第27話|神の沈黙
塵輪を討ち果たした豊浦宮では、盛大な勝利の宴が開かれました。
「鬼を討った!」
「もう海は安泰だ!」
兵たちは酒を酌み交わし、各地の首長たちは互いの健闘を称え合います。
宴は一夜では終わりません。
二日、三日と続き、ついには七日七晩にも及びました。
誰もが笑い、誰もが戦の終わりを喜んでいました。
ですが、その輪の中で、息長帯姫だけは笑うことができませんでした。
塵輪は討たれた。
それなのに胸の奥のざわめきは、少しも消えません。
神が何かを告げようとしているような気がする。
しかし、いつものようにハッキリとは何も見えません。
根拠のない不安だけを口にして、せっかくの勝利に水を差すことはできませんでした。
帯姫は胸の内を誰にも明かさぬまま、宴が終わるのを待ちました。
宴の終わった翌朝。
帯姫は武内宿禰を呼びます。
「宿禰、伊勢へ向かった者たちを、そろそろ呼び戻しましょう」
「承知いたしました」
実は塵輪が現れる少し前、豊浦宮では誉屋別王を迎える準備が進められておりました。
葉山媛と長媛、それに護衛の兵たち数十人が伊勢へ向かっていたのです。
しかし、その矢先に賊が現れたため、一行には豊浦宮へ近づかず、手前で待機するよう伝えてありました。
塵輪も討たれた今なら、もう危険はない。
誰もがそう考えていました。
ところが数日後、武内宿禰は険しい表情で広間へ入ってきます。
「誉屋別王を迎えに向かった者たちですが……最後に佐波で目撃されたのを最後に、その後の足取りが分からなくなりました」
広間が静まり返ります。
「探させておりますが、未だ何の手掛かりもございません」
家臣たちは顔を見合わせました。
「塵輪の残党でしょうか。」
誰かが口を開きます。
「いや、無関係の賊ということもある」
「半島へ連れ去られたのではないか」
「本当に塵輪は新羅の者だったのか?」
議論は次第に広がっていきました。
「あの者たちは日本語を話していた」
「南の訛りもあったように思う」
「しかし、戦の最中には半島の言葉も聞こえたぞ」
「それを言えば、我らにも半島から渡ってきた者はおります」
誰も決め手を持っていません。
塵輪とは何者だったのか。
熊襲と結んでいたのか。
それとも半島の国々が裏で糸を引いていたのか。
推測ばかりが重なり、答えは一つも見つかりませんでした。
帯姫は静かに目を閉じます。
(神よ……。)
これまで幾度となく導きを授けてきた神々。
その声に耳を澄ませても、何も聞こえてきません。
胸の奥には、ただ重い沈黙だけが広がっていました。
(なぜ、お告げをくださらないのです。)
会議をお開きにした後、一人たそがれていた帯姫の隣へ、豊姫がそっと座りました。
帯姫は力なく微笑みました。
「私は、誉屋別王を心から迎えたいと思えなかった。だから神は、お告げをくださらないのかも」
豊姫は静かに首を横へ振ります。
「誉屋別王は大王と、姉上ではない別の女性との間のお子。複雑な思いを抱くのは自然なこと。でも、だからと言って姉上が誉屋別王を襲わせたわけではないでしょう?姉上が罪悪感を抱く必要は全くないわ」
そう言って帯姫の手を優しく包み込みました。
「塵輪との戦で、誰より心をすり減らしたのは姉上です。神のお告げが聞こえないのはきっと、姉上がお疲れだから。今はどうか、休むことだけを考えて」
帯姫は小さく頷きました。
しかし、その表情から不安が消えることはありませんでした。
その後も捜索は続けられました。
山を探し、海を探し、村々を訪ね歩き、半島へ渡ったという噂さえ追いました。
ですが、誉屋別王や誉屋別王を迎えに向かった者たちの消息はつかめません。
季節は巡ります。
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎました。
こうして一年余りの歳月が、静かに流れていったのでした。




