第六部 第5章:狂犬の挑発と軍師の賭け
「『宣戦布告』を出します。今、旧帝都を包囲している『茶の剣傭兵群団』すべてに対して」
俺が放った言葉は、静まり返った謁見室に冷たい波紋を広げた。 カチャリ、と磁器が触れ合う音が響く。アレク殿下が手にしていたカップをソーサーに戻した音だ。その碧眼が、探るように俺を射抜く。
「待て。宣戦布告だと? ……お前が言っているのは、ゲルマニア傭兵界の不可侵の掟である、あの『宣戦布告』のことか?」
「はい。宣戦布告をもって、茶の剣傭兵群団を正面から叩き潰します。それで我々の実力を証明してみせる。現在、旧帝都を包囲している傭兵たちは、俺たちが契約している商業ギルドの正当な活動を妨害している。この『営業妨害』に対する反抗として布告を出せば、茶の剣側は拒むことはできません。逃げれば社会的抹殺が待っている……。彼らにとって、これは避けることのできない『正当な戦い』となります」
黒狼傭兵団の団長、アドルフィーネ・ヴォルフハルトは、獣のような笑みを浮かべて喉を鳴らした。
「ふふふ……。宣戦布告か。そいつは傑作だ。一度布告が成立しちまえば、例え群団のトップでも横槍は入れられん。俺たち『黒』も、指をくわえて見ているしかなくなるわけだ。フフフ、ハハハハ!」
笑い声を上げながらも、アドルの目は一切笑っていなかった。俺は背筋に冷たいものを感じ、彼女の思考を読み解こうと演算を急がせる。
(……まずいな。一番の懸念は、ガーブと俺がこの城で足止めされることだ)
もし俺たちがここで拘束されれば、旧帝都の「緋色の傭兵団」は指揮官と最大戦力を同時に失う。戦力は数字上でも六割は減退するだろう。特に、ガーブという「爆弾」を欠いた状態での総員戦は、あまりにリスクが高い。
「では、宣戦布告の成立を確認するまで、お前たちをここで『保護』すべきかな? どう思う、アレク殿下?」 腕を組むアドルは、実にかわいい玩具を見つけた子供のような、無邪気で残酷な表情を浮かべている。 アレク殿下が、思案するように指先で顎をなぞった。
「ヴォルフハルト団長、それは少し酷ではないか? 『宣戦布告』は彼らの真価を見極めるには最高の舞台だ。指揮官不在で負けました、では余興にもならん」
「殿下、それは甘いですな。俺たち『黒』をはじめ、既存の五色群団の立場というものがあります。群団長としては、独立系の小僧どもに『かわいい』分団が食い散らかされるのを黙って見過ごすわけにはいかないんでね」 「『かわいい』……ですか?」 思わず俺が聞き返すと、アレク殿下も不思議そうに首を傾げた。
「同意。アドル、あのようなむくつけき傭兵たちの、どのあたりをどう見れば『かわいい』と形容できるのかね?」
群団長ともなれば、荒くれ者たちも愛玩動物に見えるのか。俺には到底理解できそうにない。 膠着する議論。どうにかしてこの場を切り抜けなければと考えを巡らせていた、その時だ。 視界の端に映ったガーブの横顔を見て、俺はぎょっとした。 (まずい。……遅かった!)
ガーブは笑っていた。その瞳には、特異体と対峙した時よりも、アインツたちを叩きのめした時よりも、さらにギラギラとした凶暴な光が宿っていた。彼女の口が、俺の制止よりも早く開く。
「ねぇ、団長さん? 俺とあんたで……その、なんとか宣言、やらない?」
「「は?」」 アレク殿下とアドルの声が重なった。 「だから、俺からあんたに『宣戦布告』する。……一対一の『死合い』、やろうよ。今すぐ。ね?」 うきうきとした、遠足にでも行くような声。
「馬鹿、やめろ! しゃべるな!」 俺は慌ててガーブの口を塞ごうとしたが、アドルの表情を見て絶望した。彼女の瞳にも、ガーブと同じ「狂犬」の火が灯っていた。
アレク殿下が、面白さを隠しきれない様子で手を挙げた。
「確認だが……。アドルフィーネ・ヴォルフハルトとガーベラ、この二人でやり合うのか?」 誰と誰がだ! ガーブと黒狼のトップだぞ。……だが、現実逃避をしても始まらない。この暴走を、最大限の利益に転換するのが軍師の役目だ。
俺は手を離し、深呼吸をして殿下に向き直った。
「……仕方ありません。アレク殿下。ガーブとヴォルフハルト団長を戦わせてください。その結果をもって、俺たちの実力の評価としていただきたい」
「お前たちの評価を、俺との戦いで決めるだと? はっ! 笑わせるな小娘が!」 アドルが立ち上がり、巨躯から凄まじい威圧感を放った。
「いいだろう、その生意気な性根ごと、二度と剣が握れないように締めてやる!」 対するガーブは、よだれを垂らさんばかりの好戦的な笑みを浮かべている。この相棒、少しは自重という言葉を覚えてほしい。
「突然の事態だが、この予期せぬ盤面の乱れ、嫌いではない。……ブラウンシュタイン、城の訓練場を空けさせろ。準備を急げ」 アレク殿下の指示に、側近のブラウンシュタインは困惑した顔をしながらも、「承知いたしました」と一礼して退出した。
「アレク殿下。この戦闘の勝敗に、条件を懸けさせてください」 俺の言葉に、殿下が目を細める。
「そうだな……。よし、こうしよう。ヴォルフハルト団長が勝てば、お前たちは無条件で俺の軍門に下れ。……逆にお前たちが勝った場合は、俺、ミューラー公国が『緋色の傭兵団』の発するすべての宣戦布告を公式に保証し、後ろ盾になろう」
「……分かりました。ですが、一つ追加を。もしガーブが勝てば、ヴォルフハルト団長。貴女の『黒狼傭兵団』と我が団で、対等な『絆』を結びたい」
「なに!?」 アドルの顔色が変わった。鋭い眼光が俺を突き刺す。 「絆だと? 傭兵団同士の絆……まさか、同格としての『共闘』、兄弟の契りを結ぶつもりか!」 アレク殿下が興味深そうに尋ねる。
「絆とは、それほど重いものなのか?」
アドルが俺を睨みつけながら説明した。 「……片や千二百名以上の精鋭を従える黒狼、片や二百名にも満たないポッと出の緋色。格が違いすぎる! 傭兵群団のトップ5に、その程度の人数で肩を並べるつもりか!」 俺は無言を貫いた。アレク殿下は二人を見比べ、楽しげに宣告した。 「それで? アドル、どうする?」
「……いいだろう。俺が勝ったら、この『緋色』の連中をまとめて俺にくれ。黒狼の雑用係として死ぬまでこき使ってやる」 「いいですよ」
「だったらやろうか。黒狼傭兵団、団長の格がどれほどのものか、骨の髄まで教えてやる!」 ガーブが満面の笑みで応えた。
「楽しみだねぇ~。おばさん。言っておくけど、俺は強いよ?」 「はん、小娘が! ついて来い!」 アドルが荒々しく部屋を出ていき、ガーブが鼻歌交じりにその後に続く。
それを見送った後、アレク殿下が俺に向き直った。その瞳は、先ほどまでの楽しげなものとは打って変わり、冷酷なまでに静かだった。 「シン。例えここでガーブが勝っても、君たちの状況は変わらんぞ? もし、この勝負を単に俺の傘下に入るための『言い訳』にするつもりなら、興醒めだ。俺が欲しいのは、そんな小細工をする男ではない」
「……そんなこと、考えてもみませんでしたよ」 俺は背中に背負った「双刃」の重みを確かめ、不敵に笑い返した。 「アレク殿下。あなたは一つ、大きな計算違いをされている」 「? 何をだ?」
「ガーブが、どれほど強いか。……俺が、彼女こそが最強であることを、ここで証明してみせますよ。彼女は『首狩りの女狼』。天秤を無理やり傾ける、絶対的な勝利の化身ですから」
俺の言葉に、十五歳の天才児は、わずかに目を見開いた。




