第七部 第1章:盤上の真実と三つの極
第七部:盤上の真実と三つの極
「天秤が弾き出す殲滅の数式。一万の包囲網を、廃都の処刑場へと塗り替えろ。」
「茶色の蛇」による旧帝都包囲網に対し、シンの知略で敵をパニックに陥れ、損害なしで三百人を殲滅。アレクへの「勝ち方の証明」を完遂します。
「シンの考えを聞きたい」と、冷徹な支配者の眼で俺を射抜くアレク殿下に対し、俺は手に持っていた羊皮紙の束を静かにテーブルに置いた。俺は椅子に座り直し、微塵の妥協も許さないこの若き怪物と正面から向き合った。
「殿下、まずはこれだけの情報をまとめ上げたことに最大限の敬意を表します。一国の存亡に関わる数値をこれほど精密に網羅するために、どれほどの時間、労力、そして金が費やされたか、想像するだけで震えが止まりません。」
「……俺は、お世辞を聞くために貴様を呼んだのではない。」 アレク殿下の声は低く、苛立ちを隠さなかった。 「分かっています。俺はただの傭兵であり、戦いのことしか頭にありません。その上で、殿下が示された極秘資料と、俺が道すがら集めてきた市井の情報を照らし合わせ、俺なりの『ゲルマニア観』を述べさせていただきます。」
俺は、現在のゲルマニアがなぜ二十八もの領地に分割され、不毛な削り合いを続けているのか、その停滞の正体を語り始めた。
「ゲルマニアは今、二十八の領地が互いに領土を削り合っていますが、経営破綻した土地を拾う以外に、他領を完全に征服する動きはほとんど見られません。その理由は三つあります。」
「一つ目は、各領地の経済的孤立です。それぞれの産業が領土内で完結せざるを得ず、他領との交易は商人ギルドや旅商人に依存しており、利益の大部分を彼らに搾取されています。これでは軍を起こすための蓄財など不可能です。」
「二つ目は、庶民生活の極端な不安定さです。三百年近い分裂状態で耕作地は荒れ、戦が起きれば貴重な労働力が奪われます。資料によれば、殿下が調べたこの三年だけでも、過半数の地域で住民の流出が続いています。」
「そして三つ目、これが最大の要因ですが、『傭兵』というシステムの寄生です。自前で戦力を整えられない領主は傭兵を雇わざるを得ませんが、傭兵は戦いが無ければ成り立ちません。彼らは戦争を終わらせず、むしろ『戦場を調整し、存続させる』ことで金を吸い上げ、領主をさらに弱体化させているのです。」
ゲルマニアは「傭兵天国」と揶揄されるが、実態は傭兵という暴力装置によって国家が支配されているに過ぎない。俺はこの現状を打破し得る勢力として、三つの名前を挙げた。
「まず、神聖ロマヌス国は除外します。北東に逃れた彼らに国土を取り返す気概はなく、宗教に寄生して生き永らえているに過ぎません。真に警戒すべきは宗教の力でかつての栄華を狙う神聖十字教ですが、それはまだ先の話でしょう。」
俺は、現時点でゲルマニアを動かし得る「三つの極」について詳細に分析を述べた。
「一つ目は、東部山岳地帯のヴィットマン子爵領です。林業と狩猟で育まれた忍耐強い民草と、重装兵団『鉄鋼兵』を擁する堅牢な勢力です。彼らは穀物生産を求めて周辺を攻め、二領を獲得したところで進撃を止めています。全土統一の野心は見られませんが、自領の生存を脅かされれば、最強の盾を持って打って出る可能性は極めて高いでしょう。」
「二つ目は、北外海に面したガウス自治領です。四人の大商人が支配する巨大な港湾都市ゲルニーハーヘンを拠点とし、海運と商業でフランク王国の総資産を上回るとさえ噂される富を独占しています。彼らは生産力も自前の武力も持ちませんが、『茶の剣傭兵群団』を丸抱えすることでゲルマニアの流通網を掌握しています。彼らは領主たちを『生かさず殺さず』の状態に保ち、戦場を金に変える守銭奴の巣窟です。」
「そして最後は、ここミューラー公国です。中央平原の穀倉地帯にありながら、周辺四領連合の侵攻という絶体絶命の危機を、アレク殿下の知略と黒狼傭兵団との同盟によって覆しました。殿下は敗れた領主を殺さず、共に生き抜く道を示して説き伏せ、統治を一本化して生産力を高め、通行税の廃止などで物流を活性化させました。」
俺が話し終える頃には、あれほど騒がしかった食堂の喧騒は消え失せ、夜の静寂が部屋を包んでいた。ブラウンシュタインさんが、冷えた体を温めるような熱い茶を差し出してくれた。俺はそれを一口飲み、アレク殿下の双眸を見つめた。
殿下の表情からは、俺の分析に対する評価を読み取ることはできなかった。 しばらくの沈黙の後、殿下が静かに口を開いた。
「シン、問題点と現状はよく分かった。では――これからゲルマニアはどうなる?」
その問いこそが、本当の戦いの始まりだった。俺とアレク殿下、二人の「軍師」による、言葉という名の盤上遊戯が幕を開けたのである。




