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『緋色の傭兵団の物語』「ゲルマニア編」  作者: 嵗(sai)
第六部:盤上の怪物と動かざる天秤

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第六部 第4章:盤上の亀裂と「黒狼」の乱入

「待ってくれ!」


俺の叫びが、ケッセルブルグ城の謁見室に鋭く響いた。 アレク殿下がわずかに目を細め、言葉を飲み込む。後ろに控えるブランシュタインの片眉がぴくりと上がった。


「待ってください、アレク殿下。……それは俺たちの魂に関わる問題だ。今、この場で、あなたの助力という名の『支配』に委ねるつもりはありません」


「……シン。お前、何を言ってるんだ?」 ガーブが戸惑ったように俺を見た。 「俺たちは力がいる、だからゲルマニアに行くんだって、ずっと言ってたじゃないか。目の前に最高の『力』があるのに、なんで話さないんだ?」


ガーブの言うことは正しい。だが、俺の演算は別の答えを出していた。 本来、ミューラー公国との交渉は、俺たちが団員を五十人以上に増やし、相応の実績と発言権を得た二、三年後に行う予定だったのだ。だが、時間の経過は万人に平等だ。俺たちが強くなれば、アレク殿下はそれ以上の速度でこの国を統合し、強大化していくだろう。


(今、この差を埋められないまま助力を請えば、俺たちは一生、この怪物の掌の上で踊る駒に成り下がる……)


だが、同時に今は千載一遇のチャンスでもある。殿下の方から興味を示し、交渉のテーブルに着いているこの状況。ここで一歩も引かずに自分たちの価値を証明できれば、対等な「同盟者」としての道が開けるかもしれない。


「アレク殿下、少しお待ちを。……今、俺の中で考えを整理します」 「そうか。分かった。焦る必要はない。……ブラウンシュタイン、茶のお代わりを」 アレク殿下は余裕を崩さず、側近に指示を出した。 さて、交渉の糸口をどこに置くか。オルレアン伯爵への復讐をどう『国家の利害』に結びつけるか……。


その時だった。 重厚な謁見室の扉が、何の前触れもなく勢いよく開け放たれた。


「殿下! 久しぶりですな! こちらに来ているのなら声をかけて欲しかったですな。僭越ながら、俺も押し掛け参上させていただきました!」


アレク殿下が、あからさまに顔を顰めて吐き捨てた。 「……アドル」


部屋に入ってきたのは、強烈な存在感を放つ「濃い」人物だった。 一瞬、大柄な男かと思ったが、その声と顔立ちは精悍な女性のものだ。

「おお、先客でしたか。いや、接見中か。ならよろしいか。先に名乗らせてもらおう。私はアドル。アドルフィーネ・ヴォルフハルトだ」


その名を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。 アドルフィーネ・ヴォルフハルト。黒の槍傭兵群団の頂点、「黒狼傭兵団」の四代目団長。ゲルマニア傭兵の頂点の一人であり、百戦錬磨の化け物だ。


「アドル、呼んでいないと言ったはずだ」 アレク殿下は不機嫌さを隠そうともしない。


「殿下、まあそう言わずに。俺くらいの立場になると、新進気鋭の若い傭兵と話す機会がなかなかなくてな。いい機会だと思ったのよ。特に、例の『特異体』を狩ったという独立系の、『緋色の傭兵団』の団長たちとな。……団長とは同性だしな」


アドルフィーネ・ヴォルフハルト。黒目黒髪に、鋭い獣のような視線。褐色の肌に刻まれた小傷が、彼女の潜り抜けてきた死線の数を物語っている。百八十センチ近い筋肉質の巨体を黒一色のシャツとズボン、そして手入れの行き届いた皮鎧に包んでいる。右手の小手には、使い込まれた武人の凄みがあった。


黒狼傭兵団がミューラー公国と密かに繋がっているという事実は、どの情報筋にもなかった。だが、彼女の「俺」という一人称と男勝りの口調は、不思議とアレク殿下との間に奇妙な信頼関係を感じさせた。


「分かった。座れ、アドル。……ブラウンシュタイン、茶だ」


「失礼する。殿下、あなたのところの茶は相変わらず旨い。楽しみにしているぞ」 ニコニコと笑うアドルフィーネ。だが、茶が運ばれてくるまでの沈黙の中で、彼女の視線は俺とガーブを丸裸にするかのように射抜いていた。


やがて茶を一口啜ったアドルフィーネの表情が、一変した。


「ところで殿下。この『緋色』とどのような話を? 仲間に引き入れるつもりか?」


「何か問題が?」 「ありますな。大いに」 アドルフィーネはカップを置き、俺を指差した。


「まず、こやつらはたかだか二百名にも満たない中規模勢力。殿下の覇道には、あまりに力が足りん。独立系ゆえに群団のしがらみはないが、それは裏を返せば、どこにも後ろ盾がないということだ。しかも拠点はあの廃墟、旧帝都だろう? 公国の領地からは遠すぎ、いざという時の盾にも鉾にもならん。負担になるだけだ。……さらに、今まさに茶の剣傭兵群団と揉めているそうじゃないか。すぐに消えるぞ、こいつらは」


「ふむ……。アドルはこう言っているが、ガーブ、シン。君たちの考えは?」 アレク殿下が、試すような眼差しを向けてくる。 さすがは六百余の精鋭を従える黒狼の長だ。情報の収集速度、そして現状の分析力は的確すぎる。ガーブが困ったように俺を見た。……分かっている、ここが正念場だ。


「さすがはヴォルフハルト団長、素晴らしい観察眼です。見事に俺たちを丸裸にしてくれましたね。……ですが、それはあくまで既存の傭兵秩序から見た、一面的な見方に過ぎません」


「ほう、シンと言ったか。言ってみろ」 「俺たちは元々、たった六人でゲルマニアに来ました。それがわずか四ヶ月で百六十名まで膨れ上がった。二十倍以上の成長速度です」


「はっ! そのうち、まともに戦える者が何人いる!」 「戦える者はその三分の二、約百名。だが」俺は横に座る相棒を掌で示した。「ここにいるガーブのような一騎当千を筆頭に、我が団は精鋭揃いだ。数だけの二倍、三倍の雑兵など、一瞬で蹴散らしてみせましょう」


「言うじゃねえか! 今ここで試してやろうか?」 アドルフィーネが殺気を放つが、俺は手を挙げてそれを制した。


「独立系であることは、既存の権益にまみれた群団と縁がないということ。これは『しがらみがない』という最大の強みです。俺たちが何をしようと、誰からも文句を言われる筋合いはない」


「群団が本気で動けば、お前たちなど一日で灰になるぞ?」 「団長、あなたは忘れている。……一つの群団が動けば、他の群団も動く。ゲルマニアのパワーバランスは、互いの不信感の上に成り立っているはずだ。今回、茶の剣が動き出し、他の群団も周囲に展開している。だが、彼らの目的は茶の援護ではなく、獲物の横取りや牽制、嫌がらせではないですか? 違いますか?」 アドルフィーネの目がわずかに見開かれた。


「拠点を旧帝都に置いたのは、そこがゲルマニアの物理的な中心であり、物流と情報のハブだからです。旧街道が集まるあの地からは、ゲルマニア中のどこへでも迅速に移動できる。殿下なら、その地政学的優位性は理解しているはずだ」


「旧帝都の優位性は認める。だが、四方を囲まれれば袋の鼠だ」 アレク殿下が口を挟む。 「ええ、その通りです。攻め入るのは容易でしょう。ですが、どこの誰が最初に手を出しますか? その瞬間、背後を別の群団に突かれるリスクを冒してまで? ……今、旧帝都を包囲しているのは茶の剣だけではない。赤、青、緑、黄……そして、ヴォルフハルト団長、あなたの『黒』も展開しているはずだ。……俺たちは包囲されているが、同時に誰も手を出せない均衡状態にある」


「……なるほどな。だが睨み合いはいつか終わる。時間が経てば、補給路を絶たれた君たちが不利になるのではないか?」 アレク殿下の問いに、俺は不敵に笑った。 「その通りです。だから今、この場で一つ、その膠着を破る『手』を考えました」


「手とは?」


俺はアレク殿下とアドルフィーネを交互に見据え、言い放った。


「『宣戦布告』を出します。今、旧帝都を包囲している『茶の剣傭兵群団』すべてに対して」


謁見室に、凍り付くような静寂が訪れた。



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