第六部 第3章:盤上の支配者と「緋色」の真実
「まずは現在までの、この腐りきったゲルマニアの成り立ちから語ろうか」 アレク殿下は背後の地図を指し示した。その声には、十五歳の少年らしからぬ重厚な響きがあった。
ゲルマニアの歴史は、五百年前、ロマヌス帝国が無益な南征によって国力を損ない、東ロマヌス帝国と神聖ロマヌス帝国に二分されたことに端を発する。以来、ゲルマニアの地を占有した神聖ロマヌス帝国であったが、各地の領主に権力を譲渡するという愚挙を犯した結果、盟主の座を追われた。今や往時の栄光は見る影もなく、北方の辺地を細々と統べる存在に過ぎない。もっとも、西方諸国の全土で信奉される神聖十字教の宗主国という立場ゆえ、何らかの援助を受けて辛うじて生き長らえているのが現状だ。帝国の名も返上して神聖ロマヌス国と名乗るのうになった。
「そして三百年前から、ゲルマニア各地では個々の領主が勝手に名乗りを上げ、果てのない領土の奪い合いを始めた」 当初は六十を数えた領主軍同士の正規戦だったが、戦争によって耕作地は荒れ、多くの避難民が発生した。流浪の果てに盗賊と化す者が溢れ、治安は極限まで悪化した。そんな中、敗れた地方から逃げ出した正規軍の残党を中心に、戦争そのものを請け負う「傭兵」という人種が誕生したのだ。
傭兵たちは次第に徒党を組み、やがて各地の領主も彼らを雇って戦争を行うようになった。傭兵は「生き残ること」を絶対の信条とする。金で雇われているだけの彼らには忠誠心など欠片もなく、負け戦になれば即座に逃げ出し、時には金のない主君を逆に滅ぼすことすらあった。ゲルマニアは傭兵の登場により、激烈にして下劣な戦場へと変質したのである。
「転機は、フランク王国の侵攻だった」 領主軍が対抗できぬ中、五人の傭兵が散らばっていた傭兵団をまとめ上げ、協力してフランク軍を追い出した。彼ら五人は傭兵自身の存続を考え、独自の「掟」を課した。これが現在の五色の傭兵群団と、ゲルマニア独自の傭兵秩序の始まりだ。 百年前には傭兵ギルドが設立され、領主からの依頼を群団が調整する仕組みが完成した。それにより、領主は土地を支配し、安全を傭兵に委ねるという奇妙な社会が定着した。この百年間で、利権の奪い合いを傭兵に委託し続けた結果、領主の数は二十八にまで半減した。消滅した領主の半分は、傭兵団によって滅ぼされ、隣り合う領主に売り渡されたものだ。
(そのうちの五つは、目の前のアレク殿下が奪ったものだろう? 殿下の口調、少し熱が入ってきているな……)
「これがどういうことか、分かっているだろう。あえて言葉にすれば、『ゲルマニアは傭兵が支配する領域』だということだ!」 殿下の碧眼に激しい憤りの色が混じる。
「ほとんどの領主は傭兵団にせっせと貢ぎ物をする家畜のような存在に成り下がっている! 自身の資産を守るために傭兵の顔色を窺うだけの弱腰どもだ!」 殿下は立ち上がり、地図の一角を叩いた。
「ああ、一つだけ違う汚物があったな。ガウス自治領だ。奴らは自身の商売のために傭兵を飼い、哀れな領主たちを武力で脅しながら、上から施すかのようなあくどい商売でこの国を食い物にしている! 守銭奴の塊、傭兵以下の唾棄すべき存在だ!」
後ろに控えていたブランシュタインが、アレク殿下の肩にそっと手を置いた。 殿下はハッとしたように視線を泳がせ、深く息を吐いて椅子に座り直した。
「……すまない、柄にもなく熱くなってしまった」
「静かなる盤上の支配者」と噂される彼だが、その内側には激しい感情が燻っているらしい。十五歳という若さを考えれば当然の血気かもしれないが、政治や軍事に関しては恐ろしいほど冷徹になれる。この二面性は、交渉相手として極めて危ういものだ。
俺は姿勢を正し、殿下に問いかけた。 「ゲルマニアの現状と、それに対する殿下の憤り、確かに伺いました。それでは、殿下はこの現状をどう変えたいとお考えで?」 アレク殿下は鋭い眼光で俺を見据え、言い放った。 「……待て。私だけに話させる気ではなかろうな。今度は君たちの番だ。シン、ガーブ。君たちは何しに、あの泥沼のフランクからゲルマニアに来た? 教えてもらおう」
「……既にご存じなのでは?」 「ある程度は調べた。だが、本人の口から語ってほしい。忌憚なく、本音をな」
俺は沈黙してしまった。アレク殿下。ゲルマニアで助力を請うならミューラー公国しかない、と俺は考えてきた。だが、それは今ではない。団員を増やし、実績を積み、せめて対等に近い立場を固めてから交渉するつもりだった。今ここで全てを曝け出すのは、交渉上あまりに不利だ。
「どうしたのだ、シン。語れない隠し事があるのか?」 殿下が催促する。俺が言葉を濁そうとした、その時だった。
「オルレアン伯爵を討つためだよ」
ガーブが、あっさりと口を開いた。俺は心の中で顔を顰め、天を仰ぎたくなった。
「……ほう、オルレアン伯爵。フランク王国南西部一帯を領有する、王国最大級の貴族だな?」 アレク殿下の目の色が変わった。冷徹な支配者の顔。彼の中で、オルレアン伯爵という巨大な駒が盤上に置かれ、瞬時に演算が始まったのが分かった。
「そうだよ。伯爵に俺たちの『親』が殺された。後ろから斬られた、だまし討ちのようなものだった。俺は絶対に許さない」 ガーブは無表情に、だが瞳の奥に確かな復讐の焔を灯して淡々と語った。一七三三年のあの戦い――傭兵を「肉壁」として使い捨て、最後には「卑怯者」の汚名を着せて排除したオルレアン伯爵の冷酷な所業。その憎悪が、部屋の空気を震わせる。
「ふむ……。ならば、私が助力しよう」
アレク殿下の手が差し伸べられようとする。俺はその先を言わせてはならないと本能的に察知した。殿下のような怪物の「助力」は、決して無償ではない。
「待ってくれ!」
俺は咄嗟にアレク殿下の言葉を遮った。この場を殿下の主導権で終わらせては、俺たちは永遠に彼の「駒」として使い潰されることになる。




