と身元不明遺体。
つながりがある証拠でもあるのか。
私は考えた。
答えはわからない。
そして和尚のいうように、
思い込みは身を滅ぼす。
証拠がないものは信じない。
これは記者として、
絶対的に必要なこと。
なのに……、
また言葉が浮かぶ。
「戸籍クライシスと身元不明遺体」
肩の部分から、内側に入り込むようなプレッシャーを感じる。
プレッシャーは鳩尾辺りに吸い込まれるように消える。
私は鳩尾辺りを押さえる。
堅くそして痛くなっている。
ずいぶんストレスが溜まっているようだ。
私は鳩尾を揉みほぐす。
押すと、
肩のほうに電気信号のように、
気持ち悪さが流れる。
「犯人はなぜ顔を潰し、指紋を焼いたのか」
俺は呟く。
隣のサラリーマンが、横目でちらりと見た。
だめだ。
心の声が外に出てしまっている。
戸籍クライシスの件は、
ほとんど進展していない。
国会でも連日話題になっているが、
解決はおろか、
進展すらしていない。
バックアップは、
正常に機能していないことがわかった。
バックアップで戻しても、
状況が変わらないようだ。
電子化を進めた影響で、
紙データは、ほとんど残っていない。
ハッキングされたのか、
されていないのか。
それすらも、わかっていない。
通常は、
どんなことでも痕跡が残る。
立つ鳥跡を濁さずというが、
必ず痕跡は残るのだ。
しかし、
痕跡は残っていない。
だから、
まるで改ざん後が正常のように見え、
訴えを起こしている者が異常者に見える。
私は正常なのか。
心の中で何度も問いかける。
立つ鳥跡を濁さず。
言葉としては簡単だ。
しかし、
痕跡を完全に消すことは可能なのか。
あっ……、
そうか。
私は一つのことに気が付く。
身元不明遺体。
遺体という証拠はある。
しかし、
遺体から本人だと導き出される証拠がない。
改ざん。
これが仮に本当に起きていたとして、
おそらく証拠はあるのかもしれない。
しかし、
改ざんされたと導き出される証拠がない。
証拠はあるが、証明する証拠がない。
そういうことなんだと。
私はぼんやりとした、奇妙な厄介さに気が付いた。




