12-10 怒濤のナターリャ旋風
スミルノフ元司教が暴れ回ります。うらやましい役回りもかっさらって……。
「結婚までのほんの一、二ヶ月が待てないんですかぁ~? 処女相手に一晩中なんてまったく、サカリのついた獣ですね~」
明言するが、ぼくはナターリャになにも話していない。というか、ベアトと一歩踏み出したことを認めてすらいない。一晩中とかは当てずっぽうだろうが、こういうことに関するこの人の嗅覚は、それこそ獣だ。
「記憶にありません」
「どこの三流貴族ですか~? ああ、三流貴族候補でしたね~」
耐えろ。耐えるしかないんだ。
「で、わざわざ呼んでいただいたのは、なんのご用だったのでしょうか?」
「シラの切り方は悪くないので二流半に格上げしてあげます~。ではまず身近な話から~。急かすつもりはないですが~、引っ越し先のめどはつきましたかぁ~? いつ頃移れますかぁ~? 荷物を抱えたままいつまでも居候はキツいので善処をお願いします~」
「家は決まりました。まだ使用人もいない空き家状態ですが,それでよければニスケス侯爵に話を通せば、明日か明後日には移ることはできると思います。その場合、執事になる予定のロジェというものを通いで行かせますので、必要な連絡は彼にお願いします」
「おお、思ったよりきっちり仕事をされてますね~。安心しました~。では許可が出たら執事(仮)のかたをよこしてください~。その方と相談して部屋なんかも決めさせていただきます~」
(仮)って……。部屋決めで勝手をさせないよう、ロジェにはしっかり伝えておこう。
「ただ、まだ警備もいませんので、そこはご注意ください。そして、食事や掃除は使用人が入るまでご自分でお願いします。専属の使用人をお連れになる場合は教えてください。使用人の総数は王室に登録しなければなりませんので」
「それはお気になさらず~。戸締まりさえさせてもらえれば自分の身くらいは自分で守れます~。教会時代からの助手兼護衛のプリシラちゃんという子を連れてきましたので、その子と一緒に移らせていただきます~」
「他に使用人は必要ですか? 身のまわりの世話とか……」
「プリシラちゃんがいれば大丈夫です~。言っておきますけど手を出したら殺しますから~」
「出しませんよ! 人を見境ない野獣みたいに言わないでください! で、ロジェをどちらに連絡に行かせればいいんですか!?」
「わたしから見れば見境ない野獣そのものなんですけどね~。あ、今の滞在先は教会のフェルナンデス筆頭大司教のお宅です~」
「は? な、なぜまた教会を抜けたナターリャさんが教会の重鎮のところに?」
しかも、エリーゼのところという……。全く偶然とは思えん!
「念のために言っておくとフェルナンデス家とは前からつきあいはあるんですよ~」
「そ、そうだったんですか……」
エスパーかい!
「それでエリーゼちゃんから伝言です~。『お目にかかってお話がしたい』と~。いつでもいいそうですけど早く逢いたそうでしたね~。場所は『あのカフェ』がよろしいそうです~。心当たりは~?」
「……あります」
ナターリャはニマニマと笑ってみせた。
「思い出の場所というわけですか〜。いいですね~。それではそういうことで~。明日の昼、一時過ぎでよろしいですかぁ?」
「え? ぼ、ぼくはまあいいですけど、今日の明日でエリーゼさんの予定は……?」
「最優先だそうですよ~。かわいいですね~」
「そ、そうですか……」
「なんでもエリーゼちゃんを側室に迎える可能性があるそうで~。本妻と結婚する前なのにどんだけ肉食なんですか~?」
「ろ、論評は差し控えさせてもらいます」
「聖騎士見習いになったエリーゼちゃん、凜々しいですよ~。普段のあの子との落差が萌えますね~」
知ってる……って、あんたは日本のオタクか!
「騎士姿は見たことがありますけど……」
「アンリさんの代わりにいろいろチェックしてきましたよ~。お風呂も何度か一緒に入ってきました~」
「誰も頼んでませんよ!」
「あの体はほんとうに恐ろしい凶器ですね~。とんでもない破壊力です~。くまなく触ってきましたよ~。エリーゼちゃんの体でわたしの手が触れていないところはないと思ってください~。彼女、ものすごいくすぐったがりなんですよ~。どこを触っても敏感に反応しちゃいますけど特に背中は弱いですね~。あと胸です〜」
「……」
あ、あの凶悪な胸部装甲に触ったのかよ……。いや、ひょっとすると揉んだりも……?
「あとは耳ですか~。息を吹きかけたりすると一発で腰砕けですよ~」
ゴクリ……。た、試したんだろうか……?
「他にも聞きたいですか~? 腋の下とか。膝の裏とか‥」
ハッ……!! 見ると、ナターリャがニヤニヤしながらこっちを見ている。
「き、聞きたいことなんてないです! ほ、ほかになければ失礼しますね!」
ぼくは勝ち誇ったようなナターリャの視線を背に浴びながら、スゴスゴと拠点を後にした。ものすごい敗北感だった。
馬車を出してもらったぼくは、昼前に失礼したばかりのニスケス侯爵邸に逆戻りした。ベアトに明日の件を報告するためだ。透明性は重要なのだ。
「わかったわ。じっくり話してきてね。アンリくんに訊かれる前に言っておくけど、わたしも、ローラさんもリュミエラ様も、誰も反対していないから、アンリくんは自分の気持ちと家のことだけを考えて決めること。いい?」
ベアトはロザリーが淹れてくれたお茶を口に含んで、それからぼくに母親が言い聞かせるような口調で言った。今の彼女は、ぼくが何年も見続けてきたのと同じ、清楚で凜とした完全無欠の美少女だ。そのベアトがほんの半日前に初めてとは思えないほど乱れた姿を見せたなんてこと、誰も信じるまい。
「わかった。うちやあちらの家族の関係もあるから、そんなに時間はかけられないよね。中途半端な状態にしておく訳にいかないもの」
「アンリくんも貴族らしさがすこし出てきたかな? それより、用がそれだけなら、早く帰って休んだ方がいいわ。疲れているだろうし……」
最後のところでベアトは少し頬を赤らめた。
「了解。このまま失礼するよ」
「あ、乗ってきた馬車は使えないでしょ? うちの馬車で送っていくわ」
ベアトの言葉にロザリーが準備のために動きかけた。
「すぐに折り返して帰ってくるからロザリーはいいわ。それより、帰ってきたらそのまま買い物に出たいから、その準備をしておいてくれる?」
「わかりました」
「行きましょ、アンリくん」
ベアトはぼくに手を差し出した。ぼくはそれを握り返し、そのまま手をつないで歩き出す。うん、学生っぽくて微笑ましいカップルだよね。でも、ちょっとわざとらしくて変?
馬車が動き出すと、ベアトはぼくに抱きついて唇を重ねてきた。昨日までよりも遙かに長くネットリとしたキスだ。
「ひょっとして、このための方便?」
唇を離してから、ぼくはベアトに尋ねた。普段はちょっとした移動でもロザリーはベアトと行動を共にする。
「買い物は行くわ。でも、普通にしているとなかなか本当に二人きりにはなれないから……。リュミエラ様はともかく、先に行ってしまっているローラさんに早く追いつきたくて……って、こんなこと考えているようじゃいつまでたってもダメね」
彼女の瞳は霞がかかったように潤んでいる。「凜とした」部分はどこかに隠してしまったようだ。清楚さがいっさい失われないままにエロいのが不思議なんだけどね。
翌日の昼すぎ一時少し前、ぼくは早めに「エスカイヤ」に着いた。エリーゼがぼくと向き合って話をしてくれるという場に、ひとりで向かわせてはいけないと思ったのだ。
入り口近くで待ってほどなく、フェルナンデス家の馬車が着いた。中から侍女が降りてくるが、ぼくを見つけるとステップの前の場所をぼくのために空けてくれる。続いて少し厳しい表情のエリーゼが姿をあらわした。が、ぼくを見るとパァッと嬉しそうな笑顔でその厳しさを崩してしまう。そして、伸ばされたぼくの手を取って馬車から降りてきた。
エリーゼの顔立ちは決して子供っぽくない。むしろ大人っぽく整って、冷たい印象すら与える美貌である。だが、不思議なことに笑うと四、五歳くらい見た感じの年齢が下がって幼く見えるのだ。その意外な変化は、何度でも見たくなる魅力がある。
一方、姿をあらわしたエリーゼの装いに、ぼくはぼくで驚かされていた。わりと女の子らしい装いか、白銀の鎧姿の彼女しかこれまで見ていなかったが、今日は飾り気のない薄いピンクのシャツの上に白のパンツスーツである。髪も依然会ったときとは違い、短めに切りそろえている。
ただ、白のパンツスーツはマズい。まずそれだけで視線を引きつけるし、腰回りはともかく、胸はリュミエラを超えるパツパツ感だ。ぼくと一緒に買ったネックレスが、なんとなく「下げている」というより「置いてある」感じになっている。腰から下にしても、脚の長さが引き立っている。
(エリーゼちゃんの体でわたしの手が触れていないところはないと思ってください~)
ええい、うるさい!
「どうなさったの、アンリさん?」
エリーゼはぼくの手をとったままで、小首を傾げて尋ねてきた。
「……そういう姿は初めてだからちょっと驚いたんです。髪も切られたんですね」
「あの髪ではお務めの邪魔になってしまいますので……。おかしくありません?」
「よくお似合いですよ」
「ありがとうございます! この服は、聖騎士団での平時の服装で……少し気を引き締めようと着てきましたの。これでもわたくし、今日は戦いに来たつもりですのよ?」
依然としてぼくの手を握ったまま、彼女はもう片方の手で握りこぶしを作って、「ムンッ!」という感じで力んで見せた。頬も少し膨らんでいて、さらに幼く見えてかわいい。もともとの冷たい美貌はどこかに消え去っている。
「そのネックレスも、気に入ってもらえて嬉しいです」
「気づいてくださったの? うれしい! ……あ、でもこんなふうに喜んでばかりいたら、戦う気持ちがどこかに飛んでしまうわ」
エリーゼはさらに一段笑顔をグレードアップしかけたが、慌てて表情を引きしめ直した。ベアトも言っていたが、ほんとうにかわいい人だ。心の飾り気がない、とでも言うのだろうか。
「じゃ、いきましょうか」
ぼくはエリーゼの手を軽く引いた。その時になって彼女はぼくの手を握りっぱなしだったことに気づいたらしく、少し硬直して顔を赤らめた。だが手をふりほどくことはなく、そのままぼくのあとをついて歩き始めた。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!




