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神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―  作者: 筑前由紀
第二章  西国動乱

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第26話|鬼を討つ

「我こそはと思う者はおらぬのか!」


雷鳴のような声が海へ響きます。


しかし、誰一人として近寄る者はありません。

黒衣の男の周囲だけが、不気味な静けさに包まれました。


その時です。

一艘の小舟が波を切って近づいてきます。


阿部高麿あべのたかまろ

その後ろには、弟の助麿すけまろ

二人は敵兵を討ち払いながら、この船へたどり着いたのでした。


二人は顔を見合わせ、小さく笑います。


「たとえ強靭な鬼であろうと、我ら二人で組みつけば屈せぬ道理はない」

「いざ」


二人は同時に敵船へ飛び移ります。

太刀が一斉に閃きました。


しかし、男は動じません。


高麿が踏み込んだ、その瞬間でした。

大きな腕が高麿の身体を捕らえます。


「ぐっ……!」


男は高麿を右脇へ抱え込むと、そのまま万力のような力で締め上げました。

鎧が軋み、骨が悲鳴を上げます。


「兄上!」

助麿が横から斬りかかります。


男は身体をひねって刃をかわし、そのまま助麿の胸を蹴り飛ばしました。

助麿は帆柱へ激しく叩きつけられます。

息が詰まり、一瞬意識が遠のきました。


それでも立ち上がります。

「まだだ……!」


助麿が再び斬りかかると、男はその刃を避けようと高麿を抱く腕をわずかに緩めました。


その隙に。

高麿は身体をねじり、その腕から抜け出します。


「助麿!」

「おう!」

兄弟は再び並び立ちました。


二人の太刀が、男を左右から襲いかかります。

男もまた、豪腕で応じます。


甲板へ火花が散り、刃がぶつかるたび船が揺れました。

やがて高麿の肩が深く裂けます。

助麿も腹を斬られ、血を流しました。

それでも二人は退きません。


賊は一歩踏み込み、高麿の胸へ太刀を深々と突き立てます。

鋼が肉を貫きました。


皇軍から悲鳴が上がります。

しかし、高麿は倒れませんでした。

「……捕まえたぞ。」


血を吐きながら、高麿は太刀を握る男の右腕へ両腕を絡めます。

渾身の力で離しません。

男が腕を振るっても、びくともしませんでした。


助麿は最後の力を振り絞り、賊の脚へ飛びつきます。

両脚へしがみつき、その巨体を押さえ込みました。


賊は左拳を振り下ろします。


一度。

二度。

三度。


助麿の身体は血に染まりました。

それでも離しません。


兄弟は互いの顔を見て、小さく笑いました。

「これで……よい」


その様子を見て、静かに前へ歩み出した者がいました。

足仲彦天皇たらしなかつひこのすめらみことでした。

その手には、一張りの大弓。


天皇は高麿と助麿を見つめ、男を見つめ、

そして充分狙いを定めて、弓を引きました。


海風が止みました。


戦場から音が消えます。

誰もが息を止めました。


放たれた矢は、海上を一直線に駆け抜けます。

高麿と助麿に押さえられた賊は、身動きできません。


矢は、その胸を深々と貫きました。

男は天皇に気付き、睨みます。


天皇は二の矢を番えます。

放たれた矢は、迷うことなく喉を射抜きました。


巨体がゆっくりと揺れます。

そして、轟音とともに甲板へ倒れ伏しました。


静寂。


次の瞬間、賊たちの間から悲鳴が上がります。

黒船は我先にと沖へ逃げ始めました。


皇軍は旗を掲げます。

槍を打ち振ります。

勝鬨が、海へ響き渡りました。


しかし、その歓声の中で、高麿と助麿は静かに力尽きようとしていました。


天皇は二人の傍らへ歩み寄ります。


高麿は微笑みました。

「……宮は、お守りできましたか」

「ああ」

天皇は力強く頷きました。

「お前たちが、この国を守った」


兄弟は満ち足りた表情のまま、静かに目を閉じました。


兵たちは涙を流しながら、倒れた賊のまわりで槍を掲げ、旗を振り、勝利を祝い舞いました。


命を懸けて国を守った者たちを讃える舞。

この舞は後の世まで伝えられ、数方庭祭の起こりとなったといわれています。


また、この夜に海から現れた賊は、後の世に「塵輪」と呼ばれ、その恐るべき姿は語り継がれることとなりました。

次回、第27話「神の沈黙」。


塵輪討伐の宴が終わった後、誉屋別王を迎えに向かった一行が消息を絶ち、帯姫には神の沈黙が続きます。

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