第八章 魔王の王国
王国中央、白亜の城。
その最上階にある客室で、王子は窓辺に立っていた。
夜明け前の空は薄く白み始めている。
眼下には眠る王都。
静かな街並み。
整備された道路。
豊かな畑。
煙を上げる工房。
規則正しく並ぶ家々。
王子はその景色を眺めながら満足そうに微笑んだ。
「美しい」
心からそう思った。
背後では侍医たちが慌ただしく動いている。
礼拝堂で受けた傷の治療だった。
だが王子は意に介さない。
失った肉も骨もすぐに再生する。
むしろ予想より健闘されたことに感心していた。
「思いのほか危険な男だった。」
「しかし。」
「国を相手にひとりで抗えるかな。」
王子は小さく笑った。
あと一歩で自分を殺しかけた。
自分の追い詰めた存在。
だからこそ面白い。
だからこそ殺さなかった。
王子は窓から視線を外した。
部屋の壁には一枚の地図が掛けられている。
現在の世界地図。
その西半分は黒く塗り潰されていた。
かつて西方最大の国家だった場所。
今は誰も近づかない死の大地。
王子はその地図を静かに見つめる。
そして小さく呟いた。
「失敗だったな」
そこには自嘲が混じっていた。
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かつて王子は魔王と呼ばれていた。
だが最初から魔王だったわけではない。
魔人族の辺境集落。
そこで生まれた。
生まれつき身体は弱かった。
魔力も平凡。
腕力も無い。
戦士になれる素質など欠片もなかった。
魔人族の社会は力が全てだった。
強い者が支配する。
弱い者は従う。
単純な世界。
王子は何度も殴られた。
何度も奪われた。
何度も笑われた。
だが一つだけ才能があった。
人の心を操る力。
チャーム。
それは他者の心に操ることができる。
特殊な魔法だった。
王子はそれを使った。
上司を味方にした。
敵同士を争わせた。
自分を虐げた者を追い落とした。
気づけば周囲は自分の思い通りに動いていた。
剣は要らなかった。
拳も要らなかった。
他人が戦えばよかった。
他人が死ねばよかった。
そうして王子は地位を得た。
やがて軍師となり。
そして王となった。
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西の大国侵攻も同じだった。
王子自身は大して強くない。
怪物軍を動かしただけだ。
飢えた怪物たちを人間の国へ向かわせた。
後は勝手に滅びていった。
実に簡単だった。
大国は崩壊した。
人間たちは家畜となった。
王子は勝利した。
そのはずだった。
だが。
数十年後。
王子は玉座から立ち上がった。
そして気付いた。
誰もいない。
畑は枯れていた。
森は死んでいた。
川は濁っていた。
怪物たちは飢えていた。
人間はいなかった。
絶滅したのだ。
王子は長い沈黙の末に結論を出した。
「失敗だった」
怪物は支配者になれない。
奪うことしか知らない。
壊すことしか出来ない。
だから全てが死んだ。
王子は初めて学んだ。
支配とは破壊ではない。
維持することだと。
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今度は違う。
王子は中央大陸、白き王国の地図を見つめる。
豊かな土地。
勤勉な民。
優秀な職人。
穏やかな国王。
そして。
愚かなほど優しい王女。
全て理想的だった。
この国なら続く。
何百年でも。
何千年でも。
怪物たちの食糧を供給し続けられる。
王子は王女のことを思い出した。
純粋な少女だった。
疑うことを知らない。
だから魅了は使わなかった。
必要なかった。
少し優しくしてやるだけで良かった。
話を聞いてやるだけで良かった。
王女は勝手に恋をした。
実に簡単だった。
王子は薄く笑う。
愛しているわけではない。
ただ必要なのだ。
王女は王位継承者。
未来の女王。
王国の象徴。
その隣に立てば、この国は手に入る。
ただそれだけだった。
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コンコン。
扉が叩かれる。
「失礼いたします」
執事が入室した。
「例の怪物ですが、現在も行方は不明です」
王子は窓へ向き直る。
怪物。
その呼び方に思わず笑みが漏れた。
昨夜。
王女は確かにそう呼んだ。
怪物。
王子は楽しそうに目を細める。
「そうか」
男は逃げた。
面白い。
壊したい。
「探し続けろ」
王子は命じる。
「必ず見つけ出せ」
執事が頭を下げる。
「御意」
扉が閉まる。
再び静寂が訪れた。
王子は窓の外を見下ろした。
朝日が昇り始めている。
白き王国は黄金色に輝いていた。
王子はその景色に満足そうに微笑む。
「今度こそ」
その声は静かだった。
「失敗はしない」
白き王国はまだ知らない。
自ら歓迎した王子が。
かつて世界を滅ぼした魔王であることを。
そして。
本当の侵略がこれから始まることを。




