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神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―  作者: 筑前由紀
第一章 神に選ばれし姫

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7/12

第7話|夜に残る熱

敦賀では、足仲彦天皇たらしなかつひこのすめらみこと息長帯姫おきながたらしひめは正式に対面することなく別れました。

後日、天皇が帯姫の部屋を訪れるという約束だけを交わし、その日は解散となったのです。


それから数日後――

約束の夜がやってきました。


一月十一日の夜。

空は低く、雪がしんしんと降り続いていました。

屋敷の軒先にも白が積もっています。


帯姫は、炉に炭をくべ、灯りを落とした部屋で、ひとり静かに座していました。

冷えた空気が頬に触れ、指先はわずかにかじかんでいます。

それでも胸の鼓動だけが、いつもよりわずかに早く感じられました。


戸が静かに開きます。


外の冷気とともに、雪の匂いが入り込みました。

そこに立っていたのは、厚手の上着をまとった天皇でした。

肩には細かな雪がまだ残っています。


戸が閉じられると、室内は再び静まりました。


天皇は一度、静かに息を吐き、

肩に掛けていた上着をゆるやかに外します。

雪の冷気をまとっていた布が床に置かれました。


ふわりと、甘く、わずかに渋みを含んだ香りが流れ込みました。

外の凍てつく空気とは異なる、体温を帯びた香りです。


雪の夜であることを忘れさせるような温もりでした。


帯姫の胸の奥が、静かに波立ちます。


「――大王、お待ちしておりました」


深く、深く、頭を下げました。


天皇は静かに歩み寄ります。

足音は控えめで、それでも確かな存在感を伴っていました。


そして帯姫の左隣に、腰を下ろします。


外では雪が降り続き、

時折、屋根からさらりと落ちる音が聞こえました。


「面を上げよ」


その声は低く、夜に溶けるようでした。


帯姫が顔を上げると、天皇の瞳がすぐ近くにあります。

昼間に見たときよりも、ずっと深く、熱を宿しているように感じられました。


襟元からのぞく胸元に、灯りが柔らかく落ちています。


雪の夜の冷え込みの中、その肌だけが温かく見えました。


帯姫は思わず目を伏せます。


「お強くあられますのですね」


そっと触れた腕はたくましく、外気とは対照的に、確かな熱を持っていました。

冷えていた指先に、その温もりがじわりと伝わります。

鼓動が、かすかに響きました。


「守るべきものがあるゆえな」


その言葉とともに、天皇は帯姫の手を取り、

静かに胸元へと導きました。


伝わる熱。

鼓動。

近づく息遣い。


外は雪。

室内には炎。

炉の火が、ぱちりと小さく音を立てました。


甘い香りが、さらに濃くなります。


帯姫は目を閉じました。

身を委ねれば、この温もりに溶けてしまいそうでした。


――そのとき。


瞼の裏に、別の光景が走ります。


風を切る矢。

血の色。

戦場に立つ、勇ましくも孤独な天皇の姿。


その胸に、一本の矢が突き立つ。


「嫌……っ」


帯姫は思わず息を呑み、身を離しました。


冷えた空気が、二人の間に戻ります。


現実と幻が交錯し、胸が締めつけられました。


目の前の天皇は、驚き、少し傷付いた表情をしています。


「あ、いえ……違うのです」


言葉を探しますが、不吉な未来をそのまま口にすることはできません。

かえって天皇の心を曇らせるだけだと思い、言葉が詰まりました。


仕切り直そうと歩み寄ろうとしますが、震えが止まりません。


「……申し訳ありません」


唇がかすかに震えます。


「大王……お慕いしております」


震える声で、それだけを伝えます。


情を拒んだのではない。

むしろ、その逆でした。


この方を、守りたい。

この熱も、この命も。


(どうか……わたしに、祓わせてください)


天皇は、わずかに眉を寄せます。

しばらく沈黙が落ちたのち、天皇は静かに息をつきました。


「……そうか」


わずかに自嘲の色をにじませ、衣を整えます。


「すまなかった。無理強いはせぬ。これからのことは、また明日以降、ゆっくり話そう」


そう言って、帯姫から少し離れた場所に横になりました。


雪に包まれた夜。

二人の間には、触れ合わなかった熱だけが、淡く、確かに残っていました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次回、第8話「二つの影」。


皇后として敦賀に宮を築いた帯姫の前に、やがて対立へと育つ二人の王子の影が静かに現れます。

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