再開
「うん。それで今日は実家で?」
「いや。違うんだよ。実家に連絡取れないんだよ。仕方ないからホテルとった」
俺は木野崎の指に指輪があるのを見つける。
「あれ。お前結婚したの?」
「あぁこれ。あぁ八年前に結婚した」
「誰。俺が知ってる子?」
「知ってるかな。いっこ下の山崎香織って子」
山崎香織。
バスケ部の子なら、高校の頃に付き合って、卒業後遠距離になって、別れた子だ。
「へぇ。どんな子?」
「バスケ部だったんだよ。ショートカットで可愛かった」
「へぇそうなんだ」
話題を変えよう。俺はそう思った。
(からんころん)
女が入ってくる。
あれは、山崎香織。
元カノだ。
「ねぇはじめ。先週行った研修の交通費の領収書出してくれた?」
俺と香織は、
鏡越しに目が合う。
俺は唾をのみこんだ。
「ちょっと待って。そこのジャケットの内ポケット見て」
「えぇ~。ないよ」
「そっか。あぁそうだ。桜井、五分くらい待っててくれる? 香織、洗髪しておいて」
「うん。わかった」
洗髪台が出る。
「じゃあ。洗髪しますね」
「あっ、はい」
「私がここにいるの知ってて、来たの?」
「まさか。話せば長いけど、トラブルでこっちに来て、この店に気付いて、同級生だったから寄ったんだ」
「そうか」
「結婚したんだな」
「うん」
「おめでとう」
「あの。私とあなたの事、彼には言わないでね」
「もちろん。知らないって事にしておく。
もうここにも来ない。NYに行くんだ」
「そうなんだ」
「実はそれでこっちに来てね」
(からんころん)
「香織。これだろ」
木野崎は領収書を手渡す。
「うん。じゃあ。交代ね」
「あぁ、じゃあな」
「次、顔剃りいくな」
木野崎は剃刀を丁寧に研ぎ始める。
蒸しタオルを手で少し冷まし、
顔に乗せる。
蒸気で顔が少し蒸される。
蒸しタオルを取り、
顔に冷気がかかる。
ブラシで泡を泡立て、顔に泡をのせる。
木野崎は、顔を剃り始めた。
「俺の嫁。可愛いだろ」
「あぁそうだな」
「可愛いからって、手を出すなよ」
「当然だ」
「そうだな。人の嫁に手を出すなんて事しないよな」
「当然だよ」
「俺達の馴れ初め聞くか?」
「遠慮しておく」
「まぁ聞けよ」
「あぁわかった」
「香織とは夏祭りで出会ったんだけど、その当時、付き合っていた彼氏がいてな」
「そうなんだ」
「遠距離だったんだけど、俺が別れるようにそそのかして、付き合ったんだ」
「そうか」
「でも香織。まだたぶんその男の事を引きずっているんだよ」
「そうなのか?」
「あぁ。俺にはわかる」
「でも別れたんだろ」
「あぁ。別れたよ」
「じゃあ。いいじゃないか。ほっておけば」
「あぁ。そうだな。でもだいじょうぶかな」
「だいじょうぶだよ。きっと」
「はい。終わったよ」
木野崎は再び、
蒸しタオルを乗せ、
それから乳液を顔に薄く塗り、
それをティッシュでふき取った。
木野崎は髪をセットし、
肩をマッサージした。
「珈琲でも飲んでいくか」
と聞かれたが、
「もう遅いから良い」
と断った。
代金を払い、
店から出ていく。
「桜井。いろいろとありがとな。お前に話が出来て、スッキリした」
木野崎はそう言った。
木野崎が、
俺と香織の事を知っていたのかどうかはわからない。
あのスッキリしたという言葉の裏に、
どういう意味があったのか。
本人に聞けるわけもない。
そして、
その事に興味すらなかったのだ。
……
翌朝ーーー
俺は一番で市役所に向かう。
そして事情を説明し、
桜井博人、つまり俺について調べ出す。
「つまりその桜井博人という方の戸籍がこちらにあるはずなのに、消えているとおっしゃりたいわけですね」
「はい。
そうです。
法務省が、
戸籍データの整合性が確認できないと発表しました。
こちらの市でも同じ事が起きているのではと」
「おっしゃる事はわかりますし、そのようなお問い合わせを何件か聞いております。
しかし例えば市役所の職員の戸籍などで、そのような事は起きていないのですよ」
「いや。でもだからと言って、おかしくないですか?」
「おっしゃることもわかりますが、そのあなたが本当にその戸籍の方だと証明はできるのですか?」
「免許証は?」
「免許証ではあなたが、桜井博人という方だとは証明できますが、戸籍の証明にはなりません」
「住民票は?」
「同じです」
「親に聞くのは?」
「その方が本当の事を言っているという証明はどうしますか?」
「DNA鑑定とか……」
「DNA鑑定ですか。前例がないのでわかりませんが、裁判所からの命令が出れば、処置はできると思います」
「どれくらいかかりますか?」
「まったくわかりません。少なくとも半年はかかるのでは」
市役所員はそう答えた。
俺は、
何か進展があれば連絡をくれるように言ったが、
「窓口が混乱しているので、自分で情報を集めてください」
と断られた。
ムカつきはしたが、
もっともだと思った。
俺は再び自宅に向かったが、
誰もいなかったし、誰も電話にも出なかった。
俺は、
桜井博人は本物なのか?
そういう事まで疑い始めた。
再び三時間かけ、会社に向かった。
部長に説明をした。
「そうか。じゃあ今回はNYの件なしだな」
そうあっさりと言われた。
「でも」
「でも、じゃねぇよ。
会社は半年も待ってはくれない。
当たり前じゃねぇか」
そして、部長は何も言わず去っていった。
呆然自失としている俺を見て、
後輩は言った。
「先輩。カツ丼食いに行きましょうよ」
「なんで、カツ丼なんだ」
「勝負に勝つというじゃないですか」
「そうだな。お前優しいな。よし奢ってやろう」
俺はそう言った。
一週間後、
後輩がNYに転勤が決まった。
「先輩のカツ丼が効きました」
後輩は嬉しそうに言った。
「そうか。おめでとう。お前はパスポートあるの?」
俺は少しの嫌味を込めて、
そう言った。
「パスポートは持ってなかったですけど、戸籍はすんなりと取れたんで、だいじょうぶそうです」
後輩はそう答えた。
勝負に勝ったのは、後輩だった。




