第22話|功満王の帰化
穴門の海が変わってからというもの、豊浦宮へ出入りする船は、目に見えて増えておりました。
かつては小舟しか通れなかった海峡を、今では大きな船までもが抜けていきます。
半島の船。
大陸の船。
見たこともない形の帆を持つ船さえありました。
港には異国の言葉が飛び交い、
香辛料や珍しい布、
見慣れぬ品々が並び始めます。
熊鰐たちもまた、その変化を巧みに利用しておりました。
潮を知る彼らは、外洋船を安全に導く水先案内人として重宝されるようになったのです。
豊浦は、ただの港ではなくなりつつありました。
海の道が交わる場所。
西の国々と大和を繋ぐ、新たな要になろうとしていたのです。
足仲彦天皇即位4年のある日のことでした。
「また、異国の船が参っております」
従者の報せを受け、息長帯姫は海辺へ向かいました。
波間に浮かぶその船は、大変な旅をして来たのでしょう。
帆はボロボロになっていました。
やがて船が港へ着き、ひとりの男が姿を現します。
年は壮年ほど。
長旅で衣は潮風に晒されておりましたが、その立ち姿には王たる者だけが持つ気品がありました。
男は、足仲彦天皇と帯姫の前へ進み出ると、深く頭を下げます。
そして、半島の言葉で話し始めました。
「私は、功満王と申します」
それを帯姫が通訳し、天皇に伝えます。
天皇が静かに問います。
「何ゆえ、倭国へ」
功満王は、ゆっくり顔を上げました。
「この港の噂を聞いたのです」
そう言って、豊浦の海を見渡します。
「西の海へ開かれた港がある、と。この港には、争いよりも、人を迎える気風があると聞きました」
その視線が、静かに帯姫へ向けられます。
帯姫は何も言わず、ただ功満王を見つめ返しました。
やがて功満王は、少し声を落として続けます。
「我らは、遠き西の大国、秦の流れを汲む者」
その場の空気が、わずかに静まりました。
「長き時を経て、百済に身を寄せておりました。しかし、もはや留まること叶わず……いずれ、一族も逃れねばなりますまい」
足仲彦天皇は、功満王の顔を静かに見つめます。
その目には、海を渡って来た者だけが持つ疲労と覚悟がありました。
「……あなたお一人であれば、お迎えできます」
帯姫が口を開きます。
「けれど、その後ろにいる方々すべてを、ここでお引き受けする約束は、今は出来ません」
功満王は静かに頷きました。
「承知しております。」
そう言うと、従者へ目配せをします。
功満王は運ばれてきた木箱を開けます。
中には、小さな包み。
慎重に開くと、黒い粒が無数に並んでいました。
「……種か?」
天皇が問います。
功満王は首を振りました。
「蚕の卵にございます。」
功満王は箱へ手を添えました。
「我らは、助けを乞うためだけに参ったのではございません。この技と、この身をもって、この国へお仕えしたく存じます。」
帯姫は功満王を見つめます。
その眼差しに、嘘はありませんでした。
足仲彦天皇が口を開きます。
「……いずれ、その者たちも迎え入れられるよう、力を尽くそう。」
功満王が、はっと顔を上げました。
天皇は続けます。
「海は開かれた。これより先、人もまた増えていく」
その視線は、海の向こうを見ているかのようでした。
「その力が、この国に必要となる時も来よう」
功満王は深く頭を垂れます。
「……ありがたき幸せ」
その声は、わずかに震えておりました。
蚕が生み出す絹。
それは、莫大な価値を持つ品でした。
絹を求める者は多くいましたが、野生の蚕から採れる絹糸は非常に少なく、ごくごく限られた人しか手に入れることは出来ませんでした。
しかし、もし蚕自体を自分達で育て増やすことが出来たなら。
絹の流通が出来るでしょう。
功満王は静かに言いました。
「この国は、これよりさらに栄えます」
海風が、豊浦の港を吹き抜けていきます。
その風はまるで、新たな時代の訪れを運んで来たかのようでした。
帯姫は、静かに海の彼方を見つめておりました。
海は、国を隔てるものではありません。
人と人を結ぶ道。
その道は、今まさに開かれようとしていたのです。
けれど、海は人を選びません。
善き縁を結ぶ日もあれば、災いを運ぶ日もあるのです。
次回、第23話「海路の異変」では
海の都、豊浦が栄える一方、対馬と壱岐に賊が現れ、帯姫は築き始めた「海の道」が脅かされていることを知ります。




