消える夢
都内某所
「桜井、ニューヨーク支社に転勤が決まったぞ」
部長から声がかかった。
「先輩すごいじゃないですか。
ニューヨーク支社といえば、我が社では出世コース」
後輩の市井が嬉しそうに、俺をつつく。
「あぁそうだな」
俺は笑顔を浮かべた。
「それでお前。パスポート持ってるよな」
部長は少し心配そうな顔をしている。
「あぁ持ってないですよね」
「まじか。早急に取りに行ってこい。今戸籍がどうのこうので、混乱しているから、発行が遅れるかもしれんぞ」
「わかりました。では休みの日に」
「いや。これは業務に関わる事だから、すぐに行け」
「いやしかし、今日は大事な会議がありますし」
「定例会議だろ。あんなの無駄だ。どうせ誰も話なんか聞いてないし、話も進まん。とりあえず行ってこい」
「はい。わかりました」
俺は戸籍謄本と住民票の写しを取りに区役所に向かう。
平日なのか、
意外と空いていた。
俺の番がくる。
受け付けの女性は画面を見たまま固まっていた。
「桜井様。あなたの戸籍が存在しないのですよ」
「そんな事はない。●●市●●町●●番地の桜井です」
「そこの方に、桜井博人様の存在が確認できないのです」
「ちょっと待って。住民票は?」
「住民票は存在します。ただ戸籍では桜井博人様の存在が確認できないのです」
「どうすればいいですか?パスポートを取りたいのですが」
「いや、そう聞かれても、戸籍がないので」
「●●市役所に直接お尋ねになったらいかがですか?」
「それでなんとかなりますか?」
「すみません。なんともいえません」
「では次の方」
それで強制的に話は終わらされた。
俺は、
部長に電話を入れる。
「戸籍に俺の名前が存在しないそうなんです」
「はぁなに言ってんだ。そんな事あるのか?」
「俺、自分が生まれた市に行って、事情を聞いてきます」
「おぉわかった。直帰という事にしておくからな。じゃあ気を付けて」
「ありがとうございます」
俺は電車で三時間の場所にある地元に帰った。
見ると時計の針は十七時を回っていた。
もう市役所は開いてはいない。
俺は再び、
部長に電話を入れる。
「すみません。今地元に着いて、今日は役所が開いてないので、今日は実家に泊まって、明日の早い時間に市役所に行きます」
「わかった。親御さんによろしく伝えておいてくれ」
俺は、
実家に電話をかける。
何度かけても電話に出ない。
仕方がないので、
俺は実家に戻る。
しかし家のベルを鳴らしても誰も出なかった。
俺は仕方がなく、
駅前のビジネスホテルに泊まることにした。
親とはたまに連絡をしているが、
ここにはずいぶん帰っていない。
駅前の風景はずいぶんと違ったものになっていた。
ピンクの髪色の女性が歩いている。
昔はあんな感じの子はいなかったな。
俺はそう思った。
商店街を歩く。
懐かしい店と、知らない店。
停滞と進歩。
その空気感の違いが、
商店街に空気の段差を生んでいた。
俺は肉屋による。
肉屋の前ではおばさんがコロッケを揚げていた。
「コロッケを一つ」
「はいよ」
「この街、少し変わりましたね」
「お兄さん。この街の人?」
「はい。出て十年になります」
「十年か。駅前の再開発でずいぶん人の流れが変わったからね」
「そうなんですね」
「はい八十円」
おばさんは、白い紙袋にコロッケを入れ、手渡す。
俺は百円玉を渡す。
「値段は変わってないのですね」
「そうよ。企業努力。とは言っても、少し小さくなったのだけどね」
おばさんは苦笑いをした。
お釣りを受け取り、
俺は一口食べた。
「味も変わってないですね」
「そう? 美味しい?」
「そう、なんか。いい味がしてるんですよ」
「たぶん、それはラードかな。肉屋だしね」
おばさんは笑った。
それから、
しばらく商店街をプラプラ歩いた。
ふと新しい理髪店が出来ているのに気が付いた。
Barberエクセレント木野崎
木野崎ーーー
なんか聞いたことがある。
同級生の木野崎の店だ。
前は確か、
理容木野崎だったのでは。
窓から覗くと、
あの木野崎の顔。
俺は髪の毛を触る。
少し伸びているな。
パスポートの写真のこともあるし、
木野崎に切ってもらうのもいいだろう。
時間もあるし、
入ってみよう。
(からんころん)
俺は店に入る。
「いらっしゃい」
「木野崎はじめだよね」
俺は言う。
「そうだけど。お前は……」
「わかんないかな。三年の頃同じクラスだった桜井博人」
「あぁ桜井博人。覚えてる、覚えてる。えっどうしたの」
「いや。野暮用でこっちに来て、時間があったから商店街を歩いていたら、ここ見つけて。中を覗いたら、木野崎がいたから。ついでに髪を切ろうと思ってさ」
「あぁOKOK。座って座って。で、どんな感じにする?」
「じゃあ、整える感じで」
「あぁキレイにすれば良いんだよな」
「そうそう」
「なぁ。店を継いだの?」
「そう。継いだ」
「Barberエクセレント木野崎ってなんでつけた?」
「エクセレントは素晴らしいという意味なんだけど、知ってる?」
「もちろん」
「だったら、わかるだろ」
「素晴らしい理容師木野崎って意味?」
「そういう事」
「あのさ。自分で素晴らしい理容師っていうの抵抗なかったの?」
「わかってないな。抵抗があるから、英語にしたんだよ」
「エクセレントがカタカナなのは?」
「あの青と赤の理髪店サインポールを見ればBarberはかろうじてわかる。
でもその後が、
excellent木野崎だと、読んでもらえないんだわ」
「そんなものなのか?」
「そんなもの。それで桜井はなにしてるの?」
「都内で会社勤め。今度NYに転勤することになってさ」
「おぉ。なんかすげーの来たな。それでなんで今日こっちに来たの?」
「それが戸籍のデータがおかしくなって、市役所に調べてもらいにきたんだ」
「そうなんだ。あぁパスポートか」
「そう。勘良いな」
「いや。さっきテレビで混乱してるって言ってたから」
「マジか」




