彼らの日常
両手首の周りを浮遊し相対位置を固定された薄型の腕輪。
幅は腕時計よりも小さく、そこに浮かぶのはシンプルな文字列だ。
それはタッチスクリーンとなっており、スライドをすれば選択肢がくるくると入れ替わり、片手で数えられる程度の選択肢から望みのものを選ぶシンプルな仕組みが採用されている。
日本ではこの腕輪が日常生活を支えているといったも過言ではない。
会社への出勤、学校への登行、三つあるバーチャル世界。
そこから好きなものを選び出し、リアルから電脳世界へと意識を移動させる。
人は幸せを貪るため、世界を転々とするようになったのだ。
『遅いよ、あっくん!もう学校まであと3分だよ遅れちゃうよ!!!』
そう急ぐこともなかろうに、やかましく言葉をまくしたてる幼馴染の顔があった。
晃は目を閉じているのに、そこに浮かび上がる幼馴染の顔にうんざりしながら体を起こす。
大きく伸びをしてから目を擦りつつ、ピントを合わせていく。
自分の部屋の風景がそこにあった。それを邪魔するようにあった幼馴染の怒りの顔が視界の右上の方へ寄っていく。
徐々に意識がはっきりしてきた彼はあくびをしながら返答する。
「別に遅れる事はないさ。人差し指でちょちょっとやればすぐなんだしさ」
『そんなんじゃ、いつまでたっても立派な大人になれないよ!』
まったくお節介なやつだ。なんだよ、立派な大人って。もはや大人も子供もなかろうに。
晃はそう思いつつ、右手の腕輪を操作する。
「declaration !!! mode school」
晃の宣言と同時に視界が暗闇に沈んだ。
次に視界に現れたのは晃の席からの景色だ。
黒板に教卓、勉強机。賑やかな教室にたくさんの高校生。そんなありふれた高校の教室の風景がそこにはあった。
別に瞬間移動きたわけじゃない。
コスチュームが制服なのがいい例だろう。
僕は着替えてすらいない。いや、むしろ残り3分で着替えなんかしていたら間に合わない。
インターネットを使うのにわざわざ衛星まで飛んでいく必要がないのと同じだ。
このシステムは、一種のネットワークシステムを構築している。違いは通信衛星に頼っているのではなく、有線で張り巡らされた血管のような無線LANのインターネット回線が心臓と呼ばれる一つの巨大施設に集約されているというところか。
「よし、お前ら席につけ、授業を始めるぞー。能力スキャンで所定点以下の場合は荒療治だから、心して聞いておくように」
教室ではその言葉を聞いて何人かが口を引きつらせている。
荒療治とは脳への直の知識の刷り込みだ。
模範記憶が脳の中に直接注がれる際に訪れる激痛は3秒といってもキツイものがある。
だから、みんな自力で勉強しようと必死になるのだ。10年に1人くらいの割合で痛みに耐える方向で高校生活をエンジョイするらしいが、経験者によると頭おかしい、だそうである。
「さて、今日は三角関数から始めるぞー。数ⅱの67ページだ。芦屋、その定理のところ、読んでくれ」
教室の温度は一定。
日差しが差し込む窓の外には綺麗な緑が広がっている。
まさにそれは理想郷で、人類の発展は永久凍結の状態を迎え、幸福を効率よく取り込むためだけに技術が開発されていった。
最低限生きていくために必要な量だけを食べているにもかかわらず脳を騙して美味いものをたらふく食べている気にさせる技術や、人が争わないように完全に悪意をコントロールするための技術など、とにかく人間が怠惰に生きるための技術の集大成がここにあった。
授業が終わり、放課後になるとリアルに戻って宿題をするか、他のバーチャル世界に行くかという選択肢があり、晃は基本的に後者だった。
それも日常を営むためのフィールドではなく、オンラインゲームのフィールドだ。
そこで人々は本来の狩猟本能などを存分に出し切ることになっている。
「さて、行くかな」
晃はそういうと教室のその場で右腕の腕輪を操作した。
「declaration! mode deprived planet!」
彼の宣言で、世界が変わった。
世界中の人間が住まう異世界。
それが彼らが手に入れた刺激だった。




