第八部 第6章:炎の殉教者と「生存の合理」
ゲルマニア東部、険峻な岩壁が空を突くヴィットマン子爵領を目前に控え、俺たちは軍を休めることにした。
背後の平原地帯では、俺たちが平定した三つの領地を管理・運営するための官吏たちがようやく到着し、戦後処理に乗り出していた。アレク公主(公主)からは「さすが緋色の傭兵団。速きこと炎の如く。素晴らしい成果だ」という賞賛の親書が届いていたが、俺はそれを素直に喜ぶ気にはなれなかった。
快進撃を続けるアレク公主と、最強の機動力を誇る黒狼騎士団の情報は逐次もたらされていた。騎馬による電撃戦を展開する彼らに対し、徒歩の歩兵を主力とする俺たちは進軍速度で劣るはずだったが、俺たちは平原地帯を抜き、さらに南東の森林地帯をも制して山岳地帯の麓まで辿り着いていた。
しかし、その「速さ」の代償が、先日の森林地帯での戦闘で露呈した。 弓兵二百名を中心とした敵防衛線に対し、俺たちは数の利を活かして赤い鷹傭兵群団の二個分団を迂回させ、挟撃を仕掛けた。その際、赤い鷹の連中が見せた動きは、俺の目には異様に映った。彼らは遮蔽物を利用することもなく、ただ真っ直ぐに敵陣へと突っ込み、切り結んだのだ。それは勇猛というより、自らの命を勘定に入れていない「猪突」そのものだった。
幸い、相手が浮き足立ったため被害は最小限に留まったが、俺は強い危機感を覚えた。緋色の傭兵団が規模を拡大したとはいえ、兵数の維持は集団戦の鉄則だ。不必要な消耗戦で彼らを使い潰すわけにはいかない。
俺は夜の静寂を突き、赤い鷹の長、シーゲル群団長のテントを訪ねた。 「シーゲルさん、話がある」 焚き火を囲んで独り酒を煽っていたシーゲルは、ジロリと俺を睨んだが、何も言わずに向かいの席を顎で示した。俺はそこに腰を下ろし、爆ぜる火を見つめた。
「……いつも、あのような戦い方を?」 俺の問いに、シーゲルは答えず、ただ炎を見つめ続けている。 「森林での戦い方だ。無茶苦茶だよ。あんな捨て身の突撃を頼んだ覚えはない」 俺は言葉を重ねる。「俺たちにはまだ先がある。『戦って生き残る』、それが俺たちの信念だ。だが、あんたらの戦い方は、まるで『戦って死ぬ』ことを目的としているように見える。……なぜだ?」
シーゲルは脇に置いてあった杯を俺に差し出し、並々と酒を注いだ。 「……分かるか、シン」 彼は虚空を見つめたまま、赤い鷹の「呪われた矜持」を語り始めた。
「赤い鷹は、元々は神聖ロマヌス帝国の正規兵が集まってできた集団だ。野盗上がりとは違うという、つまらん矜持があった。『国を守り、その礎たる民を守る』。それが結成時の合言葉だった」 だが、ゲルマニアが数十の領主に分裂し、戦争が日常と化した三百年の中で、その理想は汚濁に塗れていった。歴代の団長たちは、食うため、生きるためと言い訳しながら、戦争を長引かせる「影のコントローラー」の一部に成り下がっていったのだ。
「そこへアレク公主が現れた。戦争のない国土を築くという理想を掲げたあの方に、俺たちは気づかされたのさ。『傭兵では国をまとめられない』とな」 シーゲルの声に苦渋が混じる。 「だから俺たちは公主の元へ赴いた。……そうしたら、あの方はこう言い放ったのだ。『なれば、今から行動で示せ。死して民の礎になれ』とな」
「……アレク公主が、本当にそう言ったのか」 俺は耳を疑った。アレクの「静かなる盤上の支配者」としての冷徹さは知っていた。だが、同盟軍の一翼を担う精鋭に対し、明確に死を命じているというのか。
「ああ。それが今の俺たちの行動原理だ。志を共にする者だけを残し、俺たちはあの方の意志に殉じることに決めたのだ」 シーゲルは酒を飲み干した。
俺は立ち上がり、シーゲルを正面から見据えた。 「……一つだけ言っていいか?」 「ああ」 「道半ばで死ぬのは、バカのやることだ」 シーゲルの眉が跳ねる。「なんだと?」 「戦い抜き、生き残り、その先にできる国の姿をこの目で見届けてから死ね。死にたがりなんて迷惑千万だ。俺たちの指揮下にいる以上、勝手に死なせるつもりはない。傭兵は生き残ってなんぼだ。 これからも一緒に行動するなら、そのつもりでいてもらわなきゃ困る」
俺は杯に残った酒を一気に煽り、テントを後にした。 「俺はあんたらを死なせない。勝手に死に急ぐな!」 吐き捨てるように言い、自分のテントへと戻る。
胸の奥が熱い怒りで焼けていた。何百年も前の死者の言葉に縛られ、今の命を投げ出すなど、ふざけるな。親父たち(憂国の傭兵団)を残し、泥を啜ってここまで生き延びてきた俺たちは、絶対に生き残ってやる。あいつらも、道連れにしてでも生き残らせてやる。
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シンが去った後、シーゲルの焚き火の周りに、気配を殺して控えていた四人の分団長たちが集まってきた。 「……聞いていたか」 シーゲルの問いに、「ああ、聞こえていたぜ」「おう」と野太い声が返る。
「若いねぇ、シンは。……全くだ」「戦って生き残る、か」 分団長の一人が、シンの去った闇を見つめて呟いた。 「死なせない、だとよ」
シーゲルもまた、その方向を見つめ、わずかに口角を上げた。 「……しばらくは、あいつの『智』に付き合うか。今更急いでも、あの世は逃げやしねえからな」 男たちは静かに杯を重ねた。夜の森に、遠くで獣の遠吠えが響いていた。
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自分のテントに戻った俺は、闇の中で思考を巡らせていた。 シーゲルから聞かされたアレク公主の言葉。 『死して民の礎になれ』。 それは、不確定要素である傭兵を、統一後の国家に残さないための「戦略的処理」ではないのか。 盤上の支配者は、赤い鷹を、そして俺たちを、ここで使い潰す気なのだろうか。
俺は、同盟者であるはずのアレク・フォン・ミューラーという少年に対する見方を、根本から変える必要があることを悟り始めていた。 「生存の合理」と「統治の合理」。 その天秤が激しく揺れ動くのを感じながら、俺は朝を待った。




