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『緋色の傭兵団の物語』「ゲルマニア編」  作者: 嵗(sai)
第六部:盤上の怪物と動かざる天秤

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第六部 第6章:双牙激突――廃都に轟く「盤上の咆哮」

ケッセルブルグ城の裏庭に広がる、往時の栄華を偲ばせる壮麗な庭園。しかし今、その優美な空間は、ミューラー公国の精鋭たちによって急造された、殺気漲る「闘技場」へと変貌していた。訓練で汗を流していた正規兵たちは、突然命じられたこの異例の決闘――ゲルマニア傭兵界の頂点に君臨する「黒狼」の長と、新興勢力「緋色」の長の激突を前に、準備を整えながらも興奮を隠せずにいた。


四方をミューラー公国正規兵と、黒狼傭兵団の猛者たち、そしてハンス率いる緋色の斥候たちが幾重にも囲み、重苦しい沈黙が場を支配している。 そこへ、静寂を切り裂くようにアレク・フォン・ミューラー殿下が入場した。主座に腰を下ろした若き統治者は、冷徹な碧眼で二人の女傑を見据え、朗々と宣言した。


「『緋色の傭兵団』団長ガーベラによる、『黒狼傭兵団』団長アドルフィーネ・ヴォルフハルトへの宣戦布告を受け、双方一対一の決闘を執り行う! 裁定は私、ミューラー公国公主代行アレク・フォン・ミューラーが務める!」 アレクの声が、冷たく、そして鋭く場に響き渡る。 「戦闘のルールは、双方遺恨を残さぬこと。殺し、および致命的な傷は厳禁。武器を捨て、“無手”をもって雌雄を決せよ!」


「無手」という条件に、周囲の兵たちから一斉にどよめきが上がった。武器を手にすれば数秒で勝負が決しかねない化け物同士。アレク殿下は、彼女たちの純粋な身体能力と格闘技能の限界を見極めるつもりなのだ。


アドルもガーブも、無言のまま愛用の武具を従卒に預けていく。アドルが革鎧を脱ぎ、黒いシャツ一枚になると、その鍛え上げられた一八〇センチの巨躯が露わになった。対するガーブは一六五センチ、小柄に見えるが、その全身は一分の無駄もないバネのような筋肉で構成されている。 十歩の距離で対峙する二人。アドルが見下ろし、ガーブが見上げる。 「小娘。途中で泣き言を漏らすなよ? 俺の仕置きは、戦場よりも優しくねぇぞ」 「アドルおばさんこそ、無理して腰を痛めないでね?」 二人が放つ濃密な殺気がぶつかり合い、その中間の空間が陽炎のように歪んで見える。


「それでは……始め!」 アレクの右手が振り下ろされた。


一気に激突するかと思われた瞬間、二人は岩のように動かなくなった。構えすら取らぬ完全な自然体。だが、一歩でも間合いを誤れば即座に死が訪れるという究極の緊張感が場を支配する。やがて、二人は音もなく、ゆっくりと右回りに移動を始めた。空気がキンと凍りつき、観衆は息をすることさえ忘れている。


立ち位置が逆転した瞬間、ガーブの体が前のめりに、ゆらりと傾いた。 ドン! 空気が爆ぜた。一秒の静止から、ガーブが「消えた」。 アドルの目前に現れたガーブが、渾身の力で拳を突き出す。アドルは首をわずかに傾けてこれを回避したが、ガーブの拳が空気を切り、頬をかすめて鮮血が一筋舞った。アドルは即座にその腕を掴んで投げ飛ばそうとするが、ガーブは空中でアドルの腕に足を絡め、二人して地面へ転がり込んだ。


土煙が舞う中、寝技の応酬が始まる。関節を極め、首を絞め、急所を狙う。だが、互いに技術が拮抗しており、決定打を許さない。一度離れて立ち上がると、再び仕切り直しだ。


「ふー……っ。んっ!」 ガーブが再び地を蹴る。こめかみ、鳩尾、顎。裏拳から廻し蹴り。ガーブの打撃は、小柄な体躯を最大限に活かした速度と回転を伴っていた。アドルはそれを受け、流し、捌く。アドルの戦い方は、黒狼騎士団の合理的な軍隊格闘術に基づいているが、そこに野獣のような直感が混ざり合っている。 ガーブの頭突きがアドルの額を直撃し、アドルの体が二、三歩後退した。 「にっ」 ガーブが口角を上げる。額から流れる血を乱暴に拭い、アドルが吼えた。


「ははっ! やるな! あー楽しいなぁ、ガーブ!」 「うん!」ガーブの眼はギラついている。


そこからは、まさに「死合い」だった。 打つ、蹴る、投げる、極める。攻めては防ぎ、躱しては穿つ。終わりの見えない極限の攻防。やがて二人の動きから「技術」が削ぎ落とされ、本能のみによる殴り合いへと変質していった。 顔面に拳が沈み、脇腹に蹴りが刺さる。鳩尾に抜き手が届き、血が噴き出し、腕にはどす黒い痣が浮かぶ。ぎしりと骨が軋む音が、静まり返った庭園に不気味に響く。


「……あー、ダメだ。あいつら、完全に楽しんでやがるわ」 俺は頭を掻きながら、隣のアレク殿下に声をかけた。殿下の表情は、いつもの冷徹な「演算」を忘れ、若干の昂揚に染まっている。


「アレク殿下。これ、引き分けの場合はどうなるんです? 決着がつく前に、二人が壊れますよ」 殿下はハッとして我に返り、背後の側近に問いかけた。「……ブラウンシュタイン、聞いたことがあるか? 宣戦布告での『引き分け』を」 「殿下。傭兵の掟において、宣戦布告に引き分けはありません。『生き残った方が勝ち』、最後の一人が沈むまで続けるのがルールです。ですが、この場合は……」 俺が決めた『殺し禁止』のルールが、決着を遠ざけているというのか」


アレク殿下は苦渋の決断を下し、席を立って前へ出た。


「双方、止め! 戦いを止めろ! 聞いているのか! おい、聞け!」 だが、トランス状態にある二人は止まらない。俺とハンスがガーブを止めに入り、黒狼の幹部たちがアドルを力ずくで押さえつける。


「離せ、シン! まだ終わってない!」 「邪魔するな! どけっ、馬鹿者が!」


暴れる二人。その時、ブラウンシュタインが一歩前へ踏み出し、裂帛の気合と共に、かつてない強烈な殺気を放った。 「ぬん!!!!」 肌を刺すような重圧。すべての動きがぴたりと止まり、戦場は死のような静寂に包まれた。


「殿下、どうぞ」 ブラウンシュタインが道を譲ると、アレク殿下は二人の前に立ち、深く頭を下げた。


「……二人とも。この勝負、俺が預かる。これ以上はゲルマニアの損失だ。頼む、拳を下ろしてくれ」 あの「静かなる盤上の支配者」が、たかだか一傭兵のために頭を下げた。俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。 殿下の言葉を聞き、ぷつりと糸が切れたようにガーブがその場に崩れ落ちた。アドルもまた、膝をついて肩で息を吐く。


「おい、傷の手当てを急げ! 最高級の薬師を呼べ!」 殿下の号令で、庭園は瞬く間に喧騒に包まれた。満身創痍の二人の治療が始まる中、俺はアレク殿下の横顔を盗み見た。 この決闘は、引き分けという形以上のものをアレク殿下に植え付けたはずだ。 それは、計算では測りきれない「傭兵の魂」という不確定要素。そして、それを体現する俺たち「緋色の傭兵団」という存在の重みである。


「……ふぅ。これでようやく、交渉の続きができそうですね」 俺の呟きは、あわただしく動く兵たちの足音にかき消された。



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