13-7 アレックスの処遇
アレックスくんを預かるとなれば、アンリにもそう選択肢はありませんよね……。
アレックスくんがまっすぐに育ってくれますよう……。
部屋に戻ると、ローラは寝台からは離れていたが、隅のほうで体育座りをして煤けていた。食堂でシャーリー王女と会ったことを告げ、お互いに気にしないことにしようという話になったと言ってやると、ようやくソファのところまで這い出してきた。二人がじきに貴賓室に移ることを思い出させてあげると、ようやく笑顔になってくれた。
「昨日の話は進んだの?」
アレックスくんの話はローラも気になっているらしい。
「期限はわからないけど、とりあえず預かることになりそう。そのかわり、この国での拠点の確保には協力してくれる。情報収集にも力は貸してくれそう」
うう、説明が難しいな。「話し相手」をうまくオブラートに包んで伝えられない。
「まあ、昨日の話を聞いたあとだし、反対はしないよ。でも、どこで預かるの?」
「検討中。ちょっと考えてることはあるんだけどね」
まずカルターナの拠点はない。特に力を持たず非常識に抵抗力のない十二歳の子供をおいておける環境じゃない。いろいろ危なすぎる。
今のぼくの屋敷も無理だ。この件は下手な相手に知られれば政治的に利用される。決してベアトやエリーゼを信頼していないわけではないが、誰から、どこから情報が伝わるかわからない。屋敷に連れて行かないだけでなく、二人にもそもそも何も知らせないつもりだ。
ぼくが思いついたのは、ド・リヴィエール伯爵領の実家である。マリエールもシャルロット様も、もし承知してくれるなら「養母」として理想的だ。マリエールがいればタニアも力を貸してくれるだろう。周囲に気を遣わなければならない事情も少なく、アレックスくんものびのび生活できるだろう。
「とりあえず、ベルメイリアとヨーゼフが来るのを待とうか。ベルメイリアがどれだけ消耗してるかで、今後の行動が変わってくるし」
そう言ってぼくはローラの手を握った。彼女はぼくの手を握ったまま、ぼくの膝枕でくつろぎ始める。おーい、ぼくがそれ、やりたいんだけど?
ベルメイリアとヨーゼフは昼過ぎに「風花亭」にやってきた。ベルメイリアは意外と元気そうだったので、ぼくとアレックスくんを「テルマのねぐら」へ移動させることと、そこにテルマを連れてきてもらうことをお願いした。このイレギュラーはできるだけ早く片付けたい。ベルメイリア一人では負担が重すぎる。
「ベルメイリアはぼくと一緒にカルターナに戻ってくれる? ドルニエでの用事が済んだらここに戻ってくるから、ここから宿に連れて行ってほしい」
「この距離だったらお安いご用よ。カルターナでは休んでいていいんでしょ?」
「うん。もちろん、休まなくてもいいけど」
「休ませていただくわよ! 今日だって全然消耗していないわけじゃないんだから」
カルターナに戻って伯爵家の屋敷に行くと、ロベールは領都に戻っているということだった。マリエールをニスケス侯爵邸から呼び戻してもらってアレックスくんに引き合わせる。
シャーリー王女とアレックスくんのあれやこれや、いつビルハイムを出たか、などの機微な点は適当に脚色して無害化してざっと状況を説明すると、フェリペ兄様は渋い顔をしたが,マリエールは二つ返事で請け負った。
「いい子じゃないの。こんな子がそんなひどい目に遭うなんて見過ごせないわ! カルターナに住ませるのが危険なのはわかるけど、領都なら人目もないし問題ないはずよ」
「マリエール様……わかった。だが、アレックスさまの出自は父上、母上、マリエール様、ぼくの四人以外には絶対に秘密だ。姉さんやジョルジュ、使用人にもいっさい知らせるな。特にイネスは絶対にダメだ」
「わかった。アレックスさま……今からアレックスくんと呼ぶけど、それでいい?」
「呼び捨てにしてもらってもいいです。すべてお任せします」
けなげに応えるアレックスくんに、マリエールは少しウルウルきていた。秘密厳守はもちろんそのつもりだ。タニアは除いちゃうけど。
二人の前を辞すると、そのままタニアを探す。まずいことにニスケス侯爵邸にマリエールと一緒に詰めていたが、テルマさんとのコミュ二を参考に懸命に念を送ってみたら、なんとか届いたらしく渋い顔でぼくの前に現れた。
「こんどはどんな厄介ごとですか?」
ぼくはタニアには、あからさまな表現を避けつつもありのままを説明した。アレックスくんは別室に待機している。
「これはまた……。まあ、取るものを取ってから連れてきたのは上出来でしょう。ただ、その王女の心はもう長くは保たないでしょうね」
「そんなに?」
「今でさえかなりギリギリで、そこにこれまで正気の世界に自分をつなぎ止めていた絆が消えるのです。保って二~三週間、早ければ今日明日にも心の安定を崩し始めるでしょう。そして、完全に崩壊する前にアンリ様に縋ろうとするでしょう」
「え? なんで?」
「かなり意思の強いかたのようですから、弟を連れてこいとは決して言わないでしょう。代わりに縋るのは、消えた絆に直接結びついている人間に決まっています」
「そうか……それもそうだね。いまからどうするか考えておくよ」
「念のために申し上げておきますが、まず間違いなくこれは、アンリ様が五人目の女を作るかどうかの分かれ目です」
「なんで!?」
「そのかたは何によって正気を保っていると言いましたか?」
「『痛みと悦び』だけど……」
「今のそのかたは、躰に刻み込まれるものでしか自分を正気の世界につなぎ止められない状態なのです。ならば、こんどはアンリ様を躰に刻もうとするでしょう。拒否することもアンリ様の自由ですが、下手をすればその場で崩壊すると思います」
ぼくはアナベラを思い出した。状況は違うが根っこは似ている。すでに五人目がいることをタニアに察知されていないのは僥倖だ。
「今から話をして少しずつ回復させていくことはできないの?」
カウンセリングとか、この世界にあるとは聞いたことはないけど、医療技術が地球よりも洗練されていない分、精神的なところに頼るすべは多いのではないか?
「時間をかければ、別の方法で心を癒やすことも可能とは思いますが、残念ながら今回は全く余裕がないでしょう。あ、アンリ様には『残念』ではないですか?」
「茶化さないでよ!」
「まあ、今ここで時間をかける問題ではありません。シャルロット様のところに向かいますよ」
言いたいことだけを言ったタニアは、アレックスくんを呼んでさっさと領都に転移した。
ロベールとシャルロット様の反応は、カルターナでのフェリペ兄様とマリエールの反応とほとんど同じだった。ロベールは唸ってしまっていたが、シャルロット様はアレックスくんを気に入り、手元に置くことを快諾した。このまま彼をここに置いていくことについても了解してくれた。ロベールは、秘密の共有についてもフェリペ兄様と同じ意見で、シャルロット様にも釘を刺していた。ちなみに、いつカルターナを立ってここに着いたかは二人は知らない。
「アレックスくん、きみは今日からここで暮らすことになる。ぼくが育ったところだから言うわけじゃないけど、とてもいい環境のところだと思う。シャルロット様も優しいかただし、ロベールも話のわかる父親だ。カルターナで会ったぼくの母親もいずれここに戻ってくる。自分の家だと感じながら過ごせると思うよ」
ぼくはタニアと一緒にカルターナに戻る直前、このままここに残るアレックスくんと話す時間を持った。
「フォーゲル男爵、こんなめんどうな子供のために、本当にありがとうございます。決してご迷惑はかけません」
事情をすべて理解している聡明なアレックスくんは、性格的にも本当によい子だ。ぼくも、弟ができたような気持ちになれるだろう。だが、弟なればこそ心を鬼にして言わなければならないことがある。
「ひとつだけ約束してほしい。ここでの生活では、きみがきみのお姉さんにしていたようなことはいっさい御法度だ。いいね?」
ぼくの故郷を猛獣に食い荒らされては困る。
アレックスくんは、自分が何を言われたのかわからないという風情でしばしポカンとしていたが、突然顔を真っ赤にした。
「し、し、しないですっ!! ぼくだってあんなことしたくなかったんです! でも……ああしないと姉上が姉上でなくなってしまいそうで……」
うんうん、そうだろう。だが問題はそういうことではない。アレックスくんがある部分で下手な大人を飛び越えてしまっていること、そして彼が身体と心を切り離すすべを身につけてしまっていることが問題なのだ。大事なことをきっちりと伝えておかなければならない。
「いいかい? 男女がお互いに相手を好きだと思ったら、相手とつながりたいと思うのは自然なんだ。アレックスくんもお姉さんを叩いているときはつらかったろうけど、繋がっているときはそれだけじゃなかっただろう?」
「は、はい……。大好きな姉上と一つになれて嬉しかったし……気持ちよかった……です」
思った通りだ。すでに覚えてしまっている。クギは刺しておかなければならない。
「ただ、きみはまだ相手を好きだという純粋な気持ちから行動した経験はないだろう? この地で仲良くしたい女の子ができたら、まずぼくに相談すること。タニアに言えば、きっとなんとかしてくれる。それから、いつ何時でも女の子を叩いたり痛みを与えたりしてはダメだ。痛くしてほしいなどと思う女の子はほとんどいないと理解するんだ。迷ったり困ったりしたら、これも相談してほしい」
「……そうですよね。フォーゲル男爵はぼくより少し年上なだけなのに、もう結婚されていて、ローラさんのような素敵な恋人もいらっしゃるんですものね」
いや、そこは必ずしも評価しなくてもよいのだが……。
「ま、まあアレックスくんの相談にはなんでも乗るよ、ということだ」
「はい、フォーゲル男爵……いえ、先生!」
先生、って……真似されると困る。シャルロット様やマリエールの懐に入り込むときの鮮やかさを考えると、そういう素質はあるだけになぁ……。
「……では、またね。ここに戻ってくることもけっこうあるから、またすぐ会おうね」
「お待ちしています、先生」
ぼくはアレックスくんに見送られながらタニアと転移した。その直前、タニアが実に気持ちよい嘲りの視線を送ってきたが、まさかさっきの話、聞こえてなかったよね?
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