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『緋色の傭兵団の物語』「ゲルマニア編」  作者: 嵗(sai)
第八部:覇道の蹄音

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第八部 第8章:断崖の城と「正義」の拒絶

「代表の方々は私と共に城まで登っていただき、子爵閣下と停戦についての具体的協議を行っていただきたい」


山を降りてきた騎士の言葉に、同行していたミューラー公国の軍監が気色ばんだ。「ヴィットマン子爵自らこちらに降りてこないというのか? 敗色濃厚な停戦の申し出にしては、いささか礼を失しているのではないか!」


「……白々しいことを!」 騎士の全身が怒りに震え、兜の奥の瞳が燃えるような憎悪を宿した。軍監たちは何が起きたのか分からず戸惑っているが、俺にはその怒りの理由が痛いほど分かっていた。俺は彼らを宥めるように手を挙げた。 「大丈夫です。このまま登りましょう。……ヤミル、後は頼んだぞ」 「応、任せとけ。何かあったら山ごとぶち壊してやるよ」 ヤミルはグレイヴを肩に担ぎ直し、不敵に笑った。


俺たち一行は騎士の後に続き、険峻な岩道を登り始めた。標高が上がるにつれ、空気が薄く鋭くなっていく。百メートルほど登ったところで、切り立った断崖にせり出すように造られた広い高台に出た。 そこには、四百名弱の「鉄鋼兵」が、抜剣した状態で整列していた。その中央を、俺たちは進んでいかなければならない。 重厚な板金鎧に身を包んだ巨漢たちが放つ濃密な殺気。血走った眼。一歩ごとに、彼らの視線が物理的な重圧となって俺たちの皮膚を刺す。軍監やオットーさんは、寒冷な山中であるにもかかわらず、しきりに額の汗を拭っていた。


鉄鋼兵の背後には、この地の領民たちがいた。彼らは怯えるどころか、侵略者である俺たちを、呪い殺さんばかりの眼差しで睨みつけている。 (……怖いな。今ここで襲いかかられれば、俺たちは一瞬で細切れにされるだろう。だが、彼らは手を出さない。いや、出せないのだ) 俺は自分自身に言い聞かせ、震える足を叱咤しながら、堅牢な城の入り口へと歩みを進めた。


________________________________________


騎士の案内で、迷路のような廊下を抜け、重厚な扉が開かれた。そこはヴィットマン家の栄華と矜持を象徴する、荘厳な「謁見の間」だった。 正面の玉座に似た椅子に、一人の男が深く腰掛けていた。だが、それを見たオットーさんと軍監は、息を呑んで硬直した。


ヴィットマン子爵の傍らに、まるで最初からそこにいたかのように、ガーブ、ハンス、そしてツェンが立っていたからだ。 「よう、シン。待たせたな」 ガーブがいつもの不敵な笑みを浮かべて手を挙げた。 「応! 三人とも、ご苦労だった」 俺は応え、ヴィットマン子爵へと向き直った。子爵はワイン片手に、鷹揚な態度で俺たちを迎えようとしていた。


「初めまして、だね。アレク公主の交渉人、君」 身長百八十九センチ。細身ながら、服の上からでも分かるほど強靭な筋肉を纏っている。整えられた口髭を蓄えたその中年男は、まさに「鬼人の子孫」という噂に相応しい威厳を放っていた。 「私がヴィットマン家現当主、イワノフ・フォン・ヴィットマンだ。……まずはワインでもどうかね。毒は入っていない。そのような『傭兵の如き』真似は、我が家の家訓にないのでね」


嫌味をさらりと受け流し、俺は自己紹介をした。 「初めまして、ヴィットマン子爵。私は緋色の傭兵団副団長、シンです。団長は貴方の横にいるガーブ、そしてこちらはアレク大公から派遣された軍監の……」 軍監が遮るように一歩前に出た。「ノア・ヴェルナー。今回の停戦および帰順交渉の全責任は私が――」


ヴィットマン子爵は、黙れと言わんばかりに静かに手を挙げた。 「君は黙っていてくれるかな? アレク公主の飼い犬君。私は今、この作戦を考えた彼、シン君と話しているのだ」 ヴェルナーの顔が屈辱で歪むが、子爵の放つ圧倒的な「王者の気圧」に押され、大人しく後ろへ下がった。


「ガーブ団長から聞いたよ。……表でカタパルトやバリスタを並べて我々の注意を惹きつけ、その隙に彼女たちを潜入させる。この『二段構え』の策、考えたのは君なのだろう? 実に見事だった」 「それは、どうも……」


________________________________________


遡ること八日前。俺は攻城兵器の準備を進める裏で、ガーブ、ハンス、そしてノインに極秘の単独行動を指示していた。 「ハンス。正面の岩壁を迂回して、ヴィットマン城に侵入できるルートはあるか?」 ハンスは地図を凝視し、苦々しく首を振った。「……あるにはあるが、道なんて代物じゃない。訓練を積んだ斥候でも、たどり着ける保証はないぞ」 「ガーブならどうだ?」 ハンスがガーブに視線を向けると、彼女は「問題ないよ」と即答した。 「……分かった。ガーブ、『首狩り』だ」 ガーブは、獲物を前にした狼のようにニコリと笑った。「了解!」


ガーブ、ハンス、そして選抜された斥候八名は、戦場を大きく迂回し、山の背後の断崖絶壁に挑んだ。獣道すら存在しない、垂直に近い岩壁を登る過酷な行軍。稜線を超えるのに五日を要した。 道中、不運にも斥候の一人が足を滑らせ、音もなく深淵へと消えていった。他の斥候たちも極限の疲労で行動力を失っていく中、ガーブだけは「楽しいねぇ」と呟きながら、超人的な活力で登り続けたという。


彼女たちが城の背面に到達した時、ヴィットマン側の警備は確かに緩んでいた。まさか、あの断崖を人間が登ってくるとは想定していなかったのだ。ハンスは動けない部下を留まらせ、ガーブと共に岩を飛び跳ねるようにして城内へと侵入。侍女の悲鳴を無視して謁見の間へ突入した時、子爵は独り、読書をしていた。


「お前がヴィットマンか!」 ガーブが抜き放った大刀の切っ先を、子爵の鼻先に突きつけた瞬間――勝負は決したのである。 護衛の兵たちがなだれ込んできたが、子爵はそれを手で制した。 「……いいでしょう。死神を招き入れてしまった以上、対話に応じるのが主の務めだ。ワインでも飲みながら、ゆっくりとね」


________________________________________


「見事だった」 ヴィットマン子爵は、回想を終えた俺に再び賞賛を送り、杯のワインを一気に飲み干した。 「傭兵らしい、実に傭兵らしい卑怯で、かつ合理的な戦い方だ」 子爵の碧い瞳が、俺を冷酷に射抜いた。 「私は、傭兵の支配を排し、自らの手で領地を治めることを目指してきた。だが結局、傭兵の知略に屈したか」 彼は自嘲気味に、ふっと冷笑を浮かべた。


「……子爵のこれまでの苦難は理解しています」俺は臆することなく言い返した。「だからこそ、我々は無益な流血を避け、対話で決着をつけたかった。そのために、少しばかり『傭兵らしい』こ狡い手段を取らせていただきました」


ヴィットマン子爵領の歴史は、悲劇と忍耐の連続だった。 二百年前、肥沃な麓の土地を持っていた彼らは、隣接領主が雇った傭兵団の略奪と破壊によって山岳地帯へと追い詰められた。傭兵群団は「助けてやる」と甘い言葉で近づき、法外な報酬と利権を要求した。「生かさず殺さず」、ガウスの商人たちが経済を支配するゲルマニアの雛形がそこにあった。 だが、子爵の祖先はそれを拒絶し、孤立を選んだ。貧困に耐え、百年の歳月をかけて自前の鉱山を開発し、独自の鍛冶技術で武具を揃え、傭兵に頼らない「鉄鋼兵」を育て上げたのだ。すべては、奪われた故郷を奪還するために。


「目的のためには手段を選ばず、か?」 子爵の問いに、俺は静かに答えた。 「目的のためには、あらゆる手段を講じる。 それが、戦場を生き抜く者の合理です」


「……君とは意見が合わんな。上に立つ者は常に、民に正しき道と強さを示さねばならぬ。君のような、手に入れたいもののために汚泥に塗れることを厭わぬ傭兵を、私は嫌いだ」 子爵はガーブに顔を向けた。 「君とも話すことはない。……私の首が欲しいのなら、さっさとやるがいい。首狩りの女狼よ」


謁見の間に、凍りつくような沈黙が流れた。 ヴィットマン子爵と俺たちは、根本的な価値観において分かり合えない。それは分かっている。だが、アレク・フォン・ミューラーは、そんなことは百も承知なのだ。


「子爵。勘違いしないでほしいのですが、アレク大公は貴方の命を狙っているわけではない。むしろ、貴方のその『頑固なまでの正義』を、新しいゲルマニアのために欲しているのです」


「なんだと?」 俺は、軍監ノア・ヴェルナーに視線を送った。 ヴェルナーが居住まいを正し、一歩前に出る。彼は、アレク大公から預かっていた真のメッセージを、その場に響かせた。


「改めて、大公閣下のお言葉を伝えます。……ヴィットマン子爵。『共に、誇りあるゲルマニア国を創ろう』」


この瞬間、歴史の天秤は、一領地の抗争を超え、国家の誕生へと大きく傾いたのである。



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