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『緋色の傭兵団の物語』「ゲルマニア編」  作者: 嵗(sai)
第八部:覇道の蹄音

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第九部 第4章:赤印の旗と「胃袋」の軍略

「宣戦布告」。それは、混迷を極めるゲルマニアの傭兵界隈において、三百年もの間守り続けられてきた「鉄の掟」である。いかなる怨恨があろうとも、この手続きを踏んだ申し出を拒否することは許されない。白地に赤の×印を刻んだ旗は、それが単なる略奪や闇討ちではなく、双方が合意した条件の下で行われる「公式な決闘」であることを意味していた。


かつては傭兵同士の報復の連鎖を防ぐための知恵に過ぎなかったこの慣例が、今、国家の存亡を賭けた大戦の幕開けに用いられようとしていた。後に「ゲルマニア統一決戦」と記される、ミューラー公国軍とガウス自治領傭兵群団との戦いである。


茶の剣傭兵群団が野営する、ガウス自治領外郭の広大な平原。そこに、一本の旗を掲げた小集団が近づいていった。 「……やれやれ、私にはいささか荷が重すぎる役目なんだがね」 馬上でぼやきながら旗を握るのは、緋色の傭兵団副団長、オットーである。 「何言ってるんですか。対外交渉はオットーさんの専売特許でしょう?」 団長ガーブの無茶な「お願い」に押し切られた格好だが、彼の周囲はハンスが厳選した特務隊の面々が、音もなく、だが鋭い殺気を孕んで固めていた。


敵の陣営から、数多の野卑な視線が突き刺さる。一万もの荒くれ者が放つ圧迫感の中、オットーは深く息を吸い込み、朗々と声を張り上げた。


「我ら、緋色の傭兵団は同盟者ミューラー公国と共に、茶の剣傭兵群団、並びに敵対するすべての傭兵群団、その支援者に対して『宣戦布告』を行う!」


オットーの言葉は、アレク大公の掲げた理想を代弁するかのように、平原に響き渡った。 「ゲルマニアの地に混乱と停滞を招き、民を苦しめる悪逆の傭兵群団よ! 暴利を貪る悪徳大商家よ! 我らは全土の安寧と発展のため、その妨げとなる己らに決戦を申し込む! 勝者はゲルマニアの未来を手にし、敗者はその権利の一切を放棄せよ! 我ら総員二千四百五十! 貴殿ら一万の全力を以て応じられたし! 期日は三日後、正午。……いかに!」


その宣言に対し、返ってきたのは地鳴りのような嘲笑だった。 「馬鹿かあいつら、二千語百にも満たない数で死にに来たか!」 「一万三千対二千五百弱? 算数もできねえのか!」 傭兵たちは腹を抱えて笑い、勝利を確信して気勢を上げた。


やがて、敵陣の奥から一人の男が前に出た。茶の剣一番隊の隊長、ギムルである。 「その宣告、確かに受けた。俺たちは逃げも隠れもしねえ。傭兵群団総勢一万、正々堂々と踏み潰してやるよ」 「……承知した。では三日後、この平原にて」 オットーはそれだけ言い残すと、背後を振り返ることなく鮮やかに馬首を返した。


________________________________________


その頃、緋色の傭兵団の陣地では、およそ決戦前夜とは思えない光景が広がっていた。 後方の旧帝都方面から、何台もの重い荷馬車が到着していたのだ。荷を下ろしたのは、戦場には不釣り合いな女たちや、マルコの教練を受けている子供たちだった。 彼らは手際よく竈を築き、巨大な大鍋に火を焚べ始めた。


やがて、焼き立てのパンの芳香と、具沢山のシチューが煮える匂いが陣地全体に漂い始める。工兵たちは廃材を利用して簡単なテーブルと椅子を作り、子供たちが慣れた手つきで皿を並べていった。 訓練で神経を尖らせていた傭兵たちの意識が、一斉にそちらへと向く。


「さあ! みんな、腹ごしらえだよ! 死ぬほどあるから、腹いっぱいお食べ!」 軍陣に響き渡ったのは、給食隊長、エマおばちゃんの雷鳴のような元気な声だった。 「腹が減っていては、勝てる戦も勝てやしないよ! 英気を養いな!」


「「「「おおおおお!」」」」 荒くれ者たちが、我先にと大鍋の周りに群がった。 天幕の中でガーブ、ヤミル、クリス、イエーガーさんたちと作戦の細部を詰めていたシンは、その喧騒に驚いて外へ飛び出した。


「エマさん! なんであんたがここにいる! マルコ! 残留しろと言ったはずだぞ!」 俺の怒鳴り声に、マルコが頭をかきながら苦笑いした。「いや、俺は止めたんですよ。でもエマさんが……」 「シン! 何を寝ぼけたことを言ってるんだい!」 エマが巨大なお玉を突きつけて俺を黙らせた。 「あたしたちだって緋色の団員だろうが! ならば、戦場で最高の食事を出すのがあたしたちの仕事さ! 子供たちだって、自分たちにできることをやりに来たんだ。後方支援はあたしたちに任せて、あんたはあんたの仕事を全開でやりなさい!」


そう言って、俺の手に熱いシチューの入った椀が押し付けられた。 一口啜る。……旨い。ヴィットマン領を出発して以来、保存食ばかりで冷え切っていた身体の芯に、温かな滋味が染み渡っていく。 ふと見れば、ガーブやヤミルも俺の横で、無言で、だが幸せそうにシチューを掻き込んでいた。


「組織運営の肝は胃袋を掴むこと」。かつて旧帝都での活動の中で学んだその真理を、俺は改めて噛み締めていた。ピリピリと張り詰めていた陣地の空気は、エマたちの炊き出しによって適度に弛緩し、兵たちの目には確かな力が戻っていた。


「よし、お前ら! 飯を食ったら最後の一仕事だ!」俺は声を張り上げた。 「「「「応!!」」」」 「エマさん、今夜は特別だ。食後に酒を一杯ずつ配ってやってくれ!」 「あいよ! 太っ腹だねぇ!」 陣地の気勢はさらに一段階跳ね上がった。


一方、作戦の要となる工兵隊の天幕では、ゲルドとノインが最終的な調整を行っていた。 「シン、カタパルト十二基とバリスタ二十基、組み立てはすべて完了したぜ」 ゲルドが、煤で汚れた手で完成したばかりの巨体を指差した。 「よし。敵に悟られないよう、今は覆いをして隠しておけ。明日の早朝、一気に展開する」


ノインは設計図に没頭し、さらなる改良を呟いていた。 「ゲルドさん、カタパルトの基部をあと数キロ軽量化できませんか? 弾薬と合わせると、移動に時間がかかりすぎます」 「無茶言うな、これ以上削ったら投擲の反動で自壊しちまうぞ」 そこに、参謀のツェンが口を挟む。「では、役割を分けましょう。機動力重視の『軽カタパルト』と、破壊力重視の『重カタパルト』に。戦術の幅が広がります」


俺は、静かに影の中から現れたハンスに向き直った。 「ハンス、歩哨の状況は?」 「問題ない。斥候隊とヤミルから借りた五十人で、周囲一キロを封鎖している」 「例の……深夜の『仕掛け』はどうなっている」 ハンスは不敵な笑みを浮かべた。「特務隊が既に動いている。今夜半には準備が整うはずだ」


それは、アレク大公との軍議でも語らなかった、緋色の傭兵団独自の「毒」である。


「ヤミル、イエーガーさん、装備の最終確認を。クリス、矢のストックは十分か?」 「ガーブ……、遊撃隊の八人はどうだ。お前が率いる初めての『首狩り』になるぞ」 俺の問いに、ガーブは静かに大刀を鞘に収めた。 「ん。問題ない」 「ブルってるようなら、外してやってもいいんだぞ?」 「……大丈夫。私が、完璧に鍛えた」


適度な緊張と、確かな高揚感。 俺たちは、五倍の敵を迎え撃つための、すべての準備を終えた。


そして、運命の決戦の朝がやってくる。



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