第八部 第9章:盤上の最終決戦――「傭兵の黄昏」への序曲
「共にゲルマニア国を創ろう」――ミューラー公国大公アレク・フォン・ミューラーの言葉を軍監ノア・ヴェルナーが伝えたその瞬間、断崖の謁見の間は戦場から政治の場へと変貌した。ヴェルナーが主導する形で停滞と混迷を終わらせるための具体的な協議が始まり、俺、ガーブ、オットーさん、ハンスの四人は同席こそしたものの、この歴史の転換点において静かなる聞き役に徹することとなった。
アレク大公の構想は、あまりに遠大で、かつ冷徹であった。彼は現在の傭兵群団が戦場を「管理」し、商人たちがその不毛な争いから暴利を貪るというゲルマニアの歪な構造を根底から破壊し、新しい秩序を築くことを目指していた。そのためにミューラー公国軍とヴィットマン子爵領軍が手を取り合い、諸悪の根源たる傭兵群団を壊滅させ、ガウス自治領を支配する大商家を放逐する。戦火と搾取から民を解放し、公正な法と政治によって豊かな国を創り上げる――その新国家の全権はアレク大公が担うが、帰順したヴィットマン子爵には相応の地位と報酬が約束された。
ヴィットマン子爵は黙ってヴェルナーの語る「新国家の青写真」を聞き入っていた。そして最後に、「我が領民、そしてゲルマニアに住むすべての民に安定した生活を約束するのであれば、私と私の率いる鉄鋼団はアレク大公に頭を垂れよう」と告げ、静かに、しかし重みを持って頭を下げた。ヴェルナーはその言葉に満面の笑みを浮かべ、歴史的な和解を象徴する握手を求めた。こうして、ヴィットマン子爵領との血を流さない闘いは幕を閉じたのである。
俺たちが席を立とうとした時、ヴィットマン子爵が俺にだけ聞こえる微かな声で問いかけてきた。 「……シン君。君は、『黒狼騎士団』の真実を知っているか?」 その意味を問い返す間もなく、俺はヴェルナーをその場に残して山を下り、自陣のテントへと急ぎ幹部たちを招集した。
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ガーブ、オットーさん、ヤミル、イエーガーさん、シーゲルさん、ノイン、ツェン。緋色の傭兵団の「手足」と「頭脳」が、冷えた空気の漂う俺のテントに集まった。俺は全員にエマおばちゃんが用意してくれた酒を配り、杯を掲げた。 「みんな、ご苦労だった。まずは大きな被害を出さずにこの難所を越えたことを祝おう。乾杯」 皆が酒を煽り、一息ついたのを見計らって、俺は本題を切り出した。 「さて、これからのことだが……これからの緋色の傭兵団の活動について、全員の意思を一つにしておきたい」
「ガウス自治領との決戦についてか?」とシーゲルさんが鋭い視線を向ける。ハンスやヤミルも「次が本番だな」という顔で俺を見ている。 「そうだ。ヴィットマン子爵は大公アレクに下った。攻略戦の詳細は三日後、アレク大公が到着次第、三代表会議で決定されるだろう」
俺は現在のゲルマニアの勢力図を脳内で四つに塗り分けた。
ミューラー公国:南部から西部を電撃戦で制圧。
緋色の傭兵団(および赤い鷹):中部および南東部の森林地帯を平定。
ヴィットマン子爵領:堅牢な東部山岳地帯を保持したまま統一軍に合流。 そして残る一角が、北部湾岸地域を支配するガウス自治領と四つの同盟領主である。
ガウス自治領はかつて四大商家が支配する都市国家だったが、現在は海運を担う一商家を除き、物流を独占する三商家がホーハーベン商会に吸収・統合されている。この商会は「茶の剣傭兵群団」を私兵として使い、周辺領地を領主から奪って彼らに与え、事実上の「傭兵の国」を築き上げていた。さらには青、緑、黄の各群団をも資金で取り込み、北部一帯を鉄壁の包囲網で固めている。
「ガウスの海側は天然の要害と防衛船団によって守られている。陸地側は四つの傭兵群団が展開しており、直接戦闘員の総数は、茶の剣四千、他の三群団が各三千。合計で一万三千名に達する」 俺の言葉に、テント内の空気が凍りついた。対する我ら統一軍の兵力は、ミューラー公国の正規軍と黒狼騎士団計千二百、ヴィットマンの鉄鋼兵四百、そして俺たち緋色の傭兵団と赤い鷹の混成八百五十。総数二千四百五十。
「頭数だけで見れば、五倍以上の敵と戦うことになる。だが、奴らは個人の武勇に頼るだけの烏合の衆だ。力押しで当たれば消耗戦になるが、こちらには勝ち筋がある」 「首狩りだね。任せろ、シン」 ガーブが嬉々として答えるが、俺は苦笑して首を振った。 「ガーブ、残念だが今回は『傭兵流』の首狩りだけでは不十分だ。アレク大公の要望は、戦闘の結果として『ガウス自治領というシステムそのもの』を潰すことにある」
俺は改めて、アレク大公の真の目的を皆に突きつけた。 「アレク大公は、このゲルマニアを『傭兵の国』という汚名から解放し、正当な権力者が統治する強力な統一国家を樹立しようとしている。つまり、大公は『傭兵による支配を完全に打破すること』を目的としているんだ」 オットーさんとシーゲルさんの表情が険しくなる。 「それはつまり……アレク大公の創る国には、傭兵は不要だと言っているのか?」
「その通りだ、オットーさん。次の相手はガウス自治領という都市ではない。ホーハーベン商会の手足となってゲルマニアを裏から支配する『傭兵という概念』そのものとの闘いなんだ。そして、その勝者は新しい国家の礎となる『国家軍』でなければならないと大公は考えている」
ツェンが冷静に確認を求めてきた。「もし、この戦いが傭兵対国家軍の構図だとするならば、俺たちの立場は極めて微妙になりますね」 「ああ。三日後の会議で、アレク大公は二つの議題を出してくるはずだ。一つ目は、対ガウス傭兵群団の殲滅戦術。二つ目は、戦闘終結後の統一国家の軍事体制について。……そこで俺たちは決断を迫られる。今まで通りアレク大公と同盟を続けるか、それともここで袂を分かつか、だ」
俺たちは、かつて自分たちを使い潰したオルレアン伯爵という「統治の合理」の恐ろしさを知っている。アレク大公が描く未来の盤面に、俺たちという「不確定要素(傭兵)」が描き込まれているのかどうか、それをこの戦いで見極めなければならない。




