13-6 第一王女シャーリーの告白
シャーリー王女自信も闇を抱えていて……。
ビルハイム二日目の朝、早々に朝食をすませてしまおうと、ボクは変装用の眼鏡とヒゲをつけて地上階の食堂に向かった。ローラにも声を掛けたが、彼女はシーツをかぶったまま部屋に閉じこもっている。一夜明けて、前夜の痴態を間違いなく隣室のシャーリー王女やアレックスくんが聞いていたという事実を、冷静になった頭が受け入れられなかったためである。ぼくが早々に朝食をすまそうとしたのも、二人と顔をあわせずにやり過ごそうという意図からだ。
しかし、そういう小細工はたいていの場合、あっという間に破綻する。
「お、おはよう、フォーゲル男爵」
「お、お、おはようございます、殿下」
食道で黙々と朝食を食べていたのは、やはり前夜と同じ変装をしたシャーリー・ラグシャン第一王女殿下その人であった。
「ローラ殿はどうしてる?」
王女の向かいに座ったぼくが朝食を食べ終わるまで沈黙は続いた。そして、さすがは人の上に立つべく育てられた王族というべきか、最初にそれを破ってくれたのは殿下だった。
「パニックを起こして部屋に閉じこもってます」
「そうか……。アレックスもそうだ。正直にいえばわたしもそうしたかったが、黙ってやり過ごすわけにもいくまいと思ってこうしてそなたを待っていたのだ。昨夜はとんでもない醜態を晒してしまって、まことに申し訳ない」
ぼくはシャーリー王女の気質をすばらしいと感じている。七歳も年下のぼくのような学生上がりの若造に、いっさい侮りをみせずにひとりの貴族として接してくれた態度もそうだし、前日の最悪の出会いによる遺恨をまったく残さなかったことといい、言いだしにくいことを自分から切り出してモヤモヤを振り払うきっかけを作ってくれたことといい、本当にまっすぐで潔いかただ。
「こちらこそ、競うように羽目を外してしまって……面目次第もございません」
「きっかけを作ってしまったのはこちらだ。その……な、あれほど隣室の音がよく聞こえるものだとは想像もしていなかったのだ。それに気づいたときには……わたしも火がついてしまっていて引き返せなかった」
さすがに彼女は言いながら顔を赤らめた。そこまで説明しなくてもいいのに、と思いかけたが、もしかして話したいのかもしれない、という可能性に気づく。アレックスくんをぼくたちに預けるうえで避けて通れないと考えたのかもしれない。
「アレックスさまを……愛しているのですか?」
シャーリー王女の表情に翳がおちる。
「弟としてはもちろん愛している。男としてどうか、と言われると、あのような恥を晒しておいてなんだが、違うと思う。そして、アレックスもわたしを女として愛しているわけではないだろう」
「もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか?」
「そうだな、これまで誰にも話したことはないし、これからも話すことはないだろうと思っていた。わたしとアレックスに普通でない形で縁を持ったフォーゲル男爵なら、抱えていたものをさらけ出させてもらってもよいような気がする。独り言と思って聞いてもらえるか?」
「もちろんです」
「わたしは子供のころから剣に才ありと言われてきた。自分でもそう思えてしまうほどに上達も早かった。十五歳で学院を出るころには姫騎士などと呼ばれていい気になっていたよ。その後も戦いの場で実績を残し、国の民もわたしを称えてくれるようになった。だが、その一方でわたしの中の歪みもどんどん大きくなっていったのだ」
「歪み、ですか?」
「わたしは弱い人間なのだ。思いどおりに自分が結果を残せないと、すぐに精神が安定を欠いてしまう。自分が無能な人間だと思えてどうにも身動きがとれなくなる。だが、それをむりやり押し隠して民の前で姫騎士を演じ続けているうちに、気がつけばその弱さを見せることが許されなくなっていたのだよ」
シャーリー王女は淋しそうに笑った。前日、気の滅入るような話をしているときにも発していた覇気は影をひそめてしまっている。
「十八歳の時だ。わたしがアレックスを連れて外出したとき、わたしがちょっと油断して目を離しているスキにあの子がさらわれた。ブリギットや部下たちが取り乱すわたしをなだめながら、なんとか救い出してくれて事無きを得たのだがね。みなは気にしすぎるなといってくれたし、アレックスもわたしを見て笑ってくれた。だが、平静を装いつつもわたしの心はグチャグチャになっていた」
いったいどのような言葉をかけたらシャーリー王女に届くというのだろう? 喉から声が出ない。
「わたしはアレックスにすがり、許しを乞い、罰をねだった。もちろんアレックスは断った。泣いてわたしにそんな真似をやめてくれと乞うた。でも、わたしは自分の勝手であの子にわたしへの暴力を強いた。薄っぺらとはいえわたしが王家の広告塔であるゆえに顔は傷つけるわけにいかなかったから、あの子の前で自らスカートを捲り上げて尻をさらけ出してな」
ぼくはもう限界だった。
「殿下、もう充分です。アレックスさまを大切に思われる心も、殿下の苦悩も充分理解できたと思います」
シャーリー王女はまたも虚ろな笑みを浮かべ、首を振った。
「いや、話しはじめて気づいた。そなたにアレックスを託す心は、これを最後まで話さないと伝わらないだろうとな。不愉快だろうが、どうか聞いてもらえないだろうか」
「……わかりました」
「ふふ、そなたに胸の悪くなるような話をむりやり聞かせるわたしは、アレックスに罰をねだったときと何も変わっていないな。自分が情けない。アレックスは泣きながらわたしの尻を打ってくれた。八歳の子供の力で頑丈なだけが取り柄のわたしに痛みなどそうは与えられるはずもないが、そのときは罰を与えられたという事実で心が落ちついた。そしてわたしは浅ましいことに、心が不安定になるたびにアレックスにすがるようになってしまった。だが、たいした苦痛もない罰に、痛みをほしがる心がいつまでも納得するはずもない。わたしは痛みを求めてアレックスに鞭を持たせ、素肌を晒すようになった。二年ほど前のことだ」
もうぼくには、逃げ出したくなる自分をこの場に縛りつけて、耳を傾ける以外のことをする余裕がない。
「わたしは引き返せるところを踏み越えてしまったことに気づかなかった。こんな硬いだけの色気のない躰でも、目の前で晒されればアレックスに別の意識が芽生えておかしくない。わたしを打っているときに、あの子の躰にその……変化が起きた。そして痛みで躰を熱くしてまともな思考を失っていたわたしは、その変化を自分の満足のために利用してしまった。あとは堕ちるだけだ。いまのわたしは、あの子から与えられる痛みと悦びなしでは、もはや正気を保てるか自信がない」
これで終わり……のはずだ。シャーリー王女は思い詰めた表情で口をつぐんでいる。
「それで、アレックスさまをぼくに預けるお心とは?」
ぼくはつとめて淡々と訊き返した。
「わたしのもっとも大きな罪は、わたしの都合でアレックスを壊してしまったことだ。あの子はわたしの心を満たすために、自分の心と身体を切り離すことをあの歳で覚えてしまった。まだ普通の恋も甘い思いも知らぬというのに、この戦場にいるしか価値のない年増女があの子の心を食い散らかしてしまったのだ。昨夜、ローラ殿がそなたの名を呼び続けているのを聞いて、心の底からこれではいけないと感じたよ。間に合うかどうかはわからないが、もうあの子をわたしのそばにとどめておいてはならない。勝手な願いであることは充分わかった上で頼む。あの子をわたしの元から連れ去ってくれないだろうか?」
「なぜわたしなのですか?」
「このままではあの子は、わたしにさらに壊されるか、高貴な育ちの少年を好む輩に慰みものにされて捨てられるかだ。気まぐれであの子の窮地を救ってくれたそなたなら、それよりも幸せな未来をみせてやれるのではないかと思った。もちろん礼はさせてもらう。わたしの力の及ぶことならなんでもしよう」
「それで殿下はどうなります?」
「わたしはそう遠くないうちに壊れる。それまでは頑張って広告塔になり続けるさ。わたしが壊れてもブリギットやシャナがいる。ブリギットならわたしの代わりの広告塔もつとめられるし、二人のどちらが女王位を継いでもこんな愚かな女よりはずっとよい国を作ってくれるさ。問題はない」
問題は大ありだ。ぼくはそんな答を聞きたかったわけではない。だが、問い直してもこの不器用な王女は同じ答を返してくるだろう。
ぼくからすれば、この頼みは本来は渡りに舟だ。相当身勝手な条件でもシャーリー王女は受け入れてくれるはずだ。だが、ぼくはこの状況で拒否をちらつかせたり、弱みに徹底的につけ込んで値をつり上げるほどには心がタフではない。いずれそこまで出来るようにならなければと思うが、今は無理だ。できることは、とりあえずの値をつけて継続交渉にすること……。
「いくつか条件があります。ビルハイムに今後の足場を作ることが今回のぼくの旅のひとつの目的です。それを手配していただけますか? 希望する条件は整理して伝えさせていただきます」
「了解した。一両日はわたしもここにいるだろうし、わたしが城に戻ったあとは信頼できる連絡役をつけよう」
「つぎに、女王国の国内の様子をぼくは知りたい。これは誓って申しあげておきますが、自分の個人的な都合であって、ドルニエという国とは無関係です。でも、どうしてもそれを知るための話し相手が必要なんです。いまのぼくには、この国の情勢を語れる人として、殿下以外に信用できる人を知りません。殿下に今後ぼくの話し相手になっていただきたいと思います。もちろん、言えることと言えないことは、殿下に判断いただいてかまいません」
うちの陛下の「話し相手」という言いかたを使わせてもらった。意外と便利だ。
「その理由については信用しよう。だが、いつ壊れるかわからないわたしにはなかなか難しいな」
「殿下は約束を違える人ではないでしょう。ぼくのために今のままの殿下でいると約束してください」
シャーリー殿下は苦笑した。今日はじめての、見るものに痛みを感じさせない笑顔だった。
「そなたは強引だな。だが不思議と悪い気分ではない。承知した。そなたのために正気を保つよう努力しよう」
「努力ではダメです。殿下が壊れてしまわれたら、ぼくは半ばタダ働きになります。壊れないでください」
「ムチャを言う。おそらくわたしの力だけでは無理だ。わたしが壊れなくても済むよう、そなたにもいろいろ知恵を貸してもらうぞ。それであれば、正気を保つと誓おう」
ちょっとむこうの条件が曖昧だが、いまの落としどころはこのあたりだろう。
「いいでしょう。では、アレックスさまは今日のうちにドルニエにお連れします。よろしいですね?」
シャーリー王女は一瞬苦しむ女の顔になったが、すぐにそれを消した。
「頼む。ちなみに、どのようにしてアレックスをドルニエに連れていくのか、教えてもらえるか? 今日というのはなかなか奇異な話だ」
「ハッキリとは答えるつもりはありませんが、特別にひとつだけ。他言は無用に願います。合流する仲間のひとりが魔族で、こちらには転移魔法で移動してきます」
あっけにとられたような表情が殿下の顔に浮かぶ。ようやく人間らしい感情を取り戻してきたようだ。
「フォーゲル男爵は底が知れぬ男だな……」
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