第八部 第4章:盤上の咆哮――ゲルマニア統一宣言
黒鉄期一七三五年初頭。ミューラー公国公主へと即位したアレク・フォン・ミューラーが発した「ゲルマニア統一宣言」は、全土を震撼させる劇薬となった。その宣言文は、単なる領土拡張の野心ではなく、三百年続いた「停滞の秩序」を根底から否定する断罪の書であった。
【ミューラー公国公主:ゲルマニア全土統一宣言】
「―――ミューラー公国は、ゲルマニアのすべての領主、並びに全住民に対し、全土統一を目指すことをここに宣言する。
かつて神聖ロマヌス帝国が政治の腐敗と地方領主の造反により崩壊して以来、ゲルマニアは各地の領主が分割統治する混迷の時代を歩んできた。しかし、その長い年月の間、政治は正されず、領主は民に圧政を強いて不毛な領地争いに明け暮れた。さらに、あろうことか『傭兵群団』という暴力集団に戦争そのものを管理させ、金を払い、民の血を流して『戦争という名の商売』を継続させるという愚挙を繰り返してきたのだ。
現在のゲルマニアは、無能な領主と無頼な傭兵、そして強欲な商人によって荒廃し、民は悲しみと絶望に疲れ果てている。 私は、深い憂いと激しい憤りを感じている。民を顧みず己の驕奢に走る愚昧な領主に。戦場を食い物にして欲望に走る傭兵に。そして、自らの富のみを追い求め、民の飢えを肥やしにする商人に。
今ここに私、ミューラー公国公主アレク・フォン・ミューラーは、この三者を駆逐し、ゲルマニアを唯一不変の法と秩序の下に統一することを宣言する。
傘下に入る領主は、直ちに以下の条件を受諾し、恭順の意を示せ。
一、領有権並びに財産権を放棄すること。
一、独自の正規軍を解散、またはミューラー公国軍へ編入すること。
一、雇用しているすべての傭兵団を直ちに解雇すること。
領地経営は公国より派遣する代官が執り行い、恭順した領主とその一族は、その貢献に応じて公国貴族としての地位を保証する。
また、すべての傭兵群団、傭兵団は速やかに解散せよ。 過去の行状は公正な裁判にて明らかにする。罪ある者は法に服せ。罪なき者は我が軍への合流を認める。これを拒む者は、直ちに剣を置け。
私腹を肥やす商人は、不正な富を民に還元せよ。贈収賄、傭兵を用いた不当な市場独占は一切これを正す。公平な商売を望む者は、私の元へ集え。
私、アレク・フォン・ミューラーは、『青の刃(公国正規軍)』、『黒い狼(黒狼騎士団)』、そして『緋色の閃光(緋色の傭兵団)』をもって、この世の理を正さん。 私と志を同じくする者よ、共に怒りの鉄槌となって、公平にして正しい社会を創り上げようではないか」
________________________________________
この宣言が全土へ行き渡るやいなや、ゲルマニアの各勢力は激しく反応した。
北東に逃れ、かろうじて存続していた神聖ロマヌス国は沈黙を守った。かつての宗主国家は、もはや武力による領土回復を諦め、神聖十字教という宗教的権威によって人の心を縛る支配へと変質していた。彼らは静かに事態を傍観し、どちらが勝っても宗教的地位を脅かされないよう計算を始めた。
東部山岳地帯の覇者、ヴィットマン子爵は冷笑した。 「全土統一だと? やれるものならやってみるがいい。ただし、この山(ヴィットマン領)を除いてな」 彼は最強の重装歩兵「鉄鋼兵」の力を過信していた。不干渉を貫くなら同盟も吝かではないが、一歩でも踏み込むなら追い返す。彼は宣言文を無造作に机に放り投げた。
ガウス自治領の商人たちは、醜い笑い声を上げた。 「戦になれば武器が売れる。防具が売れる。糧食の価格も跳ね上がる。結構なことではないか」 彼らは港湾都市ゲルニーハーヘンの難攻不落の城壁を盲信し、一領主の軍勢に何ができると高を括っていた。彼らは裏で茶の剣傭兵群団をはじめとする各群団に資金を注ぎ込み、戦火を拡大させて利益を貪る画策を始めた。
各地の小領主たちは戦々恐々とした。ある者はミューラー公国への恭順を考え、ある者は近隣と手を組んで対抗しようと密使を飛ばし、またある者は財産をまとめて他国へ逃げる準備を始めた。昨日まで敵対していた者同士が、今日には震えながら手を取り合うという滑稽な光景が各所で見られた。
傭兵たちは高揚した。 「ついに大戦だ! 稼ぎ時だ!」 戦いこそが彼らの飯の種だ。どこに付けば実入りが良いか、どの首を狙えば名声が上がるか。彼らは酒場で、野営地で、潜めた声で、しかし熱を帯びた眼差しで情報交換に明け暮れた。
だが、五色の傭兵群団の幹部たちは激高していた。 「ゲルマニアは傭兵が支配する国だ。たかだか一領主の小僧が何様のつもりだ!」 茶の剣傭兵群団のトップ、「茶色の羆」ヨハンは全分団を招集した。他の色(赤、青、緑、黄)の群団長たちも呼応し、不遜な「公主」の次の一手を、手ぐすね引いて待ち構えていた。
________________________________________
社会が激動する中、俺――シンは拠点の一室で独り、思索に耽っていた。情勢の収集はハンスに、団の運営はガーブやヤミル、オットーさんに任せきりにし、俺はアレク殿下が示した「現実」を脳内で再構築していた。
殿下が三百騎以上の騎馬軍団を率いて、わずか十キロ地点まで誰にも気づかれずに接近したあの状況。殿下は街道という「線」ではなく、山や森を越える「点と面」で移動してきた。 俺の予測では、殿下は護衛付きの馬車で来るはずだった。だが殿下は、悪路をものともしない騎馬の機動力を使い、俺の演算を軽々と超えてみせた。
「黒狼傭兵団」がこれほどの規模の騎馬軍団を組織していたという情報は、どこにもなかった。秘密裏に馬を買い付け、調教し、人馬一体の戦闘訓練を行う……。これは数年で成せることではない。アレク殿下と黒狼の繋がりは、俺が考えていたよりも遥かに深く、古い。
殿下は、自らの戦略の一部をあえて俺たちに披露したのだ。 戦場において「速度」は暴力に勝る。これまでのゲルマニアの主流は、徒歩の傭兵による「停滞した戦い」だった。金を持つガウスの商人でさえ、傭兵が力を持ちすぎるのを嫌い、馬の所持を制限していた。百人規模の団で十騎、正規兵でさえ五十騎程度が限界だったこの地で、殿下は五百騎、あるいはハンスの報告を合わせれば七百騎近い騎馬戦力を整えている可能性がある。
アレク殿下との会話が脳裏をよぎる。 「……殿下は、いつからこの騎馬戦闘を構想していたのですか?」 俺の問いに、殿下は事も無げに答えた。 「五年前、俺が十歳の時だ。ゲルマニアで勝ち残るには『力』がいる。俺はその本質を『速さ』に求めた」
愕然とした。十歳の子供が、戦場という盤上どころか、ゲルマニア全土の未来を支配する戦略を練っていたというのか。 ミューラー公国が現在公表している戦力は、正規軍四百、黒狼騎士団八百、そして俺たち緋色の傭兵団三百四十(実働百六十)。
数だけを見れば、五色の群団が擁する数千、万の軍勢には遠く及ばない。だが、殿下の手元には、従来の「戦争の作法」を根底から破壊する「速さ」と「組織力」がある。 そして、別れ際に殿下が俺に投げかけた言葉が、呪いのように耳に残っている。
「――シン。緋色の団員は、これから増える。貴様は、その溢れる力をどう扱うか、今のうちに精査しておくことだ」
嫌な予感しかしない。殿下は、この統一宣言が引き金となり、既存の群団から溢れた野良傭兵や、現状に不満を持つ独立勢力が、磁石に吸い寄せられるように「緋色の傭兵団」に流れ込むことを確信しているのだ。 それは俺たちの強化であると同時に、制御を誤れば内側から組織を壊滅させる猛毒にもなり得る。
アレク・フォン・ミューラー。静かなる盤上の支配者が放った「王手」に対し、俺たちはどう動くべきか。 旧帝都に吹き抜ける風には、すでに鉄と血の匂いが混じり始めていた。




